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第三連
第三連・転句 構造的抵抗統制機構 (上)
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View point of 若桜響子
その日もいつもあるような日だった。6時頃に眠い目をこすりながら起きて東京飯店に出勤する。いつもの様に退屈な雑用をこなす。ううん、今日が最後だからきちんとけじめをつけないと。そう思って普段よりも丁寧にベッドメイキングして、普段しないベッドの下まで掃除機を入れる。明日にはきっとすべてバレて、これらの部屋も調査されるだろうから。そしてきっと彼らはわたしの仕事ぶりを見るだろう、わたしができる最後の意地を。
いけない、仕事に集中しないと。そうして足速に時間が過ぎていく。このふた月のように。私の最期が決まってから、もうふた月。この東京飯店で働きながら夜は自治区政府庁舎の図面を暗記したり換気ダクトのなかを音も立てずに移動する方法を工夫したりしていた。一度だけ機会を用意してもらって自治区庁舎の実際の換気ダクトに潜り込むこともできた。ネズミとゴキブリが走り回る不潔な空間。そこを5時間も這いずりまわった結果、何かの感染症にかかってしまったらしく高熱を出す羽目にもなってしまったけれども。
そんなこんなもすべて終わり。今日ですべてにけりがついて、わたしもお父さんもお母さんも誇りの中に記憶される。洗面台の鏡を拭く腕に自然と力が入ってしまったようだった。鏡に写った私の顔は妙に頬こけて奇妙に醜かった。
いつもどおり、定時より二時間過ぎで仕事が終わる。わたしは足取りも軽く家に帰る。今までになかったくらい気持ちが透き通って、落ち着いている。さぁ、終わらせよう。苦悶に満ちた十八年も、お父さんとお母さんの努力も、他のみんなの想いを背負うこともみんなみんな終わらせよう。あとに残るのは私という人間の誇りと清められた私という記憶だけ。
家に帰るとお父さんとお母さんと妹の響香が既に食卓に座って待っていた。
「おかえりなさい」
お母さんが言って、椅子をひいてくれる。
「ただいま」
私が腰を掛ける。
「田中さんからお刺身を頂いたからちらし寿司にしたわ」
そういって、私のお茶碗にたくさんよそってくれる。私の好きないくらもたくさん入っている。
「ありがとうございます」
そう言ってわたしはお茶碗を受け取った。目の前でお父さんとお母さんと響香がわたしを見ている。二人が口をつけようとしないのでわたしも気後れしてしまって箸を付けられない。
「私達も食べようか、よそってくれないか」
そう、お父さんがお母さんに言った。わたしのお茶碗よりもだいぶ少なめのちらし寿司が三人の茶碗によそわれる。
「「「「いただきます」」」」
妙に改まって親子四人で手を合わせる。
ちらし寿司に箸をつけると自然と口が開いた。今日の職場の話、普段以上に丁寧に仕事を納めてきたこと。お父さんが職場でわたしのために清酒をいただいたこと。普段通り何気なくするおしゃべり、言葉はなくても互いに通じあってる。もう十八年も続けてきたことなのだから。
いつもどおり、いつもより少しだけ豪華な食事を終える。お母さんがいつもどおりお風呂に入りなさいっという。今日は一番風呂よっと。身も心も禊ぎなさいっと言葉にならない想いがわたしを貫く。相変わらず、少しだけ気後れしながらありがたくお風呂に入る。
ほっと熱めのお風呂に入って全身が高揚し、胸がトクントクンと音を立てるのを感じた。もしかしたら、天井から滴る水滴の音だったのかもしれないけれど、そんなことはどうでもよかった。ただ、わたしはひどく落ち着いてやすらいでいた。湯船の中で目をつぶったら寝てしまいそうなほどに。
お風呂から出ると食卓の上は片付けられてわたしの小さな荷物(アレ)と徳利とお猪口が置かれていた。黒を基調としてゆったりとした目立たない普段着のわたしにお母さんがアレを巻きつけてくれる。もちろんシャツの下、素肌の上に直接ベルトの様な革紐にたくさん括りつけられたアレを巻きつけてくれる。すこしだけくすぐったかった。
それが終わるとお父さんがアレを操作するための小さな端末を出して、わたしの目を覗きこんだ。わたしの目にも少しだけしゃがんだお父さんの黒い瞳が映る。それはとっても黒々として丸かった。ああ、きっとこれは黒い太陽なんだなっとわたしは訳の分からない事を考えてしまった。
お父さんがわたしの手を持ち上げて大きな男らしい指で包む。少しだけその手が暖かく感じた。一分か、もしかしたらもっとそうしてお互いの体温を感じていた。たぶんわたしもお父さんも離したくなかったからだと思う。だって、離してしまうっていうことは終わりの始まりなんだから。
それでも結局、全ては始まり、全ては終わる。お父さんの少し固い手が離れた時、わたしの手には小さな黒くて細長い端末が握られていた。事前にこれを作った人に説明を受けているから使い方は分かる。でも、なんだかお父さんの体温がうつったそれを最終的に壊してしまうことになると思うと少しだけ切なかった。
お母さんがわたしにお猪口を持たせてくれる。お父さんが徳利を傾けて一言。
「今まで有難うございました。障りなくお勤め果たされることを祈念申し上げます」
なんだかわたしはすごく恥ずかしくなって、少しだけ震えた声をからからの喉から絞り出す。
「今まで育ててくださって有難うございました。立派にお勤めを果たして見せます。爾後の事をどうかよろしくお願いいたします。
響香もお父さんお母さんのいうことをききなさい」
そう私は6つ年下の妹を抱きしめて、それから、わたしは初めてお酒に口をつけた。なんだか、とても甘い味がした。
そうしてわたしは十八年暮らしたアパートを出た。とても落ち着いた気持ちで。迷いはなく、後悔もない。只々冷静に終わりに向かってあゆみを進めるだけだと思っている。たぶん、ちょっとした狂気なんだと思う。わたし自身、もうとっくに自分も狂っているんだと思う。そして狂っているわたしを賛美するお父さんお母さんも周りの大人達もみんな狂っているのだと思う。でも、こんなにもみんなと一緒に狂えているんだから、それはやっぱり美しいし、美しくなきゃいけないと思う。そうしてこそわたしの死自体も美しく昇華されるんだと思う。
そう落ち着いて考えるとふつふつと頑張らなきゃという気持ちがわき上がってきて自然と足早になる。
まず、これもまた使い慣れた近所の駅から下り方面の武蔵野線に乗る。当局が万が一監視していたとしても怪しまれないようにまず新松戸まで乗って、それから常磐線に乗り換えて我孫子に、そこから成田線で千葉に。千葉で偽造した切符に持ち替えて一気に東京駅まで上る。
偽造切符が改札で引っかかった時だけはすこし冷やっとした。それでも、駅員は目で確認しただけで通してくれた。普段こんなことがないだけに、まさにこれこそ僥倖っていうやつなのだと思う。天さえも私を祝福してくれる。そうして最期に私は自治政府庁政庁舎を見ることの出来る位置にまで来た。
それは不気味に黒く光る二対のタワーだった。様々にライトアップされたそれと東京の夜景のおかげで見えるべき月はどこか虚ろに霞んでいた。ああ、こんなおぼろ月夜に私は御役目を果たせるのだ。そうして私はマンホールのふたを開ける。最期に名残惜しく星の見えない赤い空を見上げて、霞んだ月を一瞥する。
その時ふっと安心した。わたしのこれまで生きてきたこの街は星もうつさない空に囲われてきた。月さえ霞むそんな街と黒々となにもうつさない下水にどんな違いがあるというのだろうか。だから、わたしは何の抵抗もなく、何の悔恨もなく、安心して進める。
そしてわたしは下着の中に隠していた日の丸鉢巻を強くまいて地下におりることなった。下水道は悪臭にこそまみれていたけれど、いまのわたしには大したものではなかった。計画通り下水道を通り、共同溝を通じて自治政府庁舎の建物の敷地に入り込み、接続された換気ダクトをよじ登り始める。無計画な増改築の末に複雑に建物内部を張り巡らされた換気ダクトは臭くて不快ではあったけれども、怖くはなかった。狭いからこそ、ほとんど垂直の縦穴も比較的簡単な金具だけで静かによじ登れる。それだって、もう二ヶ月も練習し続けたことだったから、たやすくとはいえなくとも慣れたものだった。
ただ一つ、せっかく今日のためにきれいに洗濯してアイロンをかけてもらった服がほこりと虫の死骸などで汚れてしまうのだけが悲しかった。何度もゴキブリにぶつかり、あるいは体のあちこちを這い回られ、不快な思いをしながらわたしは登り続ける。考えることも想うことも何もない、ただ無心で目指す。いつだったかのリモコン飛行機を思い出す。今のわたしはあの飛行機だ。戻ることなど考えもせず、ひたすら目標を目指す。ときどき、ダクトの割れ目から見える明かりだけがわたしの目をくらませる。
一体どれだけたっただろうか。這い上がる指が痛んだ後に感覚を失い、引きつり続けた腕の皮が擦り切れて血が滲み続けた後、ダクトの口から漏れてくる光と内部の闇の格子を何度となく越えて私はついに目的の部屋についた。
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