【メフィスト賞選評作品】上海千夜一夜物語

すえひと

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第三連

第三連・転句 構造的抵抗統制機構 (下)

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第三連・転句 構造的抵抗統制機構 (上)

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その部屋はほかの私がのぞいてきた部屋とは全く違った部屋だった。ベッドがあり、調度があり、落ち着いた壁紙と高そうな机も置かれている。

革張りのソファにでっぷりと写真で見た男の人が座っている。林豹、公安のトップ。わたしの標的。見るからに疲れ、憔悴した感じの男は茶色い液体の入ったグラスを傾けて何かを怒鳴っている。相対している面長の媚びたような人は自治政府主班の呉四桂、わたしも何度か写真で見たことがある。どうやら二人は口げんかの最中のようだった。

「一体いつになったら大日本復興会議と連絡がつくんだ」
「閣下、何度も申し上げておりますが、それは閣下のほうがお詳しいはずではないでしょうか」
「我が解らぬから、問うておるのだ。呉自治政府首相!もう一月近く、我が手元に彼らの情報は入ってきておらぬ」

つまり、わたしたちの情報がわからないから林は激情しているのだろう。もしかしたら、それとなくわたしたちがテロを実行するのではないかと察していたのかもしれない。とにかく、私の小柄な体では林に組み付いたところでもう一人の男に引き剥がされてしまうのではないだろうか。確実に林を終わらせるために、私は彼が一人になるのを待つことにした。

「わかっておるのだよ、呉君。君は香港中央大学出身だそうだね。香港中央大学といえば上海一号大学とも繋がりが深いと聞いておるよ。それで君は上海閥と懇意なわけだ」

呉の顔色が変わる。
「誤解です。閣下、私をここに配置したのは閣下ではないですか。それに各種抵抗勢力は全て閣下の指揮下にあるはずです。つまり、あるはずのない罪をでっち上げるために閣下はこちらにいらっしゃったのですか」

「小僧が、よく言うたな。越南自治区で名誉の戦死が欲しいのか。もう一度聞く、大日本復興会議等の構造的抵抗分子は君の麾下にあるのだろう?ただ一言、認めてくれれば悪いようにしないよ?」

「閣下、私は出来ることなら全て閣下の指示に従います。だから、この前の化学兵器テロ事件もきちんと閣下の指示通り全て取り計らったではないですか。テロリストの身辺情報も全て閣下の国家公安委員会に提出致しました。私が情報を持っているいわれはないはずです」

「ふむ、我は君のことを本当に信用したいのだがね、現に我は彼らのまっただ中にありながら、彼らを支配できていない。この罪がどういうことかわかるだろう」

「閣下はきっと誤解をされているのです。おそらく小癪な倭人共は本当の闘争を行うために国家公安委員会との関係を断絶したのではないでしょうか」

「そのようなことはありえぬ。復興会議の複数の中心人物はもともと国家公安委員会の工作員であるというのに一体誰が祖国を裏切るというのか」

え、わたしたちの組織、そのトップに人民党の工作員がいる!?
心が揺れた気がした。にわかにめまいがする。嘘だという気持ちとこんな所で彼らが嘘を言うはずがないという気持ちが衝突する。どうすればいいのだろうか。とにかく少しでも情報を集めなくては。最終的に死ぬべきか否かを決めるために。

「では、ますます私には如何ともできません。閣下、どうか冷静になってください」
呉自治政府首脳がすがるように言う。

「我は冷静だ。とにかく君が知っていることは全て言い給え、
さもないと 」

そう言うと林は呉の胸ぐらを掴み上げると、懐から拳銃を出して呉の下顎に突きつけた。私の位置からでは、林の表情は見えないけれども、呉の恐れおののいたような恐怖の表情だけはよく見える。

「ここで略式処刑とする。どうせこの後逮捕された所で何年かぶち込まれるだけだ、叛乱分子に殺されるよりマシだ」
「どうか、どうか落ち着いてください」

銃口が呉の下顎にえぐるように押し付けられている。ぐりぐりと銃口を顎に押し付ける林。状況は沈黙する。呉の視線が一瞬逡巡した後、心を決めたかのように、ふうっと肩が下がる。力が抜けたのだろうか。もう観念したというふうに諦めた表情で呉が叫ぶ。

「分かりました。すべてお話します。だから、それをおろしてください。それから、打ち明けたからには私の身を保護してくださいよ」

「わかった。だが、銃を下ろすのは話が終わった後だ」

さらに銃口が深く押し付けられる。その震え具合から林の指に相当力が入っているのが見て取れる。

「先月の中頃、国防委員会委員長の劉正旗閣下と中央政治局長の李刻強閣下の連名で極秘指令書が届きまして、統一戦線中央工作部は以後国防委員会の国家安全部に移行になったから、そちらの指示に従うようにっと。
銃を下ろしてください。指に力が入っています」

林は止まったかのようだった。一瞬天を仰いで、すぐ後に掴んでいた呉の胸ぐらをもって投げ飛ばした。衝撃で近くの椅子が倒れ、呉は壁にたたきつけられる。頭をかなり強く打ち付けたようで後頭部から痛そうな出血がある。

「巫山戯るな!統一戦線中央工作部は国家公安委員会の管轄のはずだ。何の権限があってそんなことができるのか、ええ?呉、貴様わかるか?」

倒れて血を流しながら俯いている呉に林が怒鳴りつける。怒鳴りつけられた自治政府首相はゆらゆらと後頭部の出血を手で抑えながら立ち上がる。

「わ、私にはなんとも。こんな所に私を左遷させたのは閣下ではありませんか」

椅子を立てなおして、そこに座ろうとしながら呉が言う。

「貴様、その指令書は保存してあるか?」
「は、はい。私の執務室の金庫の中に」
太った巨体を林がソファにあずけながら、グラスに酒を注ぐ。
「貴様、左遷されたといったな?中央に帰りたいか?」
「も、もちろんです。こんな退屈な場所では子どもの教育すらまともにできませんから」
「協力しろ、そしたら北京に返してやる。かわりに、貴様の持つ上海閥の資料を全て差し出せ。我が中央に帰ったらすぐに国務委員会を一掃してやる。そしたら、貴様も中央の、そうだな科学技術委員会の委員長くらいくれてやろう。子どもも聖和大学に推薦してやろう。
だが、その前に書類を取りに行くぞ」
「は、はぁ」

そう言って二人は椅子を立とうとする。しかし直後、林豹は止まって言う。

「貴様が最後に統一戦線中央工作部の命令を受け取ったのはいつで、何だった?」

呉はまずいという様な顔をして震えながら言う。

「今晩中に偽造切符をもった若い女性が鉄道を使うであろうから、これを黙認せよと。四時間ほど前に、確かに実行確認の報告が入りました」

言い終わるやいなや、林の拳が呉の顔をえぐるのがみえる。鈍い音がして呉が再び吹き飛ぶ。
私は嫌な汗が湧き出してくるのに気がついた。つまり、僥倖と見えたのはそれ自体罠だったということなのか?もはや逃げられない?それならばここで?生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪科の汚名を残すことなかれ?いや、まだだ、まだ罠だと決まったわけではないんだから。落ち着いて、落ち着いて、わたし。

「貴様、それは既に賊逆が内部に忍び込んでいるということではないか、すぐに東部軍管区に連絡して、政庁舎を捜索しろ!!」

「し、しかし、駐留軍は国防委員会の管轄のはずです。今連絡しては、閣下にもまずいのではないでしょうか」

「畜生め!本当にこの部屋は十分に守られているのだな」
「はい、それはもちろん。閣下ご自身の麾下の武装警官隊で守られているはずではないですか」
「仕方ない、現状武装警官を動かして奴らに我が動きを察せられるとまずい」
「とにかく今回の訪問中、貴様は我と常に一緒にいろよ。いろいろ聞き出してやるから」

そういって、林豹は酒を煽る。再びの沈黙が場におちる。すこし彼自身も落ち着いたようだった。これはまずいことになったと感じる。これでは結局林豹一人にはなりえない。

ではいっそいますぐ飛び出してどちらか片方でも殺すべきだろうか?いや、まだだ、焦るな。もしかしたらどこかでトイレに行くかもしれない、何かの所用で呉が部屋を出ることもありえる。日の出までまだ四時間以上ある、うまくいけば二人が寝るかもしれない。
10分ほどした。

沈黙に耐えられずに呉がまだ出血している頭を抑えながら、おそるおそる林に話しかける。

「あ、あの、閣下はなぜ大日本復興会議などというものを残しておられるのでしょうか?我々は彼らを潰すのに十分な情報を内外からすでに持っているのではないでしょうか。さっさと潰していれば今回のようなことにならず済んだのではありませんか」

「呉四桂同志、君の大学時代の専攻は何だった?」
「市場経済的社会主義経営における統制的競争原理ですが、それが何か」
「では知るまい。我は行政哲学の監視構造を専攻した。だから我ほど構造的抵抗統制機構をうまく扱える人間もいまい」

「構造的抵抗統制機構?」
「ああ、そうだ。実に逆説的なことではあるが、統制できる反逆者は非常に有用なのだよ。まず、前提として賊徒というものはどんなにうまく統治したとしても存在する。これは二十世紀における様々な国において実証されていることだよ。カルト宗教や宗教原理主義者の台頭、猟奇的殺人はどんなに世が平和であろうとも存在するのだよ」

そう言って林は酒を煽りながらゆっくり話し始めた。わたしが聞いているとも知らずに。

「しかし、彼らにわざわざ組織を作らせ、法を犯しやすくする意味は何が在るのでしょうか」
「そう、そこが肝だよ。もし我々がそういった奸賊共に予め組織を与えてやらねば、彼らは自ずから我々の管理の外に不逞の輩を集め、法を犯し、国を傾けるだろう。『小人閑居にして不善をなすがごとく』と言うではないか。だからこそ、統一戦線中央工作部は不穏分子たちのためにわざわざ組織を与え、彼らに適度に法を犯させてやるのだよ」

「しかし、それでは人民の我らが党と国家に対する信頼が緩んでしまいます」
「逆だ、彼らがテロルに訴え、暴虐を尽くし、人民を恐怖させればさせるほど、人民は党に頼らざるを得なくなる。国家を信じなければならなくなる。そして警察は適当な人間を二、三人犯人としてぶち込めば、人民は党の正当性を疑うことはなくなる。国家権力はますます強化される。そしてこの副次的作用として、こういった愚かな反逆者どもは自分たちの大義名分のもとに、我々中央政府に目障りな役人や権力争いの落伍者共を処分してくれる。大変結構な存在なのだよ。

賊逆達を管理でき、国家の正当性を強化し、さらに非合法な活動を我らの代わりに行うように誘導できる。一挙両得どころか一挙三得ではないか」

そう言い終わった瞬間、突然林豹の顔がこっちを向いた気がした。目があった気がした。そんなはずはないのに、林豹は何かを探すかのようにあちこち見て回り始めた。

わたしはここが引きどきだと思った。どう考えてもいまわたしがきいた情報はわたしの命よりも価値がある。むしろここでわたしが彼らを殺したとしても、それは北京を喜ばせるだけのことだ。わたしは静かに後退りし始めた。


それから数時間はひたすら無我夢中だった。とにかくバレてはいけない。しずかに、しずかに、そっとそっとおりていく。最終的にわたしがみんなの待つアジトに帰ったのはちょうど朝日が登り始めることだった。くたくたに汚れて身も心もボロボロになりながら地下駐車場に非常口から入る。お父さん、お母さん、それに山田さん、それに何人かがラジオを小さくかけながら待っていた。

すぐに、お母さんがわたしを見つけて抱きしめてくれる。その抱擁を感じるか感じないかの内に山田さんがわたしとおかあさんを引き離す。まず、事情の説明が最初だと。だから、わたしは話した。あんまり難しいことを話すのは慣れていないけれども精一杯見聞きしたことを言葉を尽くして説明しようとした。

怖いのはみんなの目だ。初めは優しかった、それなのに、林と呉の会話の話になると少しずつみんなの顔色が変わっていった。初めはわたしたちの内部に裏切り者がいるということへの恐怖だと思ったけど、だんだんにそうじゃないことがわかってきた。そして、最後に山田さんが言った。

「証拠は?」

っと、そんなことを言われても、わたしには何もない。聞いたことを伝える以上にわたしに何かできることがあっただろうか。そんなことは不可能なのはみんなわかっているはずなのにだれも、何も言わなかった。みんなの目が冷たかった。

お母さんがよってきておもいっきり手を振りかざす。視界が一瞬反転する。ビンタの甲高い音が地下駐車場に響きわたる。

「我が身可愛さに仲間を売っておめおめかえってくるような恥知らずに育てた覚えはないわ」
そしてお母さんは叫ぶように泣き始めた。お父さんが駆け寄ってなぐさめる。そして振り向きざまにお父さんが言った。

「出て行け、もうお前はうちの子どもじゃない」

そういったお父さんの目は底知れない悲しみと、恐怖と、少しの喜びの片鱗が見えた気がした。それはまさしく黒い太陽だった。

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