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第4連
第四連・結句 世界の車窓から
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View point of張楚歌
楚歌は黒い窓に写った自分の惨めな顔を見ていた。単調な車両の振動の中で、宵闇の硝子に反射したのは惨めな豚のような自分の顔だった。しかたがない。ふぅっとため息をつく。この顔こそが今の自分の罪なのだ。中華人民としてふさわしからざる肥満体、自制心の欠如、欲望の暴走の予兆。いくらでも非難はできるだろう。実際数年に渡り警告されながら自分自身の欲求を抑えられなかったのは事実だ。この日がもう四年早く来てもおかしくはなかった。
上海道路委員会の委員長だった父もお世辞にも痩せているとはいえない体型だった。僕の目から見ても肥満だと思う。それ故、先日の監査に引っかかり自己批判を要求され、職を追われた。今までだって数年と言わずあの体型だったのだから、いつ追及されてもおかしくはなかったはずなのに。おそらくは政治力と財力で以って当局の追及を抑えてきたのだろうと思う。
変わったのは先々週の林豹が北京に戻った時だ。職権乱用と贈収賄で党中央から上海閥が一掃されてしまった。たった二週間だった。その間に話題になっただけでも数百人、全体では数十万人が自己批判を要求され、職場を追われていった。北京の中央政府から同心円上に行われた当局に都合のいい『腐敗撲滅』は粛々と進行し、二週間で上海に到達した。
正直、この規模の政変は自然災害のようなものであり、どうしようもないと僕は思った。父が突き上げられたのは仕方がない、もはや上海で抵抗できるのは天衣の父親ぐらいだろう。しかし、彼女の父は清廉潔癖で知られる数少ない人物、まず僕の父のような人間を助けるわけがないだろうとも思う。
口惜しいのは唯一つ、あの時学校で全校生徒が罵詈雑言を投げかける中で、天衣達二班も当然のように僕に罵声を浴びせていたことだった。あの状況では仕方がなかったかもしれない。しかし、それでも彼ら彼女らが、今までの人生の半分以上を分かち合った同輩たちが躊躇なく突き上げるのは、どうにも気分が良くなかった。悲しかった。ただただ、その寂しさが体を冷やした。いつだったかトウキョウで体験したラストミッションを思い出させる。誰も僕を理解してくれはせず、誰も僕を助けてはくれない。孤独という氷の檻の中で僕は虚しく叫ぶ。どうしてこうなったっと。世界は虚しく答えない。
列車が止まった、腕時計を見れば深夜十一時過ぎ、おそらく四川か黒竜江、最悪雲南の再教育施設に送られるはずだから、まだ時間はあるはずだ。ホームに立てられた『徐州』の文字を見ながら僕は何度目かの悪夢を再び思い出す。まだ精々一日と少ししか経っていない。なんという短時間、記憶は薄らがない。
突然名前を呼ばれた気がした。やはりだ、何度も何度も繰り返される。長年染み付いた習慣に従って僕は名前を呼ぶ大人の方に駆け出す。何度も確認され、人民番号や学生証を記録される。華南一体の再教育者達を乗せた列車の中で僕だけが呼び出された。一体何が始まるのだろうか。
疑問に思う暇もなく、ホームに降ろされる。僕だけが何処か別の場所に送られるらしい。僕は急に暗々とした恐怖に駆られた。全く自分らしくない、こんなに怯えるのは。いつだって、それこそ肥満を指摘された時だって超然として受け流してきたのに。結局力には逆らえないのだから。
そう考えると更におどろおどろしい気分になる。自分や自分よりもずっと強大で強力な権力が我が家を吊るし上げたのだから。だから、その力が我が家だけを目の敵にして粛清したとしても全く不思議なことではない。このまま停車場から降ろされ、路傍の草むらに立たされ、後ろから拳銃で一撃。そんなことを考えて嫌になる。
さっきの列車に自分のような立場の連中は何人もいたはずだ。少なくとも南京の監査庁長官の息子は見かけた。それならば自分だけがここで消されるのは理に合わない。
思えば今回の移動は混乱続きだった。学校での弾劾の直後すぐに列車に乗せられるかと思えば、まず
上海第一学校の体育館に集合させられ、そこで五時間も待たされた。その後で駅に移動し列車に乗せられたが、列車の発車まで更に三時間かかった。その上発車すると列車はまず杭州に向かいそこで更に五時間停車して、寧波にむかった。結局寧波でも三時間以上停車し、それから北上して南京で更に数時間止まった。五十両以上あるらしい客車が無座まで全て埋まり列車は走り始めた。
もううんざりだ。そう考えていると再び名前を呼ばれ、停車場を移動するように命じられた。十分ほど歩いて指示された停車場に着いた。そこは高速鉄道の停車場だった。まだ列車は来ていない。黒々と夜の帳が下りたのとは対照的に、駅舎の中は光々として真闇の中から続いている二条の軌条が鈍く光っている。
一時間も待っただろうか。相変わらず、不安の中ですくんだままの僕の目の前に高速列車が滑りこんでくる。『和諧号』と朱く号された車両に鈍い苦笑を浮かべながら僕は命令された座席に座る。先ほどまでいた列車と比べるとずっと快適で柔らかな座席。夜更け過ぎのこんな時間に鉄道に乗る人もそれほどいないのか客席はまばらにうまり深々とした沈黙の中、列車が滑り出す。
幾度か車掌が電子切符を身分証から読み取りに来るが、僕が目的地を訪ねても教えてはくれない。何度か車内販売が静まり返った車内を賑わし、そしてすぐに沈黙が戻った。
夜は更ける、列車は進む。車内の電子停車駅表示からこの列車が北に向かっていることは確認できた。では、僕の行き先は黒竜江省の再教育施設なのだろうか。けれども、そんなことのために高速鉄道を使うとは考えにくい。
積み重なる不安と、重い頭を抱えてようやく僕はうつらうつら船を漕ぎ始めた。
ふと気が付くと朝日が昇り始めていた。止まった駅の表示には『沈陽』と書かれている。車内の電子停車駅表示には『平壌』や『漢城』といった見慣れない地名が並んでいる。どうやら列車は朝鮮半島の楽浪省に入るようだった。午前七時を過ぎる頃から少しずつ乗客が増えてきて昼過ぎには『釜山』についた。未だに車掌は僕のことを横目に見ながらなにも言いはしない。
釜山から最近出来た海峡トンネルを入ったらしく窓の外は暗くなった。午後二時過ぎに倭自治区に入ったようだった。ようやっと電子停車駅表示に終点が表示され、『東京』となっている。これは一体どういう偶然だろうか。僕は混乱した。もはや想像すらできない状況に追い込まれ、ただもうしかたがないので寝ることにした。疲れていたのか眠りこけてしまい、すっかり夕暮れの東京駅に列車がはいる頃には目が覚めた。
東京駅で再び官吏に呼び出され、そのまま公用車で港に連れて行かれた。聞けば、どこかの離島の方に送られるらしい。要は手の込んだ流刑というわけなのだろうか。不合理な状況に戸惑いながらそう結論を下す。もう考えるだけ無駄なのだ、運命は天のみが知っている。
貨物船に乗せられる、船員用の硬い床を与えられる。翌朝に目的地の青ヶ島に付くという。
翌朝早く、僕は許可をとって甲板に上がることができた。見えてきたのは朝日に照らされた奇妙に緑色の島だった。全体がすり鉢状の緑々たる山であり、ところどころに黒々と石のトーチカがのぞいている。確かに流刑地の様だった。でも美麗だとも思った。まぁ、ずいぶん長い旅行をしてきたわけだから自然に出てくる感動の現れなんだろう。
入港するとまず、乗船していたらしい兵たちが展開し、続けて船員たちが物資の積み下ろしを始めた。物資の引き受け手は誰もいないまま。ただ桟橋付近に置かれたトレーラーの荷台に黙々とコンテナをのせていく。二十個程度のコンテナが積み下ろされ、僕はそのトレーラーの付近で待機するように申し渡された。二時間ほどの積み下ろしの間、島の人間は誰一人顔を見せず、そして船は僕を置いて出港してしまった。
船が出港して少し経つと、どこからともなくばらばらと何人かの男女が現れた。話しかけるが通じない、どうやら中国語が通じないようだった。ますます僕は混乱した、ここは日本なのに。そしてそこまでいってやっと電脳世界と現実世界が一致した。
誰かに肩を叩かれた気がした。振り向くと二十代後半ぐらいに見える痩せ型の男性が立っていた。頭にはシンプルなヘッドフォンとマイクの付いたヘッドセットをつけている。そして同じものを僕に差し出してきた。つまり装着しろっと。その命令を理解した僕は考える間もなくそれを頭にかける。
「はじめまして楚歌さん、いや、久しぶりですかね」
マイクを通して翻訳された言葉で男はそう言って、はにかんで笑った。ああ、電脳世界と同様にやはりそういうふうに彼らは笑うのかっとそう思った。そして、疑問を口にする。
「はじめまして、ここに来るのは初めてだけど?」
「まぁ、私とは既に会っているのですが、心当たりないでしょうか」
そう言われても、トウキョウで会った男性はハクぐらいだし、この男性はそんなに若くも見えない。
「そうではないかと思っていたのですが、やはりそうですか。
ほら、私はオモウです。いっつも私のお尻見てたじゃないですか」
「え!?ええええ!?哎呀(アイヤー)」
思わず口から言葉にならない叫びが漏れる。いやいやいやいや、だってオモウは若い女性で、目の前にいるのは大人の男性だ。
「ちなみに、私は一目でわかりましたよ。やはり、アバターに関する規制が大陸はずいぶん厳しいようですね」
「え、だって男じゃないかぁぁぁ」
「そうですよ、現実の性別は男ですがそれがなにか?」
そこまで聞いて思い出す、彼らにとって性別は問題ではなかったのだ。随分前に人工出産で人口をまかなっていることは聞いていたのではないか。ということは確かに現実の性別は関係なく、それ故アバターの性別と現実の性別が一致している必要もない。結果として現実の男性同士が電脳世界で女性同士のアバターで愛し合って恋をしたとしても全くおかしくはないということになる。
「これは詐欺だぁぁぁぁ!僕は男の尻を見て欲情してたのかぁぁぁ」
僕の叫びに、中国語の分からない周囲の日本人達が奇異の目で見ている。
「別にここでは特別なことではないですから、よかったらエロい桃尻の作り方教えますので自分で作られたらいかがでしょうか」
そう男は女のような言葉遣いでいった。
「トレーラーの荷台に乗ってください。案内しますから」
そういってコンテナがのせられたトレーラーの上に座るように言う。
「確かに、文化の差はあります。でもじきになれますよ。昨日ウツツさんとお話していたのですが、もし楚歌さんがよかったら私たちのギルド『夢現』に入っていただけませんか。おそらく、今後楚歌さんにもトウキョウサーバーの運営の方にも混乱が予想されますので」
それは構わない。構わないのだけれども、オモウの現実の姿と電脳世界での姿が重ならない。確かに言葉遣いは同じだし、ヘッドフォンを通じて聞こえる声もオモウのものだけれども、その差異に違和感が払拭されない。
まったく、ここ数日色々ありすぎて、『そういうものだ』っと流せなくなってしまったようだった。
恐る恐る僕は聞く。
「ウツツやカリの現実の性別は?」
「うちのギルドは全員男です。現実世界の男性は女性のアバターを好み、現実世界の女性は男性のアバターを好む傾向があるようです。まぁ、一般論ですが」
知りたくなかった…。上海からトウキョウまで何千キロも旅をしてきて自分の想い人が男だなんて知らされるのはあまりにも理不尽だ、割り切れない。
「あ、つきました。おりてください。エレベーターに移動しますね」
そこは巨大な倉庫のような場所だった。クレーンを使ってコンテナを車から降ろしているのを横目にオモウは僕を壁際のエレベーターに案内する。
「えーと楚歌さんのお部屋は地下25階のB2列の甲C 行みたいです。このメモなくさないでください」
そう言って紙を渡すと、オモウは何の装飾もない無骨な業務用エレベーターを操作し始めた。エレベーターは数字入力式になっているようで一体どれだけの階層が積み上がっているのか想像もできない。
一分ほど後、エレベーターは止まる。
扉が開くと見えたのは純白に塗り固められた巨大な部屋であり、等間隔ごとに無数のやはり白い棺のようなサイズの長方形の箱が置かれている。
「えっと、B列、B列、あったあった」
オモウは箱の上部に赤く書かれている番号を読み取っていく。そしてやがて、
「ああ、これです。楚歌さんの部屋ですよ」
一つの箱を指し示すとタッチパネルを操作して蓋を開けた。内部はマットレスのようなものが敷かれて快適そうではあった。
「はいりますかね?まぁ、初めは窮屈でもすぐに痩せますよ。電脳空間でいくら食べても、現実で供給される栄養分は一定ですから。あと、狭そうに見えるかもしれませんが、ウレタン繊維で出来ていてふかふかなので案外広く感じますよ」
そういうと、ぽんぽんとその床を叩く。その女性らしい動作に胡散臭いものを覚えながら、僕は横になり次々と指示される装備をつけていく。最初に静脈に栄養補給用の管(くだ)を差し込むプラグを埋め込む作業だけが少し痛かったけれど、それ以外は特別なこともなかった。最後にフルフェイス型のコンピューターをかぶり、オモウが僕の棺の蓋を閉じる。
すぐに僕の脳に映像情報が流し込まれてきた。白く輝く美しい字体で表示されたのは、
『世界起動中……』
の文字だった。日本語か中国語かは判らない。
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