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プロローグ
稲荷寿司
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時々、異世界から落ちてくる者たちがいる。
『鬼』『河童』『天狗』『化け猫』『狼男』『吸血鬼』『半魚人』などなど、太古から妖怪やモンスターなどと言われていた存在だ。
中には外見は人間そっくりで、自然と人間と混じり合って暮らしていた種族もいた。
現代では彼らは世界規模の条約によって保護され、一般人には気付かれないように暮らしている。
日本では太古から彼らとの付き合いが深いという理由で、いくつかの神社が国から保護を任されていた。
とある県、とある市にある稲荷神社。
その神社の裏側、広い境内の中に建つ『おいなり荘』もそんな保護施設の一つだ。
鬱蒼とした鎮守の森に囲まれた二棟のアパート。
それは大正時代に建てられたという、どこか数寄屋造り風の木造平屋の旧館と、近年に建てられた鉄筋鉄骨コンクリート造三階建ての新館に分かれていた。
「汗ばむ季節になってきたなぁ」
駒井ビクターは『おいなり荘』に向かう石造りの階段を上っていた。
裏手とはいえ神社の境内にあるため、『おいなり荘』は少し高い位置にある。どの道を通っても必ず階段を上らないといけなかった。
大きな身体と灰色がかった髪と目。
身体が大きいため便宜上、外国人とのハーフという事になっているが、彼もまた『落ちてきた者』だ。
石造りの階段を上り切り、アパートの敷地に入ると、突如として彼の姿が変わった。
大きな身体は変わらないが、その全身は灰色の獣毛に覆われ、口元は長く伸びて牙が並んでいる。
おまけに頭の上の大きな耳と、尻から垂れた大きなシッポ。
狼男もしくはウルフマンと言われる存在がそこにいた。
アパートの敷地は特殊な結界になっていた。
この結界の中には許可された人間しか入れない。
そして、この結界の外に出た『落ちてきた者』には、人間と変わらない姿に見える幻術がかかるのである。
なんでも、平安時代に落ちてきたエルフの魔術師が作った結界をベースに、その教えを受けた日本人がアレンジを加えて作ったものらしい。
細かく説明は受けているものの、前の世界でもあまり魔法に接していなかったビクターには理解できなかった。
とにかく、一般人は中に入れなくて、自分たちが外に出れば人間に見えるという便利機能があるということだけ理解していた。
「駒井さん、こんにちは。今日のお昼は何か作るんですか?」
アパートの庭を掃除していた若い女性が声をかけてくる。
「奈々子さん、こんにちは。今日は稲荷寿司です」
「ああ、えーと、七年でしたっけ?」
ビクターが稲荷寿司と言った途端、女性は手を止めて少し考えてそう返した。
「そうです。七年です」
ビクターは狼の顔で不器用に笑顔を作る。
掃除している女性は普通の人間だ。
ここの管理を任されている一族の者で、ビクターが呼んだ通り名前を奈々子と言った。
「もう七年ですかぁ。早いものですね」
「奈々子さんがまだ中学生の頃ですもんね」
「年の話は禁止です!」
そう言って、奈々子はこぼれる様な笑顔を向けた。
七年……それは、ビクターが落ちて来てからの年月だ。
七年前の今日、ビクターはこちら側の世界に落ちてきた。
要するに、今日は落ちてきた記念日だった。
駒井ビクターという名前も、その時にもらった。
駒井というのは『狛犬』から来ている。ビクターは昔の人は知っている、あの蓄音機に耳を傾けている某メーカーのマスコットから来ている。
どちらも犬繋がりだ。
狼男の名前にしてはふざけている感じはするが、ビクター自身は気に入っていた。なにせ、名付けてくれたのが一番大好きな人だったからだ。
ニコニコしながら名付けてくれたのを、今でも鮮明に覚えている。
それから他愛も無い話を奈々子としてから、ビクターは自分の部屋へと帰った。
ビクターの部屋は旧館、数寄屋造り風の木造平屋にある。
新館の方に移る話も有ったが、少し暮らしにくいながらも温かみのあるこちらの方がビクターは好きだった。
それにこちらの部屋ならガス台も三口だったのだ。
今は流し台ごと新しくなりIHヒーターに入れ替わっているが、それでも設置スペースの関係から旧館でないとグリル付きの三口のIHヒーターもそれに合わせた新しい流し台も入らなかった。
自炊を半ば趣味にしているビクターにとってそれは重要だ。
「さて作るか!」
部屋の流し台の前に立つと、ビクターは気合を入れた。
油揚げと干瓢はすでに仕込んであり、ご飯も炊きあがっていた。
油揚げはまな板の上に置いて、その上で擂り粉木を扱く様に何度か角度を変えて転がして油揚げの中を柔らかくして開きやすくしておく。
その後、油揚げを切って袋状に開くのだが、ビクターは大きい稲荷寿司が好きなため、正方形の油揚げを三角には切らず、一辺の端だけ切り落として巾着を作る時の様に開いた。
開いた油揚げを一度お湯で茹でて油抜きをする。
この時、切り落とした部分も勿体ないので一緒に油抜きをする。細かく刻んでご飯に混ぜ込んで具にするためだ。
油抜きをした後、優しく絞って水を切っておく。
干瓢は軽く洗ってから、水戻し。
真っ白に漂白されている物だと漂白剤を落とすために軽く茹でた方が良いらしいが、ビクターが買ってくるのは農協の直売所の物で漂白剤など使用されていないので気にせず使っていた。
次に油揚げと干瓢を煮るのだが、ビクターは干しシイタケと昆布の出汁で、甘辛く煮るのが好きだった。
干しシイタケと昆布の出汁は、少し前にそうめんつゆを作る時に作って冷凍しておいたものがある。出汁を取った干しシイタケをそのまま甘辛く煮て入れるのも好きだが、今回は諦めた。
鍋に出汁と、薄口しょうゆ、酒、砂糖を入れ、好みの味に調整する。
そこに油揚げと干瓢を入れ、キッチンペーパーで簡易落し蓋をして十分ほど煮た。
朝にこれだけの作業をして冷まして味を染み込ませていたので、そちらの準備は万端だ。
ご飯も昆布出汁で堅めに炊いてある。
「おっと、先に油揚げをザルに上げとかないと」
そう言いながら、下にボールを置いたザルに煮て味が染みている油揚げと干瓢を移す。
余分な水分を切るためだ。
「寿司飯寿司飯♪」
独り言を言いながら、炊きあがっているご飯を炊飯器の内釜ごと流し台に持ってくる。
料理番組などならボールにご飯を移して酢飯作りをするのだろうが、洗い物が増えるだけなのでやらない。
寿司飯に使う酢は新生姜の甘酢漬けの酢の再利用だ。
もったいないというのもあるが、生姜の香りの付いた酢を使うのがビクターは好きだった。それにわざわざ寿司酢を作る手間も省ける。
今回はやらないが、気が向いた時は寿司飯に刻んだ新生姜の甘酢漬けを入れても美味い。
一度、甘酢漬けの酢の味見をして、少し甘みが足りないために器に取って砂糖を足した。
それを炊飯器に直接注ぎながら混ぜていく。
量は混ざったご飯の味を見ながら微調整。
ビクターの料理はいつも味見をしながらの微調整のため、決まった量は無い。むしろ量を教えてくれと言われると混乱するだろう。
教えてもらった時からそうなのだから、他のやり方がなかなかできない。
寿司飯を作ったら、干瓢と油揚げの切り端を刻む。
そして、それを寿司飯に混ぜ込む。この時に白胡麻もたっぷり混ぜ込んだ。
「少し冷まして……あ、山椒稲荷寿司も食いたい……」
ふと思いつき、少しだけ変更。
思いついたのだから仕方ない。食べたいと思った以上は妥協はしない。
春に茹でて冷凍してあった実山椒を取り出し、油揚げを煮た汁で軽く煮た。
酢飯を半分ボールにとり、そこに粉山椒をおもいっきり振りかける。粉山椒は丸ごとのやつをミルで挽くタイプだ。粉のやつを買ったらすぐに香りがとんでしまったため、それ以外ミルで使う前に挽く様にしている。
必死でガリガリと粉にしていく。実山椒が煮えたら、軽く汁けをきってそれも入れて混ぜる。
部屋いっぱいに山椒の良い香りが広がった。
「もう冷えたかな?」
寿司飯の温度を確かめ、もう十分冷えている様なので油揚げにご飯を詰め始めた。
油揚げは既に開いてあるが、詰めにくいのでご飯を一度軽く握って形にしてから詰めていく。
半分の三角に切らずに丸ごとの油揚げのため、詰めるご飯も多い。一個で小さなお握りくらいの量はあった。
思いついて、山椒を入れた方の油揚げは裏返してから詰めた。
「漬物欲しい……」
詰め終わってから、やはり箸休め的な物が欲しくなり、冷蔵庫を漁る。
瓜を薄切りにして浅漬けにしたものと、新生姜の甘酢漬けを出した。
「さて、食うか」
出来上がったら、食べるだけだ。
狼の大きな口から真っ赤な舌をはみ出させて、豪快に舌なめずりをした。背後では柔らかな大きなシッポが揺れている。
「おっと、その前に」
慌てて、小皿に稲荷寿司を各一個取り取り分け、ラップをかける。
そして、部屋を出て行った。
この旧館には広間がある。
元々全員集まって話し合いができる談話室として作られたものだが、今では利用する者も少ない。
そもそも、旧館に出入りする者自体が少なかった。
その広間には申し訳程度にお稲荷様の神棚があった。
普段は奈々子が面倒を見ているが、ビクターも思いついた時にお供えをしたりしていた。
「あんたの好物だ」
そこに稲荷寿司を供える。
「オレがここに落ちて来た日に、稲荷寿司を食べられたのもあんたのおかげだからな」
そう言いながら、軽く拝んだ。
ビクターが落ちてきて保護されたその日に『お稲荷様が好きだから、時々供えるのに作ってるの。残りを私のお昼にしようと思ってたんだけど、よかったら食べてね』と言って出されたのが稲荷寿司だった。
戦場で逃げ回り、極限まで腹ペコだったビクターは涙を流しながらむさぼる様に食べたのだった。
そのことが忘れられず、毎年この日は稲荷ずしを食べていた。
お稲荷様のおかげであの日に稲荷寿司と出会えたと言ってもよく、そのことをビクターは感謝していた。
「さて、オレも食べるか」
部屋に戻ったビクターはお茶を淹れて食べ始める。
自分好みの大きく甘辛い稲荷寿司を口いっぱいに頬張る。
山椒を入れたものは、口に入れた瞬間に良い香りでいっぱいになり、舌が痺れる感じも心地良い。
最初に食べた稲荷寿司は、中は刻んだ干瓢と胡麻だけのシンプルな寿司飯だった。
大きさも、三角に切った揚げで作った普通サイズだった。
寿司酢もちゃんと作って再利用などしてなかったと思う。
山椒を入れるのもどこかの店で売られているのを買って試して気に入ったからだ。
かなりビクターが自分好みにアレンジしてきたが、それでも稲荷寿司は稲荷寿司だろう。
お稲荷様にもそれなりに喜んでもらえるはずだ。
食べながら、そんなことを考えていた。
『鬼』『河童』『天狗』『化け猫』『狼男』『吸血鬼』『半魚人』などなど、太古から妖怪やモンスターなどと言われていた存在だ。
中には外見は人間そっくりで、自然と人間と混じり合って暮らしていた種族もいた。
現代では彼らは世界規模の条約によって保護され、一般人には気付かれないように暮らしている。
日本では太古から彼らとの付き合いが深いという理由で、いくつかの神社が国から保護を任されていた。
とある県、とある市にある稲荷神社。
その神社の裏側、広い境内の中に建つ『おいなり荘』もそんな保護施設の一つだ。
鬱蒼とした鎮守の森に囲まれた二棟のアパート。
それは大正時代に建てられたという、どこか数寄屋造り風の木造平屋の旧館と、近年に建てられた鉄筋鉄骨コンクリート造三階建ての新館に分かれていた。
「汗ばむ季節になってきたなぁ」
駒井ビクターは『おいなり荘』に向かう石造りの階段を上っていた。
裏手とはいえ神社の境内にあるため、『おいなり荘』は少し高い位置にある。どの道を通っても必ず階段を上らないといけなかった。
大きな身体と灰色がかった髪と目。
身体が大きいため便宜上、外国人とのハーフという事になっているが、彼もまた『落ちてきた者』だ。
石造りの階段を上り切り、アパートの敷地に入ると、突如として彼の姿が変わった。
大きな身体は変わらないが、その全身は灰色の獣毛に覆われ、口元は長く伸びて牙が並んでいる。
おまけに頭の上の大きな耳と、尻から垂れた大きなシッポ。
狼男もしくはウルフマンと言われる存在がそこにいた。
アパートの敷地は特殊な結界になっていた。
この結界の中には許可された人間しか入れない。
そして、この結界の外に出た『落ちてきた者』には、人間と変わらない姿に見える幻術がかかるのである。
なんでも、平安時代に落ちてきたエルフの魔術師が作った結界をベースに、その教えを受けた日本人がアレンジを加えて作ったものらしい。
細かく説明は受けているものの、前の世界でもあまり魔法に接していなかったビクターには理解できなかった。
とにかく、一般人は中に入れなくて、自分たちが外に出れば人間に見えるという便利機能があるということだけ理解していた。
「駒井さん、こんにちは。今日のお昼は何か作るんですか?」
アパートの庭を掃除していた若い女性が声をかけてくる。
「奈々子さん、こんにちは。今日は稲荷寿司です」
「ああ、えーと、七年でしたっけ?」
ビクターが稲荷寿司と言った途端、女性は手を止めて少し考えてそう返した。
「そうです。七年です」
ビクターは狼の顔で不器用に笑顔を作る。
掃除している女性は普通の人間だ。
ここの管理を任されている一族の者で、ビクターが呼んだ通り名前を奈々子と言った。
「もう七年ですかぁ。早いものですね」
「奈々子さんがまだ中学生の頃ですもんね」
「年の話は禁止です!」
そう言って、奈々子はこぼれる様な笑顔を向けた。
七年……それは、ビクターが落ちて来てからの年月だ。
七年前の今日、ビクターはこちら側の世界に落ちてきた。
要するに、今日は落ちてきた記念日だった。
駒井ビクターという名前も、その時にもらった。
駒井というのは『狛犬』から来ている。ビクターは昔の人は知っている、あの蓄音機に耳を傾けている某メーカーのマスコットから来ている。
どちらも犬繋がりだ。
狼男の名前にしてはふざけている感じはするが、ビクター自身は気に入っていた。なにせ、名付けてくれたのが一番大好きな人だったからだ。
ニコニコしながら名付けてくれたのを、今でも鮮明に覚えている。
それから他愛も無い話を奈々子としてから、ビクターは自分の部屋へと帰った。
ビクターの部屋は旧館、数寄屋造り風の木造平屋にある。
新館の方に移る話も有ったが、少し暮らしにくいながらも温かみのあるこちらの方がビクターは好きだった。
それにこちらの部屋ならガス台も三口だったのだ。
今は流し台ごと新しくなりIHヒーターに入れ替わっているが、それでも設置スペースの関係から旧館でないとグリル付きの三口のIHヒーターもそれに合わせた新しい流し台も入らなかった。
自炊を半ば趣味にしているビクターにとってそれは重要だ。
「さて作るか!」
部屋の流し台の前に立つと、ビクターは気合を入れた。
油揚げと干瓢はすでに仕込んであり、ご飯も炊きあがっていた。
油揚げはまな板の上に置いて、その上で擂り粉木を扱く様に何度か角度を変えて転がして油揚げの中を柔らかくして開きやすくしておく。
その後、油揚げを切って袋状に開くのだが、ビクターは大きい稲荷寿司が好きなため、正方形の油揚げを三角には切らず、一辺の端だけ切り落として巾着を作る時の様に開いた。
開いた油揚げを一度お湯で茹でて油抜きをする。
この時、切り落とした部分も勿体ないので一緒に油抜きをする。細かく刻んでご飯に混ぜ込んで具にするためだ。
油抜きをした後、優しく絞って水を切っておく。
干瓢は軽く洗ってから、水戻し。
真っ白に漂白されている物だと漂白剤を落とすために軽く茹でた方が良いらしいが、ビクターが買ってくるのは農協の直売所の物で漂白剤など使用されていないので気にせず使っていた。
次に油揚げと干瓢を煮るのだが、ビクターは干しシイタケと昆布の出汁で、甘辛く煮るのが好きだった。
干しシイタケと昆布の出汁は、少し前にそうめんつゆを作る時に作って冷凍しておいたものがある。出汁を取った干しシイタケをそのまま甘辛く煮て入れるのも好きだが、今回は諦めた。
鍋に出汁と、薄口しょうゆ、酒、砂糖を入れ、好みの味に調整する。
そこに油揚げと干瓢を入れ、キッチンペーパーで簡易落し蓋をして十分ほど煮た。
朝にこれだけの作業をして冷まして味を染み込ませていたので、そちらの準備は万端だ。
ご飯も昆布出汁で堅めに炊いてある。
「おっと、先に油揚げをザルに上げとかないと」
そう言いながら、下にボールを置いたザルに煮て味が染みている油揚げと干瓢を移す。
余分な水分を切るためだ。
「寿司飯寿司飯♪」
独り言を言いながら、炊きあがっているご飯を炊飯器の内釜ごと流し台に持ってくる。
料理番組などならボールにご飯を移して酢飯作りをするのだろうが、洗い物が増えるだけなのでやらない。
寿司飯に使う酢は新生姜の甘酢漬けの酢の再利用だ。
もったいないというのもあるが、生姜の香りの付いた酢を使うのがビクターは好きだった。それにわざわざ寿司酢を作る手間も省ける。
今回はやらないが、気が向いた時は寿司飯に刻んだ新生姜の甘酢漬けを入れても美味い。
一度、甘酢漬けの酢の味見をして、少し甘みが足りないために器に取って砂糖を足した。
それを炊飯器に直接注ぎながら混ぜていく。
量は混ざったご飯の味を見ながら微調整。
ビクターの料理はいつも味見をしながらの微調整のため、決まった量は無い。むしろ量を教えてくれと言われると混乱するだろう。
教えてもらった時からそうなのだから、他のやり方がなかなかできない。
寿司飯を作ったら、干瓢と油揚げの切り端を刻む。
そして、それを寿司飯に混ぜ込む。この時に白胡麻もたっぷり混ぜ込んだ。
「少し冷まして……あ、山椒稲荷寿司も食いたい……」
ふと思いつき、少しだけ変更。
思いついたのだから仕方ない。食べたいと思った以上は妥協はしない。
春に茹でて冷凍してあった実山椒を取り出し、油揚げを煮た汁で軽く煮た。
酢飯を半分ボールにとり、そこに粉山椒をおもいっきり振りかける。粉山椒は丸ごとのやつをミルで挽くタイプだ。粉のやつを買ったらすぐに香りがとんでしまったため、それ以外ミルで使う前に挽く様にしている。
必死でガリガリと粉にしていく。実山椒が煮えたら、軽く汁けをきってそれも入れて混ぜる。
部屋いっぱいに山椒の良い香りが広がった。
「もう冷えたかな?」
寿司飯の温度を確かめ、もう十分冷えている様なので油揚げにご飯を詰め始めた。
油揚げは既に開いてあるが、詰めにくいのでご飯を一度軽く握って形にしてから詰めていく。
半分の三角に切らずに丸ごとの油揚げのため、詰めるご飯も多い。一個で小さなお握りくらいの量はあった。
思いついて、山椒を入れた方の油揚げは裏返してから詰めた。
「漬物欲しい……」
詰め終わってから、やはり箸休め的な物が欲しくなり、冷蔵庫を漁る。
瓜を薄切りにして浅漬けにしたものと、新生姜の甘酢漬けを出した。
「さて、食うか」
出来上がったら、食べるだけだ。
狼の大きな口から真っ赤な舌をはみ出させて、豪快に舌なめずりをした。背後では柔らかな大きなシッポが揺れている。
「おっと、その前に」
慌てて、小皿に稲荷寿司を各一個取り取り分け、ラップをかける。
そして、部屋を出て行った。
この旧館には広間がある。
元々全員集まって話し合いができる談話室として作られたものだが、今では利用する者も少ない。
そもそも、旧館に出入りする者自体が少なかった。
その広間には申し訳程度にお稲荷様の神棚があった。
普段は奈々子が面倒を見ているが、ビクターも思いついた時にお供えをしたりしていた。
「あんたの好物だ」
そこに稲荷寿司を供える。
「オレがここに落ちて来た日に、稲荷寿司を食べられたのもあんたのおかげだからな」
そう言いながら、軽く拝んだ。
ビクターが落ちてきて保護されたその日に『お稲荷様が好きだから、時々供えるのに作ってるの。残りを私のお昼にしようと思ってたんだけど、よかったら食べてね』と言って出されたのが稲荷寿司だった。
戦場で逃げ回り、極限まで腹ペコだったビクターは涙を流しながらむさぼる様に食べたのだった。
そのことが忘れられず、毎年この日は稲荷ずしを食べていた。
お稲荷様のおかげであの日に稲荷寿司と出会えたと言ってもよく、そのことをビクターは感謝していた。
「さて、オレも食べるか」
部屋に戻ったビクターはお茶を淹れて食べ始める。
自分好みの大きく甘辛い稲荷寿司を口いっぱいに頬張る。
山椒を入れたものは、口に入れた瞬間に良い香りでいっぱいになり、舌が痺れる感じも心地良い。
最初に食べた稲荷寿司は、中は刻んだ干瓢と胡麻だけのシンプルな寿司飯だった。
大きさも、三角に切った揚げで作った普通サイズだった。
寿司酢もちゃんと作って再利用などしてなかったと思う。
山椒を入れるのもどこかの店で売られているのを買って試して気に入ったからだ。
かなりビクターが自分好みにアレンジしてきたが、それでも稲荷寿司は稲荷寿司だろう。
お稲荷様にもそれなりに喜んでもらえるはずだ。
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