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第二章

「アル兄ィ……初めて見る顔してる」

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 「くぅ……」

 耳を噛まれたアルベルトが声を上げる。
 自然と口が開き吐息が漏れ、わずかに頬が赤く染まっていく。

 耳はアルベルトが寝ている間に色々試して発見した弱点の一つだ。今、露出している部分では一番弱いところだろう。
 ナイは人間をよく知るために、日々実験を欠かさない。
 その実験には賢者ブリアックの夜の生活を見続けて蓄えた知識が生かされている。
 
 「うわぁ」
 「アル兄ィ……初めて見る顔してる」

 ネリーとヴァネッサは顔を手で覆いつつも、指の隙間からしっかりと見ていた。

 「……耳って、気持ちいいのか?」
 「あんなことして……一緒に住んでるんだからもっと色々やってるよな」

 モーリスとシモンは、若干前屈みだ。何か良からぬことを想像しているのだろう。

 「無事に片づけたのなら、もっといいことをしてやろう。具体的に言うと、交尾だな!」
 「死ね!淫乱猫!!」

 アルベルトはナイの腕を振り払い、小さな身体を放り投げた。
 ナイはその勢いのまま宙で身体を捻ると、バランスを崩すこともなく地面に降り立つ。
 その姿はまさに身軽な猫だ。

 「緊張は解けたか?武者震いはいいが、力が入りすぎるといらぬケガをするぞ?」
 「そうか、すまん」

 アルベルトは強く握りこんでいた拳に自らも気付いたのだろう。掌をひらいて握るのを繰り返し、無駄な力を抜いていく。
 その掌はすでに緊張から汗ばみ始めていた。
 
 「交尾ってなに?」
 「アル兄ィのお嫁さんになるってこと!?」
 「アル兄ィって、デカかったよな?入るのか?」
 「……」
 
 初心者パーティーがボソボソと言っているが、アルベルトの耳には届いていなかった。
 もちろん、男二人の前屈み具合がさらに深くなっているのも気付いていない。

 「それで、情報を集めていたといったよな?」
 「方法は秘密だぞ。アルベルトを共犯者にはしたくないからな!」
 「……それ、冗談だよな?」
 「そういうことにしておこう。まあ、デントン嬢の眷族が優秀だとだけ伝えておいてやるか」

 その言葉で、アルベルトにも少しだけ理解できた。
 妖精はどこにでもいる。デントン嬢のように姿がしっかりと見える妖精は希少だが、生き物が生き、何らかの力が生じる場所には必ず存在しているのである。
 人には見えない程度の妖精が情報を集めているとすれば、高価な結界の魔道具があるようなところでなければ防ぐことはできない。

 アルベルトは軽くため息をつき、思考を切り替えた。

 「冒険者ギルドも何か対策してたのか?」
 「ギルドでも溢れた時のために人を集めようとしていたようだ。いかせん、時間が足りずに間に合わなかったようだがな。しかし、問題はない。アルベルトがここですべて倒してしまうのだからな!そうだろう?」

 自信満々に、ナイは言ってのけた。
 妖精の庵で行っていた修業のおかげで、魔剣を使って何ができるかはアルベルト自身も把握している。
ダンジョンが溢れれば数百、数千という魔獣が押し寄せるが、一人でも対処可能だろう。

 だが……。

 「英雄の誕生だな!」

 ナイは高らかに叫ぶ。
 あきらかにナイにはめられたとしか思えない状況に、納得いかないものがあるのだった。
 




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