君と僕の関係は罰ゲーム

くすのき

文字の大きさ
5 / 9

(5)

しおりを挟む

「す、すみませんっ!」

 我に返った僕は赤い顔のまま、全力疾走で自宅へ走った。
 玄関の鍵を閉め、扉を背にする。そうして耳を澄まし、追ってきてないのを確認してから大きく息を吐いた。

「なんてことしちゃったんだろ」

 肉体的疲労と精神的疲労、それと羞恥と後悔が渦を巻いて全身を襲う。

「明日からどんな顔して会えばいいの?」

 事故とはいえ、キス。
 しかも僕はファーストキスだ。ううう、とうめき声を上げ、それから顔を覆った。
 彼がどう思っているか怖い。
 最悪の場合、嫌悪されている可能性がある。そうなるとどう動いていくべきか。考えれば考えるほど、悪い未来だけが頭の中を占領する。

「モブで、いたかったのにぃ……」

 僕の嘆きが玄関に溶ける。
 何であんなところで転ぶのか。
 自分への苛立ちが止まらない。
 ――そこへ、
 外からバタバタと誰かが走る音がした。
 まさかと思い、身を強張らせていたところ、案の定それは僕の部屋近くで足を止めた。
 扉一枚隔てて聞こえてくる彼の息遣い。
 僕は生唾を飲み込みながら必死に息を殺した。そして立ち去ってくれと祈ったその時、無情にもインターフォンが鳴る。

「――ナツ。そこに居るよね?」

 3度目のコールの後、久貫君が尋ねる。
 僕はそれに応える事が出来なかった。突然の出来事に、思考回路がパンクしていた。

「その、さっきは急にごめんね」

 彼の謝罪に、肩が盛大に揺れる。

「あれはその、事故だから。あ、あと道中に学生証落としてたみたいだから」
「っ、」

 僕は慌ててポケットを確認する。
 後でリュックに戻そうと一時置きしていた筈のそれが無かった。
 これはマズい。その時、僕の頭からはファーストキス事件が完全に抜けていた。
 慌てて鍵を外し、扉を突き飛ばすような勢いで開いて、見事久貫君に攻撃を当てる。

「~~っう」
「あ、ごめ、ごめんなさい!」
「いや、うん。大丈夫」

 全然大丈夫そうに見えなかったが、蹲った彼に手を伸ばしかけて、その手を引っ込める。あのキスを思い出したからだ。
 再度訪れる不安と後悔と羞恥と罪悪感が一緒くたになって、体の機能を制限される。そんな中で、どうにか痛みを散らした久貫君が立ち上がり、学生証を差し出す。

「あ、りがと」
「じゃあこれで痛み分けって事にしよ」

 まだ少し痛そうにしながらも微笑む久貫君。
 僕の鼻腔に、仄かな汗の香りに混じって森林浴をした時のような落ち着く匂いが、くすぐった。
 朝も感じたその香りにぼんやりとしていた思考がゆっくりと戻ってくる。

「あ、はっ、はい」

 彼の少し潤んだ瞳に見惚れ、つい頷いてしまう。
 我に返った時にはもう遅かった。普段通り笑う彼に心がきゅう、と揺さぶられる。
 そしてこの後どうすべきか困った。
 用があるからと断りを入れればいいのに、その言葉が喉につかえて上手く出てこない。

「ナツ?」
「あ、いえ。学生証ありがとうございま」

 ぐ~。
 大きな腹の音が響き渡る。
 もちろん俺のものではない。となると、

「……ごめん」
「あ、いえ」
「今日の昼飯、パンだけだったから」
「そ、そうなんだ」
「じゃあ俺行くな」
「え――ま、待って」

 相変わらず腹の音を鳴らしたまま、自らの部屋を通り過ぎようとした彼を慌てて呼びとめる。

「ナツ?」
「よ、よければご飯食べていきますか? あり合わせのものしかない、けど」
「! いいの!?」
「……学生証拾ってもらったお礼。あ、もちろん無理にとは」
「食べるっ! 今すげー腹減って死にそう!」

 喜色満面の久貫君とは正反対に、僕は自分の失態を後悔する。けど今更嫌だとは言えない。僕はこれは人として当たり前の行動だと自らに言い聞かせ、玄関を開けた。

「そのあんまり綺麗じゃないから」
「全然気にしない。じゃお邪魔します、って綺麗じゃん。俺の部屋と雲泥の差だよ」
「えと、適当に座っててください。あの、苦手なものとか食べられないものってありますか?」
「ないよ」

 彼が座ったのを確認し、僕は冷蔵庫から食材を取り出した。平静を装っているが、心臓は相変わらずバクバクだ。
 冷蔵庫から出したご飯を温め、朝の残りのオムレツと作り置きの筑前煮、ぬか漬け、それから今日の夜に食べようと思っていたネギトロを取り出す。
 今日の主役はネギトロ丼だ。
 ケトルで沸かした湯で味噌玉を解き、温めたそれらを久貫君の前に置く。

「あの、お口に合わなかったらすみません。どっ、どうぞ」

 目の前に並んだそれに久貫君は感嘆の息を漏らし、「いただきます」と手を合わせて一気にかきこんだ。

「うっ!」
「えっ!?」
「旨いっ!」

 力いっぱい叫ぶ久貫君。

「味噌汁も筑前煮もオムレツも全部美味しい。ナツ、料理上手なんだね」
「あ、いえ。あのぬか漬け、美味しくなかったら残して大丈夫ですから」
「全然。寧ろ俺このぬか漬け一番好き」

 屈託のない笑顔と心からの賛辞に、胸が高鳴る。

「そ、れは良かったです」
「もしかしてこれも」
「はい。僕が漬けてます」
「凄っ!」
「そんなに凄くないです。野菜入れて毎日二、三回かき混ぜるだけですから」
「いやいやそれでも凄いよ」

 よほど口にあったのか、久貫君は他のおかずよりも先にぬか漬けを完食してしまった。それが少しだけ嬉しい。

「ふぅ~、食べた食べた」
「お粗末様でした」
「あ、片付け手伝うよ」
「いえ、大丈夫です」
「いいから、いいから」

 笑みながらも絶対に譲らないという雰囲気に負け、結局僕が洗った食器を拭いてもらうことにした。
 2人並んで家事をする。
 まるで同棲しているみたいだな、と考えて僕はすぐに頭を振った。そんな都合のいい妄想、絶対にありえない。

「ナツ?」
「あ、いえ。何でもないです」
「なんかこうしてると、ガキの時の調理実習思い出すな。あ、ナツは覚えてないか。魚を捌くやつ。あれで他の奴がふざけて、首元に魚くっつけてきてさ」
「そ、うなんですか」

 もちろん覚えている。
 捌き終わった魚の頭を服の襟に入れられて大泣きした、僕にとっては苦い思い出だ。

「そうそう。それで俺がその魚取ったんだよね。こういう風に」
「ひゃっ」

 彼の少し水分を含んだ指先が触れ、びくつく。少し距離が近すぎではなかろうか。

「あの」
「ナツ。首の後ろちょっと赤いけど、虫にでも刺された?」
「虫? いえ痒くはないですけど」

 はて?と首を傾げた途端、久貫君の顔が僅かに歪んだ。

「あ、あの」
「あ。ごめん。よく見たら俺の見間違いだった。ちょっとトイレ借りていいかな」
「あ、はい。どうぞ」

 足早に去っていく久貫君を見送り、僕はまた首を傾げる。それと同時だろうか。定位置に置いていた携帯が一度鳴った。

「誰だろ。――あ、先輩か」

 そこには仕事終わりに弁当箱を返しに来る旨が記されていた。
 別に今日じゃなくてもいいのに。
 ――いや、今朝方の真意を問い質さねば。
 敬礼する猫のスタンプを押し、その直ぐ後に夕食は食べていくのかと打つ。
 すると一秒も経たない間に親指を立てたゴリラのスタンプが返される。
 続けてまた泊めてとの文字。

「手土産はケーキがいいです、っと」

 ポチポチと操作していると、用を足した久貫君が戻ってきた。

「トイレ、ありがとう。――今、手土産って聞こえたけど、どうしたの?」
「あ、いえ。先輩が泊まりに来るので、その宿賃代わりの要求です」
「先輩って、もしかして今朝の?」
「はい、そうですが」

 僕の答えを聞いた久貫君が、また顔をしかめた。もしかして先輩が嫌いなのだろうか。

「ナツ」
「はい」
「その人少し気をつけた方がいいかも」
「? どうしてですか?」
「それはっ……なんでもない」

 不思議がる僕に、久貫君は何かを言いかけて口を閉ざす。

「えっと、僕これからちょっとスーパー行ってくるので。すみませんが」
「あ、うん。ご飯美味しかったよ」

 煮え切らないようだったが、久貫君はそれ以上は何も言わなかった。
 玄関先まで彼を見送り、隣のドアが閉まる音を聞き届け、肩の力を抜く。

「は~……緊張したぁ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

結婚間近だったのに、殿下の皇太子妃に選ばれたのは僕だった

BL
皇太子妃を輩出する家系に産まれた主人公は半ば政略的な結婚を控えていた。 にも関わらず、皇太子が皇妃に選んだのは皇太子妃争いに参加していない見目のよくない五男の主人公だった、というお話。

平凡な僕が優しい彼氏と別れる方法

あと
BL
「よし!別れよう!」 元遊び人の現爽やか風受けには激重執着男×ちょっとネガティブな鈍感天然アホの子 昔チャラかった癖に手を出してくれない攻めに憤った受けが、もしかしたら他に好きな人がいる!?と思い込み、別れようとする……?みたいな話です。 攻めの女性関係匂わせや攻めフェラがあり、苦手な人はブラウザバックで。    ……これはメンヘラなのではないか?という説もあります。 pixivでも投稿しています。 攻め:九條隼人 受け:田辺光希 友人:石川優希 ひよったら消します。 誤字脱字はサイレント修正します。 また、内容もサイレント修正する時もあります。 定期的にタグ整理します。ご了承ください。 批判・中傷コメントはお控えください。 見つけ次第削除いたします。

【完結】恋人になりたかった

ivy
BL
初めてのキスは、 すべてが始まった合図だと思っていた。 優しい大地と過ごす時間は、 律にとって特別で、 手放したくないものになっていく。 けれど……

《完結》僕が天使になるまで

MITARASI_
BL
命が尽きると知った遥は、恋人・翔太には秘密を抱えたまま「別れ」を選ぶ。 それは翔太の未来を守るため――。 料理のレシピ、小さなメモ、親友に託した願い。 遥が残した“天使の贈り物”の数々は、翔太の心を深く揺さぶり、やがて彼を未来へと導いていく。 涙と希望が交差する、切なくも温かい愛の物語。

六年目の恋、もう一度手をつなぐ

高穂もか
BL
幼なじみで恋人のつむぎと渉は互いにオメガ・アルファの親公認のカップルだ。 順調な交際も六年目――最近の渉はデートもしないし、手もつながなくなった。 「もう、おればっかりが好きなんやろか?」 馴ればっかりの関係に、寂しさを覚えるつむぎ。 そのうえ、渉は二人の通う高校にやってきた美貌の転校生・沙也にかまってばかりで。他のオメガには、優しく甘く接する恋人にもやもやしてしまう。 嫉妬をしても、「友達なんやから面倒なこというなって」と笑われ、遂にはお泊りまでしたと聞き…… 「そっちがその気なら、もういい!」 堪忍袋の緒が切れたつむぎは、別れを切り出す。すると、渉は意外な反応を……? 倦怠期を乗り越えて、もう一度恋をする。幼なじみオメガバースBLです♡

からかわれていると思ってたら本気だった?!

雨宮里玖
BL
御曹司カリスマ冷静沈着クール美形高校生×貧乏で平凡な高校生 《あらすじ》 ヒカルに告白をされ、まさか俺なんかを好きになるはずないだろと疑いながらも付き合うことにした。 ある日、「あいつ真に受けてやんの」「身の程知らずだな」とヒカルが友人と話しているところを聞いてしまい、やっぱりからかわれていただけだったと知り、ショックを受ける弦。騙された怒りをヒカルにぶつけて、ヒカルに別れを告げる——。 葛葉ヒカル(18)高校三年生。財閥次男。完璧。カリスマ。 弦(18)高校三年生。父子家庭。貧乏。 葛葉一真(20)財閥長男。爽やかイケメン。

アイドルグループ脱退メンバーは人生をやり直す 〜もう芸能界とは関わらない〜

ちゃろ
BL
ひたすら自分に厳しく練習と経験を積んできた斎川莉音はアイドルグループResonance☆Seven(レゾナンスセブン)のリオンとして活動中。 アイドルとして節目を迎える年に差し掛かる。 しかしメンバーたちとの関係はあまり上手くいってなかった。 最初は同じ方向を見ていたはずなのに、年々メンバーとの熱量の差が開き、莉音はついに限界を感じる。 自分が消えて上手く回るのなら自分はきっと潮時なのだろう。 莉音は引退を決意する。 卒業ライブ無しにそのまま脱退、莉音は世間から姿を消した。 しばらくはゆっくりしながら自分のやりたいことを見つけていこうとしていたら不慮の事故で死亡。 死ぬ瞬間、目標に向かって努力して突き進んでも結局何も手に入らなかったな…と莉音は大きな後悔をする。 そして目が覚めたら10歳の自分に戻っていた。 どうせやり直すなら恋愛とか青春とかアイドル時代にできなかった当たり前のことをしてみたい。 グループだって俺が居ない方がきっと順調にいくはず。だから今回は芸能界とは無縁のところで生きていこうと決意。 10歳の年は母親が事務所に履歴書を送る年だった。莉音は全力で阻止。見事に防いで、ごく普通の男子として生きていく。ダンスは好きだから趣味で続けようと思っていたら、同期で親友だった幼馴染みやグループのメンバーたちに次々遭遇し、やたら絡まれる。 あまり関わりたくないと思って無難に流して避けているのに、何故かメンバーたちはグイグイ迫って来るし、幼馴染みは時折キレて豹変するし、嫌われまくっていたやり直し前の時の対応と違いすぎて怖い。 何で距離詰めて来るんだよ……! ほっといてくれ!! そんな彼らから逃げる莉音のやり直しの日常。 やり直し編からでも読めます。 ※アイドル業界、習い事教室などの描写は創作込みのふんわりざっくり設定です。その辺は流して読んで頂けると有り難いです。

あなたと過ごせた日々は幸せでした

蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。

処理中です...