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名探偵ではありません
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「もう一度おっしゃい!」
耳障りでヒステリックな声が響く。
その場にいた者達の目が、喚き立てているドレス姿の女性に注がれる。
女性の顔は美しいとは程遠い。
不自然なほどの厚化粧に、よほど自分に甘いのか、出荷前の豚を彷彿とさせる。
そんな彼女は宝石を散りばめた趣味の悪い扇子を握りしめながら、前に立つ青年を鬼のような形相で睨みつける。
青年は静かに肩をすくめる。
年の頃は二十代後半、目元に薄っすらと隈のある青年だ。それでも髪や服など身だしなみは品よく纏まり、確実にどこかの貴族だろうとうかがえる。
彼の名はマリクス・ルードベイド。
このファディスタ王国が誇る名探偵だ。
解決した殺人事件の数は優に百を超え、彼に解けない謎はないと王にさえ言わしめた逸材である。
「貴女がウワキン伯爵を殺害した犯人と申し上げたのです。ウワキン伯爵夫人」
「ふざけないでちょうだい!」
女は、ウワキン伯爵夫人は醜い顔を更に歪め、喚き散らす。その姿に彼の背後に控えていた部下が怒りの表情を見せる。
マリクスは不変の表情でそれを制し、夫人に向けてわずかに微笑を浮かべ、ゆっくりと唇を開く。
「私はふざけてなどおりませんよ、夫人」
「っ、いいこと。私は旦那様が亡くなった時間、遠く離れたパーティー会場にいたのよ。その私がどうやって、この密室の中、彼を殺せるというの!」
「それにはトリックが――」
「そんなものある訳がないわ! いい、私が無いと言ったら無いの!」
「――それがあるのですよ」
そんな筈はない。
そう言い募ろうとした瞬間、夫人の手に握りしめられていた扇子が、掌から滑り落ちた。そして彼女は夫の幽霊にでも出くわしたかのように顔を青褪める。
だがその視線の先は夫の霊ではなく、マリクスが手にしたハンカチだった。
「――そ、それがどうしたというの!」
「これは被害者が手にしていた遺留品です」
反対の手で薬品を手にしたマリクスは、その薬液を遺留品であるハンカチに一垂れ落とす。するとみるみるうちに布地が青く染まった。
「今落とした薬液は毒物判定液です。一滴垂らしてそれが薬物であった場合、このように青く染まります」
それを聞いた伯爵夫人の顔に隠しきれない焦りが滲んだ。対してマリクスはそこに優越感を感じることもなく、淡々と彼女の逃げ道を塞ぐ。
まるで講義でも行うようなその一幕は、今までに彼が幾度となく繰り返している流れなのだと証明していた。
行動変化、購入履歴、使用人の証言――逃れ得ぬそれらが夫人へ提示される。やがてぐうの音も出なくなった彼女はいからせていた肩を、力なく落とした。
「――これは貴女の復讐だったのでしょう」
「そこまで分かっているのね……流石は名探偵だわ」
「お褒めに預かり光栄です」
「貴方にもっと早く出会いたかったわ……」
夫人が連行されていく後ろ姿を見送ると、マリクスは鳩尾を撫でるような仕草をした。きりきりと締め付けられる痛みを覚えたからだ。
周囲に悟られないよう痛みを逃がそうと、何度か深く息を吐く。
すぐにでも鎮痛剤を服用したかったが、まだ六時間空いていない以上飲めなかった。
というのもマリクスは普段から慢性的な胃炎に悩まされていたからである。
「今日もなんとか凌げた…」
誰にも聞こえない声量で呟き、暴風雨が通り過ぎたあとの、安堵に近い緩んだ空気をマリクスは噛み締める。
巷で名探偵と持て囃される彼だが、その評価は正しくない。
なぜなら彼は自身の固有能力“ネタバレ”(殺人事件限定)の導きの元、必死になってこじつけに奔走する、ただの凡人だからだ。
早く帰って休みたい。
自宅のベッドに想いを馳せていると、マリクスは自分に近づく部下の存在に気付く。
「今日もお見事です、ルードベイド隊長」
そう賛辞を送る男はマリクスより一回り体格のいい男だ。
年はマリクスの二つ下の25。
顔立ちは東洋系であり、検事や弁護士のような切れ者の雰囲気をまとった美しい青年である。
「……エヴァン。仕事は終わったのか」
マリクスは厳しい上司の仮面を被る。
それにエヴァンと呼ばれた男は慇懃に頭を下げる。
「ハッ。既に必要な物は全て押収致しました」
このエヴァン・プロフェという名の人物は、マリクス率いる部隊の一員であり、こうして何かとひっついてくる男だ。
王の覚えめでたいマリクスの部隊の一員とあって、見た目の雰囲気と同様に能力は高く、同僚からの評判もいい。――マリクス以外には。
というのもその能力により、エヴァン・プロフェという人物が犯罪計画を立案、指南する死の指揮者であると知っているからだ。
「それにしても怖い女ですね」
「……そんな女に誰がした」
嘲笑を含んだエヴァンの感想に、マリクスは眉を顰めた。彼女に一線を越えさせた張本人とは思えない見事な他人事っぷりだ。怒りを悟られぬようマリクスは眉間を指で揉む。
「ウワキン伯爵ですね」
「違う。ウワキン伯爵と死の指揮者、そして我々だ」
奥歯を噛み締めるマリクスに対し、エヴァンは気にした様子もなく死の指揮者という単語にだけ目ざとく反応した。
「相変わらず怖いですね」
「そうか、ならば今すぐにでも転属させてやろう」
マリクスは鋼の表情で吐き捨てる。
「それだけはご勘弁を」
「遠慮するな。無駄話出来るような部署を見繕ってやる」
「申し訳ありませんでした、ルードベイド隊長!」
引き続き慇懃に頭を下げたエヴァンは、懐から一枚の紙を取り出すとマリクスへ差し出した。
「フライヴェアル女史から預かってまいりました。それから『いつまでも仕事を言い訳にしないで診察を受けに来なさい!』とのことです」
にっこりと相好を崩したエヴァンを極力視界に入れないよう、書類を奪い取ったマリクスは素早く目を通すと、それを丸めてポケットに仕舞った。
まるで後で捨てるゴミのように。
「隊長、健康はお金で買えませんよ」
「買えるものなら既に買っている。ところでいつまで突っ立っているつもりだ? それ以上無駄口を叩くようなら明日からもう来なくていいぞ」
相変わらずエヴァンに動じた様子はない。それを忌々しく思いながら、マリクスは副隊長の元へ踵を返す。
「ルードベイド隊長!」
「副隊長。あとは任せる」
「ハッ。了解いたしました! 馬車は既にご用意致しましたのでお使いください」
「ご苦労」
副隊長が用意した馬車に乗り込むと、マリウスは服に纏わりついた汚れを払うような仕草をした。エヴァンの纏う香水がこびりついたような不快感を覚えたからだ。
一通り払い終えたマリウスは、肺腑の中の空気全てを吐き出すように息をつく。
「何でアイツ転属願い出さないんだ……」
最初の頃は罪を償わせようと躍起になっていたものの、それが難しいと悟った今、マリウスはエヴァンを転属させる方向へ舵を切った。しかしその所為でマリウスは何も知らない上司や同僚から、あまり目の敵にしてやるなと逆に注意され、更に胃を痛めるという悪循環を生み出していた。
帰り際、自分を見て嗤ったエヴァンを思い出したマリクスは胃のむかつきを覚え――
「ごほっ!」
――血を吐いた。掌の黒ずんだ血液が不意に霞んだように見える。
「あれ……なんか……おかし……」
異常なほどに瞼が重い。
こんなところで眠るわけにはいかないのに、と思うのだがその抗いがたい睡魔に負けたマリクスは――
「あ、起きましたか。隊長」
――開眼一番、エヴァンの顔を拝むことになった。
「は?」
発した声は思ったより掠れていた。
マリクスは冷静に周囲を見渡し、この場所が自らの屋敷であると安堵すると同時に、疑問を抱く。
「何でお前が此処に居る?」
「何でってお見舞いですよ」
「……お見舞い?」
上体を起こしたマリクスは記憶を辿る。
最後の記憶は、馬車内での吐血。恐らく御者が気付いてくれたのだろう。
「過労と胃潰瘍だそうです」
過労と胃潰瘍。
言葉は聞き取れている。しかしその内容を理解するまで少々の時間を要した。
マリクスは不変の表情を浮かべながらも、エヴァンを見返す。
「昨夜の処理でしたら滞りなく終えました。隊長の容体については既に報告済です」
それで何故エヴァンがここにいるのか。
即座に幾つかの可能性が頭を過ぎるが、どれも決定打になるには程遠い。ただしそれもすぐに、昨夜の処理という言葉に打ち消される。あの事件はともかくとして、マリクスにはまだ仕事――それもマリクス自身に打診されたものと彼にしか分からないもの――が残っていたからだ。マリクスは慌てて起き上がろうとして――硬い手に押し留められる。
その手の持ち主はエヴァンだ。
「何のつもりだ……」
マリクスは胸中に焦燥と苛立ちが滲み始めているのを感じながら――ただし顔は全くの無表情――彼の手を押しのけようとする。体格は僅かにエヴァンの方が良いが、隊長としてマリクスもそれなりに武術の腕はある。
にも関わらず、微動だにしない。まるで巨木を相手にしているようだ。
「エヴァン・プロフェ。この手を離せ」
マリクスの冷たく硬い声が室内に響き、静まり返る。
上官に手を上げるとは何様だ。
その思いを態度に乗せたマリクスは、昨夜倒れた病人とは感じさせない、鋭い眼光でエヴァンを睨みつける。対してエヴァンは沈黙を貫くのみ。そんな静かな攻防が続く中、先に折れたのは意外にもマリクスであった。
「――ハァ。分かったからこの手を離せ」
「ではそのままお休みになられると約束してくださいますね」
「……」
「約束してくださいますね?」
エヴァンが珍しく念を押す。マリクスはそれに仕方なく頷く他なかった。無意味な押し問答で時間を無駄にするより、別角度から脱しようと考えたためだ。
「ではこちらを」
エヴァンがアイテムボックスから書類を取り出し、マリクスの膝上に広げる。
「取り急ぎ隊長の判が必要なものだけ選別してまいりました」
同じく持参したマリクスの判をその手に握らせるエヴァン。
マリクスの鼻腔を、昨夜より薄い香水の香りがくすぐった。その香りが停止していたマリクスの思考回路を引っ張り起こし、機能停止していた表情筋が渋面を作った。
「隊長?」
「いや……なんでもない……いや、助かった」
いくらエヴァンが死の指揮者であろうとそれはそれ、これはこれ。だがマリクスはどうしても気に入らず、結果として感謝のかの字も感じさせないふてぶてしい顔で、感謝を告げるという失礼極まりない態度をとった。
そんな態度を見せられたエヴァンはと言えば、にっこりと相好を崩し、傍らの椅子に腰掛ける。
やっぱりコイツはおかしい。そんな評価を下しながら、マリクスは一秒でも早く彼を追い出そうと書類に目を通す。そのすぐ後から子猫いや小さな子どもを見守るような温かな視線が送られるが、マリクスは努めて無視した。
というかあれだけ冷たくされてそんな目を向けられるとはこれ如何に。
ひょっとして筋金入りのマゾヒストなのかと思い至った瞬間、マリクスは自分が寝起き姿であることを思い出す。
――だが婚約者でもない、寧ろ心底嫌いな相手に見せても減るものではないなと思い直し、目の前の仕事に集中する。
「――終わったぞ」
「お疲れ様です。……ところで隊長」
「何だ」
椅子から身を乗り出し、やけに近くまで接近したエヴァンはじっとマリクスを見つめてくる。間近に迫ったその美貌に、一瞬驚愕したマリクスの表情筋が嫌悪にシフトした。
「俺、隊長が好きです」
「……………………は?」
エヴァンの突然の告白に、真顔となったマリクスは背景に宇宙を背負った。
実は告白ではなく、『なに敵相手に気を抜いているんだ。隙だらけだぞ』という大変有り難くない忠告なのか。いやそうに決まっている。そう結論づけたマリクスは、今日一怒りを露わにしてエヴァンを睨みつけた。
しかしそんなマリクスに反して、エヴァンは嬉しそうに微笑んだ。
やはりコイツはおかしいのだと確信したマリクスは初めて恐怖を覚える。そしてその言葉に何らかの作戦ではないかと思案した。
そうでなければおかしい。
マリクスは気をしっかりと保つ。敵に弱みを見せてはならない、と。
「それも何かの悪巧みか、エヴァン――いや、死の指揮者」
そう口にしたとき、エヴァンの体が分かりやすく硬直した。直後、太陽のごとき笑みを浮かべる。
「やはり気づかれてましたか」
「これでも隊長だからな」
「へぇ、名探偵とは言わないんですね」
「それは周りが勝手にそう言っているだけだ。私はただの一隊長に過ぎない」
蠱惑的に笑うエヴァン。
「やはり隊長はお美しい……」
「お前は頭がイカれてる」
「ふふっ。じゃあ隊長、俺のモノになってくれます?」
「嫌だが?」
というか正体バレてる相手に、気にせず告白出来るな?
「残念です」
「少しも残念がっていないだろ。それよりお前は早く自首しろ」
「嫌ですよ」
あっけらかんと言い放つエヴァンに、マリクスは内心で舌を鳴らす。するとエヴァンはエヴァンで何かを思いついたらしく、嫌な笑みを浮かべた。
「それじゃあ勝負しませんか?」
「勝負?」
「隊長が完治次第、俺が三回事件を起こします。それでその内、一回でも阻止できれば隊長の勝ち。俺は大人しく自首します。でも俺が勝ったら隊長は俺と結婚してください」
「拒否権は」
「ある訳ないじゃないですか。それとも天下の名探偵も死の指揮者には勝てないと認めますか?」
マリクスは顔を歪めた。
「……本当に一回阻止できればいいんだな」
「ええ、一回」
「分かった。その勝負受けて立とう」
耳障りでヒステリックな声が響く。
その場にいた者達の目が、喚き立てているドレス姿の女性に注がれる。
女性の顔は美しいとは程遠い。
不自然なほどの厚化粧に、よほど自分に甘いのか、出荷前の豚を彷彿とさせる。
そんな彼女は宝石を散りばめた趣味の悪い扇子を握りしめながら、前に立つ青年を鬼のような形相で睨みつける。
青年は静かに肩をすくめる。
年の頃は二十代後半、目元に薄っすらと隈のある青年だ。それでも髪や服など身だしなみは品よく纏まり、確実にどこかの貴族だろうとうかがえる。
彼の名はマリクス・ルードベイド。
このファディスタ王国が誇る名探偵だ。
解決した殺人事件の数は優に百を超え、彼に解けない謎はないと王にさえ言わしめた逸材である。
「貴女がウワキン伯爵を殺害した犯人と申し上げたのです。ウワキン伯爵夫人」
「ふざけないでちょうだい!」
女は、ウワキン伯爵夫人は醜い顔を更に歪め、喚き散らす。その姿に彼の背後に控えていた部下が怒りの表情を見せる。
マリクスは不変の表情でそれを制し、夫人に向けてわずかに微笑を浮かべ、ゆっくりと唇を開く。
「私はふざけてなどおりませんよ、夫人」
「っ、いいこと。私は旦那様が亡くなった時間、遠く離れたパーティー会場にいたのよ。その私がどうやって、この密室の中、彼を殺せるというの!」
「それにはトリックが――」
「そんなものある訳がないわ! いい、私が無いと言ったら無いの!」
「――それがあるのですよ」
そんな筈はない。
そう言い募ろうとした瞬間、夫人の手に握りしめられていた扇子が、掌から滑り落ちた。そして彼女は夫の幽霊にでも出くわしたかのように顔を青褪める。
だがその視線の先は夫の霊ではなく、マリクスが手にしたハンカチだった。
「――そ、それがどうしたというの!」
「これは被害者が手にしていた遺留品です」
反対の手で薬品を手にしたマリクスは、その薬液を遺留品であるハンカチに一垂れ落とす。するとみるみるうちに布地が青く染まった。
「今落とした薬液は毒物判定液です。一滴垂らしてそれが薬物であった場合、このように青く染まります」
それを聞いた伯爵夫人の顔に隠しきれない焦りが滲んだ。対してマリクスはそこに優越感を感じることもなく、淡々と彼女の逃げ道を塞ぐ。
まるで講義でも行うようなその一幕は、今までに彼が幾度となく繰り返している流れなのだと証明していた。
行動変化、購入履歴、使用人の証言――逃れ得ぬそれらが夫人へ提示される。やがてぐうの音も出なくなった彼女はいからせていた肩を、力なく落とした。
「――これは貴女の復讐だったのでしょう」
「そこまで分かっているのね……流石は名探偵だわ」
「お褒めに預かり光栄です」
「貴方にもっと早く出会いたかったわ……」
夫人が連行されていく後ろ姿を見送ると、マリクスは鳩尾を撫でるような仕草をした。きりきりと締め付けられる痛みを覚えたからだ。
周囲に悟られないよう痛みを逃がそうと、何度か深く息を吐く。
すぐにでも鎮痛剤を服用したかったが、まだ六時間空いていない以上飲めなかった。
というのもマリクスは普段から慢性的な胃炎に悩まされていたからである。
「今日もなんとか凌げた…」
誰にも聞こえない声量で呟き、暴風雨が通り過ぎたあとの、安堵に近い緩んだ空気をマリクスは噛み締める。
巷で名探偵と持て囃される彼だが、その評価は正しくない。
なぜなら彼は自身の固有能力“ネタバレ”(殺人事件限定)の導きの元、必死になってこじつけに奔走する、ただの凡人だからだ。
早く帰って休みたい。
自宅のベッドに想いを馳せていると、マリクスは自分に近づく部下の存在に気付く。
「今日もお見事です、ルードベイド隊長」
そう賛辞を送る男はマリクスより一回り体格のいい男だ。
年はマリクスの二つ下の25。
顔立ちは東洋系であり、検事や弁護士のような切れ者の雰囲気をまとった美しい青年である。
「……エヴァン。仕事は終わったのか」
マリクスは厳しい上司の仮面を被る。
それにエヴァンと呼ばれた男は慇懃に頭を下げる。
「ハッ。既に必要な物は全て押収致しました」
このエヴァン・プロフェという名の人物は、マリクス率いる部隊の一員であり、こうして何かとひっついてくる男だ。
王の覚えめでたいマリクスの部隊の一員とあって、見た目の雰囲気と同様に能力は高く、同僚からの評判もいい。――マリクス以外には。
というのもその能力により、エヴァン・プロフェという人物が犯罪計画を立案、指南する死の指揮者であると知っているからだ。
「それにしても怖い女ですね」
「……そんな女に誰がした」
嘲笑を含んだエヴァンの感想に、マリクスは眉を顰めた。彼女に一線を越えさせた張本人とは思えない見事な他人事っぷりだ。怒りを悟られぬようマリクスは眉間を指で揉む。
「ウワキン伯爵ですね」
「違う。ウワキン伯爵と死の指揮者、そして我々だ」
奥歯を噛み締めるマリクスに対し、エヴァンは気にした様子もなく死の指揮者という単語にだけ目ざとく反応した。
「相変わらず怖いですね」
「そうか、ならば今すぐにでも転属させてやろう」
マリクスは鋼の表情で吐き捨てる。
「それだけはご勘弁を」
「遠慮するな。無駄話出来るような部署を見繕ってやる」
「申し訳ありませんでした、ルードベイド隊長!」
引き続き慇懃に頭を下げたエヴァンは、懐から一枚の紙を取り出すとマリクスへ差し出した。
「フライヴェアル女史から預かってまいりました。それから『いつまでも仕事を言い訳にしないで診察を受けに来なさい!』とのことです」
にっこりと相好を崩したエヴァンを極力視界に入れないよう、書類を奪い取ったマリクスは素早く目を通すと、それを丸めてポケットに仕舞った。
まるで後で捨てるゴミのように。
「隊長、健康はお金で買えませんよ」
「買えるものなら既に買っている。ところでいつまで突っ立っているつもりだ? それ以上無駄口を叩くようなら明日からもう来なくていいぞ」
相変わらずエヴァンに動じた様子はない。それを忌々しく思いながら、マリクスは副隊長の元へ踵を返す。
「ルードベイド隊長!」
「副隊長。あとは任せる」
「ハッ。了解いたしました! 馬車は既にご用意致しましたのでお使いください」
「ご苦労」
副隊長が用意した馬車に乗り込むと、マリウスは服に纏わりついた汚れを払うような仕草をした。エヴァンの纏う香水がこびりついたような不快感を覚えたからだ。
一通り払い終えたマリウスは、肺腑の中の空気全てを吐き出すように息をつく。
「何でアイツ転属願い出さないんだ……」
最初の頃は罪を償わせようと躍起になっていたものの、それが難しいと悟った今、マリウスはエヴァンを転属させる方向へ舵を切った。しかしその所為でマリウスは何も知らない上司や同僚から、あまり目の敵にしてやるなと逆に注意され、更に胃を痛めるという悪循環を生み出していた。
帰り際、自分を見て嗤ったエヴァンを思い出したマリクスは胃のむかつきを覚え――
「ごほっ!」
――血を吐いた。掌の黒ずんだ血液が不意に霞んだように見える。
「あれ……なんか……おかし……」
異常なほどに瞼が重い。
こんなところで眠るわけにはいかないのに、と思うのだがその抗いがたい睡魔に負けたマリクスは――
「あ、起きましたか。隊長」
――開眼一番、エヴァンの顔を拝むことになった。
「は?」
発した声は思ったより掠れていた。
マリクスは冷静に周囲を見渡し、この場所が自らの屋敷であると安堵すると同時に、疑問を抱く。
「何でお前が此処に居る?」
「何でってお見舞いですよ」
「……お見舞い?」
上体を起こしたマリクスは記憶を辿る。
最後の記憶は、馬車内での吐血。恐らく御者が気付いてくれたのだろう。
「過労と胃潰瘍だそうです」
過労と胃潰瘍。
言葉は聞き取れている。しかしその内容を理解するまで少々の時間を要した。
マリクスは不変の表情を浮かべながらも、エヴァンを見返す。
「昨夜の処理でしたら滞りなく終えました。隊長の容体については既に報告済です」
それで何故エヴァンがここにいるのか。
即座に幾つかの可能性が頭を過ぎるが、どれも決定打になるには程遠い。ただしそれもすぐに、昨夜の処理という言葉に打ち消される。あの事件はともかくとして、マリクスにはまだ仕事――それもマリクス自身に打診されたものと彼にしか分からないもの――が残っていたからだ。マリクスは慌てて起き上がろうとして――硬い手に押し留められる。
その手の持ち主はエヴァンだ。
「何のつもりだ……」
マリクスは胸中に焦燥と苛立ちが滲み始めているのを感じながら――ただし顔は全くの無表情――彼の手を押しのけようとする。体格は僅かにエヴァンの方が良いが、隊長としてマリクスもそれなりに武術の腕はある。
にも関わらず、微動だにしない。まるで巨木を相手にしているようだ。
「エヴァン・プロフェ。この手を離せ」
マリクスの冷たく硬い声が室内に響き、静まり返る。
上官に手を上げるとは何様だ。
その思いを態度に乗せたマリクスは、昨夜倒れた病人とは感じさせない、鋭い眼光でエヴァンを睨みつける。対してエヴァンは沈黙を貫くのみ。そんな静かな攻防が続く中、先に折れたのは意外にもマリクスであった。
「――ハァ。分かったからこの手を離せ」
「ではそのままお休みになられると約束してくださいますね」
「……」
「約束してくださいますね?」
エヴァンが珍しく念を押す。マリクスはそれに仕方なく頷く他なかった。無意味な押し問答で時間を無駄にするより、別角度から脱しようと考えたためだ。
「ではこちらを」
エヴァンがアイテムボックスから書類を取り出し、マリクスの膝上に広げる。
「取り急ぎ隊長の判が必要なものだけ選別してまいりました」
同じく持参したマリクスの判をその手に握らせるエヴァン。
マリクスの鼻腔を、昨夜より薄い香水の香りがくすぐった。その香りが停止していたマリクスの思考回路を引っ張り起こし、機能停止していた表情筋が渋面を作った。
「隊長?」
「いや……なんでもない……いや、助かった」
いくらエヴァンが死の指揮者であろうとそれはそれ、これはこれ。だがマリクスはどうしても気に入らず、結果として感謝のかの字も感じさせないふてぶてしい顔で、感謝を告げるという失礼極まりない態度をとった。
そんな態度を見せられたエヴァンはと言えば、にっこりと相好を崩し、傍らの椅子に腰掛ける。
やっぱりコイツはおかしい。そんな評価を下しながら、マリクスは一秒でも早く彼を追い出そうと書類に目を通す。そのすぐ後から子猫いや小さな子どもを見守るような温かな視線が送られるが、マリクスは努めて無視した。
というかあれだけ冷たくされてそんな目を向けられるとはこれ如何に。
ひょっとして筋金入りのマゾヒストなのかと思い至った瞬間、マリクスは自分が寝起き姿であることを思い出す。
――だが婚約者でもない、寧ろ心底嫌いな相手に見せても減るものではないなと思い直し、目の前の仕事に集中する。
「――終わったぞ」
「お疲れ様です。……ところで隊長」
「何だ」
椅子から身を乗り出し、やけに近くまで接近したエヴァンはじっとマリクスを見つめてくる。間近に迫ったその美貌に、一瞬驚愕したマリクスの表情筋が嫌悪にシフトした。
「俺、隊長が好きです」
「……………………は?」
エヴァンの突然の告白に、真顔となったマリクスは背景に宇宙を背負った。
実は告白ではなく、『なに敵相手に気を抜いているんだ。隙だらけだぞ』という大変有り難くない忠告なのか。いやそうに決まっている。そう結論づけたマリクスは、今日一怒りを露わにしてエヴァンを睨みつけた。
しかしそんなマリクスに反して、エヴァンは嬉しそうに微笑んだ。
やはりコイツはおかしいのだと確信したマリクスは初めて恐怖を覚える。そしてその言葉に何らかの作戦ではないかと思案した。
そうでなければおかしい。
マリクスは気をしっかりと保つ。敵に弱みを見せてはならない、と。
「それも何かの悪巧みか、エヴァン――いや、死の指揮者」
そう口にしたとき、エヴァンの体が分かりやすく硬直した。直後、太陽のごとき笑みを浮かべる。
「やはり気づかれてましたか」
「これでも隊長だからな」
「へぇ、名探偵とは言わないんですね」
「それは周りが勝手にそう言っているだけだ。私はただの一隊長に過ぎない」
蠱惑的に笑うエヴァン。
「やはり隊長はお美しい……」
「お前は頭がイカれてる」
「ふふっ。じゃあ隊長、俺のモノになってくれます?」
「嫌だが?」
というか正体バレてる相手に、気にせず告白出来るな?
「残念です」
「少しも残念がっていないだろ。それよりお前は早く自首しろ」
「嫌ですよ」
あっけらかんと言い放つエヴァンに、マリクスは内心で舌を鳴らす。するとエヴァンはエヴァンで何かを思いついたらしく、嫌な笑みを浮かべた。
「それじゃあ勝負しませんか?」
「勝負?」
「隊長が完治次第、俺が三回事件を起こします。それでその内、一回でも阻止できれば隊長の勝ち。俺は大人しく自首します。でも俺が勝ったら隊長は俺と結婚してください」
「拒否権は」
「ある訳ないじゃないですか。それとも天下の名探偵も死の指揮者には勝てないと認めますか?」
マリクスは顔を歪めた。
「……本当に一回阻止できればいいんだな」
「ええ、一回」
「分かった。その勝負受けて立とう」
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「……貴様、私を堕落させる気か」
(※いいえ、ただ快適に寝たいだけです)
殺されるどころか、魔王様に気に入られ、気付けば城中がリノの虜に。
捨てられた生贄オメガが、裁縫一つで魔王城を「世界一のマイホーム」に変える、ほのぼの逆転溺愛ファンタジー!
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