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 まず学校に着いて、下駄箱に行く。周囲を見回すと――いた。今日もだ。
 一年生の男子四人組が、一人の男の子を殴っている。何発も、何発も……。その痛ましい音が延々と下駄箱に鳴り響いている。
 しかし日常茶飯事のことだ、というように誰も見てはいない――。

 やがて一校時目が始まり、教室に教科担当の先生が入って来た。だが――
「みなさん教科書を開いてください」
 先生が言ってもクラスの皆は勉強道具を用意しようとしない。アンも同じだった。ここで裏切るような真似をすると、クラス全員から恨まれるのだ。
 先生は困りつつも教科書なしで授業を始めた。当然、大声で喋ったり笑ったり席を立ったり睡眠したりして、生徒は誰も話を聞いていなかった。授業は殆どそんな感じで、もはや自由時間であった。
 
 そして昼休み。アンがサオリとヨウコと一緒に図書室へ向かう途中のことだ。廊下の踊り場で三年の女子たちが煙草を吸い、それを一人の後輩に無理矢理すすめていた。後輩はものすごく困った顏をしていた。だがここで何かしても、アンたちの身が危ない。三人はその場を通り過ぎるしかなかった。

 それから、清掃時間。この時間はジャージに着替えなければならないのだが、今や生徒たちの“掟”としてジャージは着てはいけない。体育の時ですら制服のままだ。
 無論、生徒はみんな清掃をサボっている。代わりにやるのは先生たち。しかもただ黙って清掃をしているのだ。

 この学校はもはや生徒たちに支配されている。泣いて離任していく先生を何人も見てきた。
 イジメなんて普通にあるし、授業は授業にならないし、校内で煙草を吸う生徒はたくさんいる。先生たちは皆、失望してしまっていた。
 中学校なのに部活動すら存在しない。アンはこの中学校生活にうんざりしていた。

 二年生になった時ここに転校してきたのだが、初日からいきなりこんな状況だったので相当驚いたのを覚えている。これほでまでに荒れた学校など存在するはずがないとさえ感じる。
 だが毎朝ここへ来る度に、アンは自分が現実の中にいるのだと実感させられていた――。


 こうして永遠とも思われる一日がやっと終わろうとしていた。帰りのHRで、全員がさよならの一言もなしに解散していった。
 ああやっと。やっとこの荒れた地から逃げられる。
「サオリ帰ろ!」
「うん。アン、今日帰ったら何する?」
「そうだなぁ。昨日お父さんからお小遣いもらっちゃったんだ! 映画観に行かない? 奢るよ」
「マジで? やったぁ。アン、愛してるっ」
 そんな会話を交しながら、二人は肩を組み合って歩き出した。
 ヨウコは隣のクラスなので教室まで迎えに行った。
「ヨウコいるー?」
 サオリが呼んでみたが、教室から彼女の返事はない。今度はアンが呼んでみた。
「ヨウコいないの? 帰るよ!」
 それでもやはり返事はこなかった。
 二人で立ち尽くしていると、教室からヨウコと同じクラスの男子二人が出てきた。そしてアンたちの所に近づいてくるなりこう言ってきた。
「あいつなら帰ったぜ」
「大杉たちと一緒に歩いてった。もしかしてあいつ、今頃大杉に痛めつけられてんじゃねえの?」
 と、その二人は面白そうに笑いだした。

 話に出ている大杉とは、大杉ナオミのことである。アンたちと同じクラスなのだが、校内荒らし代表の一人でもある。人前でもなんの躊躇もせずイジメを行い、いつも多くの仲間を引きつれている。イジメ内容も相当酷いものだ。
「ちょっと何それ! ヨウコが大杉さんに何したって言うのよ!」
 サオリはやや怒鳴り気味に男子たちに言った。
 アンも男子たちを見上げながら言った。
「そうだよ、あなたたち軽はずみなこと言わないで」
「軽はずみ? そんなんじゃねぇって。何の根拠もなしに、こんなこと言うかよ」
「じゃあ、どうして……?」
 恐る恐るアンは聞いた。
 するとその二人は、表情を変えて廊下の壁に寄りかかった。それからゆっくり口を開く。
「別におれたちは、大杉たちの間で何があったか知らねぇけど、何となく雰囲気が――よくないように見えたんだよ」
「そそ。一緒に歩いてったって言っても、無理矢理連れていく感じでな」
「ありゃ絶対、集団でリンチする気だぜ。大杉の目がそう言ってたしな」
「ま、そんなことよくあるよ。この学校は荒れてんだからよ」
 アンとサオリは、彼らを見上げたまましばらく声が出せないでいた。
 もしも本当にヨウコが大杉に目をつけられているとしたら……急に恐ろしくなった。

「まずいわアン!」
「まずいよサオリ!」

 ほぼ同時に二人の声は重なった。それからお互い束の間見つめ合い、またもほぼ同時に二人は走り出した。
「おい。お前ら大杉たちの所に行く気か!?」
「どうなっても知らねぇぞ!」
 こんな男子たちの叫び声も、二人の耳には届いていなかった。今は、二人の友の元へ向かうことしか頭に入っていなかったからだ。
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