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第一章 グリマルディ家の娘
19,転機
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◆
レイが個人大会で入賞してから一年が経った。
トラブルもなく、俺たちは変わらずダンスに打ち込む日々を送っている。
「なあ、ヒルス」
「なんだ」
いつものようにレッスンを終え更衣室で着替えをしていると、ライクが話しかけてきた。いつもは調子に乗ったようにヘラヘラしていることが多いが、今日は珍しく真面目な態度だ。
「ジャスティン先生からの話、お前は受けるか?」
「ああ、あのことか。もちろんだ。ライクもだろ?」
「当たり前だ。おれはこれからもダンスに情熱を注いで生きていくぜ!」
「もう十年も踊ってきたからな」
「でもよ、ヒルス。お前、これからどうするんだ?」
「どうするって?」
「先生の『ダンススタジオ』はお前の家からずいぶん遠いだろ?」
「その件については色々と考えてる」
「今年で十八になるんだよな。自立する歳だしちょうどよかったじゃねぇか」
「……まあな」
「あっ? その寂しそうな顔! まさか」
「な、何だよ」
「分かるぜ、お前の気持ち。あんな妹がいたら、離れたくないよなぁ!」
「はあ? あいつは関係ないだろ」
「とか言って、本当は寂しいんだろうが! 可愛い子と同じ屋根の下で生活していたら、おれなら一生家を出たくなくなるぜ」
「気持ち悪いな、本当にやめろ」
「ははは。冗談だよ。まあ、お前と離れるのはおれだって寂しいんだぜ。おれのイケてるスポーツカーに乗って、たまには会いに行ってやるからな!」
「来るな。お前とは二度と会わなくてもいい」
「冷たいこと言うなよ」
「……もうこんな時間だ。今日は帰る」
「おうよ。じゃあな、ヒルス。今夜もゆっくり休めよ!」
やっぱりライクはすぐにちゃらける奴だ。
さっさと荷物をまとめ、俺はすぐさまスタジオを後にした。
※
ある日。遅くまでダンススクールで居残り練習していたヒルスは、珍しくハイテンションだった。
「レイ!」
帰宅するなりリビングにやって来て私の顔を見た瞬間、気持ちを爆発させるように声を張り上げた。
いつにもない様子にちょっと戸惑ってしまう。
「どうしたの、いいことでもあったの?」
「ビッグニュースだ!」
「なになに?」
「ジャスティン先生のダンススタジオでインストラクターとして働くことになったんだよ!」
「えっ、ヒルスが? ダンスの先生になるってこと?」
「そうだ、すごいだろう!」
まさか、本当に? ヒルスがインストラクターになるなんて! ダンスを教える仕事に就くんだもんね。すごい、本当にすごいよ!
「これも全部レイのおかげだ」
「私の……? どうして?」
「先生が言ってくれたんだ。俺がレイにダンスを教えているところを見てイントラにならないかって。だから、レイのおかげだって俺はマジでそう思っている」
「そうなの? それはヒルスが今まで一生懸命頑張ってきた甲斐あってだと思うなぁ」
私たちは嬉しさのあまり、勢いでギュッと抱き合った。
彼は私が物心ついたときから既に踊っていたんだもの。大きな夢が叶って本当に嬉しいんだよね。もちろん私も同じ気持ち。
おめでとう。何があっても、これからもヒルスのことを応援するからね。素敵な先生になってね。
彼が大きな一歩を進んでいくのは嬉しかった。嬉しかったよ、だけど……。
──数日後。
日頃から殆ど物がないヒルスの部屋は、更にすっからかんの状態になっていた。空き部屋と化した室内を眺め、私は寂しさに押しつぶされそうになる。
「ヒルス……今日から本当にいなくなっちゃうんだね」
「なんだ、俺と離れるのがそんなに寂しいのかよ?」
ヒルスはわざと冗談っぽく言うけど、私は全然笑えなかった。
「当たり前だよ……」
ああ、ダメ。思わず泣きそうになってしまう。
彼がこれから働くダンススタジオは、家から車でも一時間以上かかる距離にあるんだって。インストラクターとして生徒にダンスを教えるだけじゃなく、プロのイベントや大会にも出る機会が増えるみたい。通勤が長いと自分の練習時間が確保できなくなるから、ジャスティン先生が所有しているフラット(アパート)の一室を借りて、一人暮らしを始めることにしたらしい。スタジオの他のインストラクターや先生の弟子たちがシェアしながら暮らしている、寮みたいなところだって聞いた。
昨日まではいつもと変わらない日常だったのに、当日になって実感が湧いてきてしまった。
私の様子を見てヒルスはふざけるのをやめ、困ったような声で話すの。
「おい、そんな顔するなよ。離れて暮らしててもいつでも会えるだろ?」
「だけど、きっと忙しくなっちゃうよね」
「気にするな。レイが寂しくなったらいつでも連絡しろよ。お前のためにいつでも時間は作ってやる」
「……本当?」
「当たり前だ。それに、月に二回はダンススクールにイントラとして教えに行くんだぞ」
「えっ、そうなの?」
「ああ。ライクがオフの日に、俺が代替として中級クラスを担当することになったんだ。だから前日にはここに泊まって、レイと一緒にスクールへ行くからな」
「そっか」
ライクさんは、インストラクターとしてダンススクールで働くことになったんだって。
たまにスクールにヒルスが来てくれるなら……寂しくないかな。
「お休みの日もこっちに帰ってくる?」
「用事がなければいつでも帰るつもりだよ。俺が会いに行くんだから、レイもたまには俺の家に遊びに来いよ。泊まったっていい」
「うん、分かった」
そっか、そうだよ。離れている分、楽しみもあるよね。
私だってもう子供じゃない。家族の一人が少し離れたところで暮らしていたとしても、きっと大丈夫。心の距離は近いから。
優しい眼差しを向けてくれるヒルスは、おもむろに私の頭を撫でてきた。
「もしまた夜にあの怖い夢を見たら、遠慮なく俺に電話しろ」
「え……いいの?」
「一人で怖がって眠れなかったらどうする? 父さんたちに甘えるのか?」
「それは、ちょっと恥ずかしい」
「だったら俺に頼れ」
「寝てても電話に出てくれる?」
「爆睡してても出るよ。約束する」
不思議な感覚がした。なぜか胸の奥が赤く染まっていくようで、ちょっとくすぐったい。
どうしてあなたはそんなに優しいの? 妹に対して、そこまで考えてくれるお兄ちゃんって普通じゃない気がする。でも、とっても嬉しいよ。ありがとう。
ヒルスは柔らかい口調で私を安心させてくれる。
「レイに何かあったら、必ず駆けつけるからな」
うん……約束だよ。
レイが個人大会で入賞してから一年が経った。
トラブルもなく、俺たちは変わらずダンスに打ち込む日々を送っている。
「なあ、ヒルス」
「なんだ」
いつものようにレッスンを終え更衣室で着替えをしていると、ライクが話しかけてきた。いつもは調子に乗ったようにヘラヘラしていることが多いが、今日は珍しく真面目な態度だ。
「ジャスティン先生からの話、お前は受けるか?」
「ああ、あのことか。もちろんだ。ライクもだろ?」
「当たり前だ。おれはこれからもダンスに情熱を注いで生きていくぜ!」
「もう十年も踊ってきたからな」
「でもよ、ヒルス。お前、これからどうするんだ?」
「どうするって?」
「先生の『ダンススタジオ』はお前の家からずいぶん遠いだろ?」
「その件については色々と考えてる」
「今年で十八になるんだよな。自立する歳だしちょうどよかったじゃねぇか」
「……まあな」
「あっ? その寂しそうな顔! まさか」
「な、何だよ」
「分かるぜ、お前の気持ち。あんな妹がいたら、離れたくないよなぁ!」
「はあ? あいつは関係ないだろ」
「とか言って、本当は寂しいんだろうが! 可愛い子と同じ屋根の下で生活していたら、おれなら一生家を出たくなくなるぜ」
「気持ち悪いな、本当にやめろ」
「ははは。冗談だよ。まあ、お前と離れるのはおれだって寂しいんだぜ。おれのイケてるスポーツカーに乗って、たまには会いに行ってやるからな!」
「来るな。お前とは二度と会わなくてもいい」
「冷たいこと言うなよ」
「……もうこんな時間だ。今日は帰る」
「おうよ。じゃあな、ヒルス。今夜もゆっくり休めよ!」
やっぱりライクはすぐにちゃらける奴だ。
さっさと荷物をまとめ、俺はすぐさまスタジオを後にした。
※
ある日。遅くまでダンススクールで居残り練習していたヒルスは、珍しくハイテンションだった。
「レイ!」
帰宅するなりリビングにやって来て私の顔を見た瞬間、気持ちを爆発させるように声を張り上げた。
いつにもない様子にちょっと戸惑ってしまう。
「どうしたの、いいことでもあったの?」
「ビッグニュースだ!」
「なになに?」
「ジャスティン先生のダンススタジオでインストラクターとして働くことになったんだよ!」
「えっ、ヒルスが? ダンスの先生になるってこと?」
「そうだ、すごいだろう!」
まさか、本当に? ヒルスがインストラクターになるなんて! ダンスを教える仕事に就くんだもんね。すごい、本当にすごいよ!
「これも全部レイのおかげだ」
「私の……? どうして?」
「先生が言ってくれたんだ。俺がレイにダンスを教えているところを見てイントラにならないかって。だから、レイのおかげだって俺はマジでそう思っている」
「そうなの? それはヒルスが今まで一生懸命頑張ってきた甲斐あってだと思うなぁ」
私たちは嬉しさのあまり、勢いでギュッと抱き合った。
彼は私が物心ついたときから既に踊っていたんだもの。大きな夢が叶って本当に嬉しいんだよね。もちろん私も同じ気持ち。
おめでとう。何があっても、これからもヒルスのことを応援するからね。素敵な先生になってね。
彼が大きな一歩を進んでいくのは嬉しかった。嬉しかったよ、だけど……。
──数日後。
日頃から殆ど物がないヒルスの部屋は、更にすっからかんの状態になっていた。空き部屋と化した室内を眺め、私は寂しさに押しつぶされそうになる。
「ヒルス……今日から本当にいなくなっちゃうんだね」
「なんだ、俺と離れるのがそんなに寂しいのかよ?」
ヒルスはわざと冗談っぽく言うけど、私は全然笑えなかった。
「当たり前だよ……」
ああ、ダメ。思わず泣きそうになってしまう。
彼がこれから働くダンススタジオは、家から車でも一時間以上かかる距離にあるんだって。インストラクターとして生徒にダンスを教えるだけじゃなく、プロのイベントや大会にも出る機会が増えるみたい。通勤が長いと自分の練習時間が確保できなくなるから、ジャスティン先生が所有しているフラット(アパート)の一室を借りて、一人暮らしを始めることにしたらしい。スタジオの他のインストラクターや先生の弟子たちがシェアしながら暮らしている、寮みたいなところだって聞いた。
昨日まではいつもと変わらない日常だったのに、当日になって実感が湧いてきてしまった。
私の様子を見てヒルスはふざけるのをやめ、困ったような声で話すの。
「おい、そんな顔するなよ。離れて暮らしててもいつでも会えるだろ?」
「だけど、きっと忙しくなっちゃうよね」
「気にするな。レイが寂しくなったらいつでも連絡しろよ。お前のためにいつでも時間は作ってやる」
「……本当?」
「当たり前だ。それに、月に二回はダンススクールにイントラとして教えに行くんだぞ」
「えっ、そうなの?」
「ああ。ライクがオフの日に、俺が代替として中級クラスを担当することになったんだ。だから前日にはここに泊まって、レイと一緒にスクールへ行くからな」
「そっか」
ライクさんは、インストラクターとしてダンススクールで働くことになったんだって。
たまにスクールにヒルスが来てくれるなら……寂しくないかな。
「お休みの日もこっちに帰ってくる?」
「用事がなければいつでも帰るつもりだよ。俺が会いに行くんだから、レイもたまには俺の家に遊びに来いよ。泊まったっていい」
「うん、分かった」
そっか、そうだよ。離れている分、楽しみもあるよね。
私だってもう子供じゃない。家族の一人が少し離れたところで暮らしていたとしても、きっと大丈夫。心の距離は近いから。
優しい眼差しを向けてくれるヒルスは、おもむろに私の頭を撫でてきた。
「もしまた夜にあの怖い夢を見たら、遠慮なく俺に電話しろ」
「え……いいの?」
「一人で怖がって眠れなかったらどうする? 父さんたちに甘えるのか?」
「それは、ちょっと恥ずかしい」
「だったら俺に頼れ」
「寝てても電話に出てくれる?」
「爆睡してても出るよ。約束する」
不思議な感覚がした。なぜか胸の奥が赤く染まっていくようで、ちょっとくすぐったい。
どうしてあなたはそんなに優しいの? 妹に対して、そこまで考えてくれるお兄ちゃんって普通じゃない気がする。でも、とっても嬉しいよ。ありがとう。
ヒルスは柔らかい口調で私を安心させてくれる。
「レイに何かあったら、必ず駆けつけるからな」
うん……約束だよ。
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