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第八章 それぞれの想い

131,チキン野郎

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 辺りはすっかり陽が沈んでしまった。重い足で、俺は夜の町をあてもなく歩いていく。
 今日は週末ということもあり、飲みに行くサラリーマンや、人目も気にせずイチャつくカップルなどあちらこちらにいた。
 みんな楽しそうでいいよな。俺なんて一人でウジウジしていてなんにも楽しくないのに。

 俺は独りトボトボと繁華街を歩き続ける。

「こんばんはー。お兄さん、一人?」

 溜め息まじりで俺がぼんやりしていると、突然横から若い女性に声を掛けられた。見た目は素朴だが、口調と表情からして明らかにそういう商売・・・・・・をするストリートガールのようだ。

 面倒臭いな。

 俺はわざとらしく不機嫌な声を出す。

「悪いけど、俺に声を掛けても無駄だよ。他を当たってくれ」
「えー。お兄さん、イケメンだからいいなぁと思ったのに。それに、なんか寂しそうな顔してたから気になっちゃって。ガールフレンドと喧嘩でもした?」
「ガールフレンド……」

 その単語に酷く反応してしまう俺は、レイの顔を思い出して身体が小さく震えた。

「やっぱりそうなんだ! 可哀想~」
「ち、違う。勝手に決めつけるな」
「じゃあ何? 浮気でもされたの?」
「そんなわけないだろ。レイは……」

 と、俺はそこから続きを話すのをやめた。

 俺はどこまで馬鹿なんだ。全く知らない赤の他人に、私情を話そうとするなんて浅はか過ぎる。

 女は俺の顔を覗き込み、妙にニヤニヤしていた。

「レイ? それって、ガールフレンドの名前?」
「あんたには関係ない」
「ふぅん。お兄さん、そうなんだ。そのレイって人、すごく大事な子なんだね」
「何言うんだよ」
「だってその子の名前出した瞬間に、お兄さんの顔が一瞬で変わったよ。泣きそうになってる」
「……はあ?」
「喧嘩したのか知らないけど、大切な人なら早く仲直りしたほうがいいよ。お兄さんイケメンだから、彼女も色々と不安になっているんじゃない?」

 俺は無意識のうちに眉間に皺を寄せた。
 どうして知らない奴にまでそんな風に言われないといけないのか。鬱陶しいにもほどがある。

「あんたに何が分かるんだ」
「そんなに怖い顔しないでよ。アタシ、色んな人を相手しながら商売してるからさ。その人がどんなことを思っているのか、顔を見たらなんとなく分かっちゃうんだよね。お兄さんは中でも分かりやすいタイプみたいだし。アタシが慰めてあげよっか?」
「いらない」
「だよねー。そのレイちゃんのこと、本当に大好きなんだね! そこまで大事に思ってるなら、早く会いに行ってあげなよ。お兄さんも寂しいんでしょう?」

 女はケラケラ笑うんだ。
 心底苛ついたが、それでも言われたことに首を横に振れない自分がいる。

 ああ、煩わしいな。

 女から背を向け、イライラしたまま早歩きでその場から立ち去っていく。

「お兄さん、レイちゃんと仲直り出来なかったら、いつでもここに来てね! アタシが体の相手してあげるから」

 甲高い声で言う女のその台詞に、俺は鳥肌が立った。

 俺が、レイ以外の女とそういうことをするわけがないだろう?
 ……とは思いつつ、彼女ともしたことはないのだが。

 意地になった俺は、無心で帰り道に足を向けていた。
 こんな所でフラフラしている場合じゃない。レイに謝ろう。謝って、ちゃんと面と向かって話をしよう。
 悔しいが、あのストリートガールにあれこれ言われたことによって、レイのそばにいてあげなければと目が覚めたんだ。

 ──だけど俺はどこまでもチキン野郎だ。自分の部屋の前に着いた途端、ドアを開けようか迷ってしまう。
 中からは、ハンバーグステーキを焼くいい香りがした。レイの作ってくれるハンバーグステーキは、チーズが入っていて、肉厚で、凄くジューシーで美味しいんだ。

 食べたいな……。

 レイの顔を見ながら過ごす夕食の時間は、一日の中でも一番楽しくて俺に癒やしをくれるんだ。
 その幸せな時間を取り戻すために、部屋に戻るしかない。もう逃げるのはやめにしよう。

 固唾を飲み込み、俺はゆっくりとドアを開ける。

「ただいま」

 勇気を持って、声を掛けてみた。
 だけどレイは、部屋の奥から顔を覗かせて「おかえり」と無機質に答えるのみなんだ。
 この時点で俺の心が折れそうになる。

(いや、悪いのはこっちだ。今日の俺の態度がレイを怒らせているんだから)

 荷物を置き、手を洗ってからレイのそばへ向かう。
 料理は終わっているようで、スープもサラダもテーブルの上に既に並べられている。
 無理やり笑顔を作ると、俺はわざとらしい明るい声で言った。

「今日も美味しそうだな。いつもありがとう、レイ」
「……うん」

 目も合わせてくれないレイは、ハンバーグステーキをテーブルに並べる素振りを見せる。
 今更俺が後悔するのもおかしな話だが、彼女にこういう態度を取られるのは精神的にかなりキツイ。

 いや、それよりもレイは、俺の今日の一日の態度にもっと傷ついているはずだ。 

 二人分のグラスとフォークとスプーンをテーブルに並べてから、俺は小さい声を発する。

「……レイ、悪かった」

 俺のその一言を呟くと、レイの動きが止まった。笑顔なんてものは一切浮かべずに、俺に言うんだ。

「謝らないで。私が悪いんだから」
「……えっ?」
「昨日は変なことしちゃってごめんね。迷惑だったよね。だからずっと私を避けているんでしょう?」
「いや。それは……」

 思わず吃ってしまう。
 確かに避けてはいたが、それは俺の気持ちの問題であって。

「レイが悪いわけじゃないよ」
「でも、帰りも一緒に帰ってくれないし、スタジオでも全然話してくれない。今日のランチだって……ヒルス、どこ行ってたの?」
「どこって。近くのバーガーショップに行っただけだよ」
「誰と?」
「フレアと」
「フレア先生と、二人で……?」
「そうだけど」

 俺がそう答えると、レイはなぜか暗い顔をして俯いてしまう。しばらく彼女は黙り込み、なんとなく変な空気が流れた。

「レイ、どうした?」

 俺が彼女の顔を覗き込んでも、レイは全く目を合わせてくれない。
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