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第五章

叱責

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 その後。
 ほどなくして、僕とユナの母さんたちが川辺まで迎えに来てくれた。

 二人と別れて、僕は早急に救急外来へ連れられる。
 溺れた時間がほんのわずかだったのが幸いして、肺などに影響はとくにないとお医者さんに言われた。
 ただし水中で顔面を強く打ったことによって、右頬辺りに切り傷ができてしまった。ゴツゴツした感触があったから、たぶん岩にぶつかったんだろう。
 その衝撃で、傷口がかなり大きいらしい。しかも顔面の目立つ箇所だったこともあり、十針も縫う羽目になった。
 ボトックス注射や手術後の痛みに比べたら大したことはなかった。……でも、ちょっとだけ・・・・・・痛かった。そのせいで、涙が溢れそうになってしまった。涙が溢れそうになっただけで、決して泣いたわけじゃない。

 その帰り道。車を運転する母さんは、終始無言だった。奇妙なほどに無表情で、僕はその横顔を見るのが少しばかり怖かった。

 いつの間にか太陽が沈みかけていて、西の山へ帰る頃になっていたんだ。

 ──それで、なんとなく予想していたことが、的中することになる。
 
 家に帰ると、父さんが待ち構えていた。リビングの椅子に腰かけながら両腕を組んでいて、見るからに穏やかじゃない。

「座りなさい」
「……うん」

 父さんに促され、僕は向かい側にそっと腰を下ろした。それから母さんも僕の対面に座る。

 今までにないほどの、重苦しい空気。
 すでに息が詰まりそうだ。たまらず僕はうつむき加減になる。

 静まり返る中、最初に口を開いたのは父さんだった。

「コウキ。話は聞いたぞ。ユナちゃんと二人だけで、外を出歩いたそうだな?」
「……そうだよ」
「なんのつもりだ? どうして何も言わず勝手に出て行ったんだ?」

 父さんの声は聞いたことがないくらい低くて、威圧的で、それでいて落ち着いていた。
 これだけで分かる。父さんは、相当怒っているんだと。

 拳を強く握りしめ、僕はしっかりと経緯の説明をしようと決めた。

「僕が悪いんだよ。自由気ままに散歩したいってわがままを言ったから……。手術を受けて、入院中のリハビリも頑張ってきたから、近所を歩くだけなら大丈夫だろうって思ってた。大人の付き添いなんてなくても、僕だって町を歩けるんだって」
「何を考えているんだ!!」

 父さんはため込んでいたものを一気に爆発させるように、怒号を飛ばした。こんなに怒り狂った叫び声は初めて聞いた。僕は身の縮む思いをする。

 でも、怒鳴り声が怖いんじゃない。父さんを怒らせてしまった自分が情けなく、胸がすごく痛くなった。

「誰から許可をもらったんだ! 子供だけで外を出歩いていいなんて、そんな話は一切していないだろう! 危険な目に遭ったんだぞ? もし溺れ死んだら……どうするつもりだ! お前がいなくなったら、悲しむ人がたくさんいるんだ! それに、ユナちゃんにも危ない思いをさせた! 浅はかな行動のせいでお前は……!」
「待って、あなた。落ち着いて……」

 声を震わせながら、母さんが必死になって父さんの興奮を抑えようとする。
 父さんの顔が、真っ赤になっていた。まだまだ言いたいことがたくさんあるというような目をしていたけれど、そこで一度口を閉ざすんだ。

 ──ああ、父さんの言う通りだよ。僕の軽率な行動のせいで、こんなことになってしまった。もしかしたら、もっとひどい事態になっていたかもしれない。叱られるのも仕方がないことだ。

 井原先生や岩野先生にも言われただろう。無理をするなって。頑張りすぎるなって。あの言葉の意味を僕はちゃんと理解していたはずだ。
 なんてバカなんだ。バカすぎる。心だけが前へ前へ進もうとして、まだまだ体は追いついていけないのに……!
 胸が、苦しい。目から大粒の涙が溢れ、どうしたって止まらなくなる。

 こんな僕に対して、母さんは静かに口を開くんだ。

「コウキ。外出するときは、必ずわたしかお父さんがついていくから、もう危ないことはしないで……お願い」

 母さんの手が、小刻みに揺れている。

 その忠告に、頷こうとした。だけど、どうしても「うん」と返事をすることができない。
 わがままな僕は、この期に及んで自分の不満をぶちまけてしまう。

「いつまで、我慢しなきゃいけないんだ……?」

 ありえないほど声がしゃがれた。けど、もうそんなの関係ない。僕は更に続けた。

「僕と同じくらいの歳の子は、みんな気軽に出かけられるのに。僕なんて、近所でさえも危ないから、好き勝手歩けない。学校の行き帰りだって、父さんや母さんの付き添いが必要だ。みんなにとって普通のことが、僕にとっては普通じゃない。悔しいよ。一体いつまでこんなことが続くの? せっかく、大変な手術を受けたのにさ……!」

 僕は何を言っているんだろう。今更こんな不満を口にするなんて。
 これまで前向きに物事を捉えてきたはずだ。だけど、心の叫びを声に出さずにはいられなくなってしまった。
 現実を目の当たりにしたから。夢のようにはいかないんだって、思い知らされたから。

 僕の本当の心は、常に悲鳴を上げていたんだ。
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