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五章 闇夜の蓮と弓使い
五章 [5/15]
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一方の飛露は同じ術を使うために、それなりの準備をしている。
まず、屋内演習場の中でも最も狭い場所を借り、その中央に胡坐をかいて座り込んだ。そして、数枚の札と刃に複雑な文字や記号からなる術式が書き込まれた短剣を取り出して、隣にたたずむ老爺を見上げる。彼が最も信頼を置く副官で、名は義明。
「義明、日が沈んだら呼んでくれぬか?」
「構わぬぞ」
義明は飛露と同じ硬い口調でうなづいた。
「しかし、おぬしならば、これほどの支度はいらぬのではないか?」
「今は少しでも気が惜しい。札数枚で気力を温存できるなら、安かろう」
「おぬしがそう言うのなら、よい」
老爺はそう言うと、飛露が何か言う前に部屋を辞した。お互いよく知った間柄だ。これ以上の指示は必要ないということだろう。
「では、はじめるか」
飛露はそう自分に言うと、ゆっくりと呪文を唱えはじめた。
呪文には気の流れを作り出す効果がある。これから使う術式を助ける流れになるまで呪文を唱えた後、用意していた札と短剣に気を流し込む。
呪文で操っていた気が札と短剣に緩やかな渦を作りながら吸い寄せられるのを確認して、重ねて床に置いた札を短剣で貫いた。あたりの気が貫かれた部位に集まるように流れ込み、吸収された気が剣の柄から上空へと放出される。
それを確認したのち、飛露は片手を床に立てたままの剣の柄に置き、もう片方の手で志閃同様宝玉を握りこんだ。
目を閉じて集中すると、剣の柄から流れ出す気に乗って、意識を飛ばす。
剣と札の目印があるので、自分の体の場所を見失わずに広範囲の監視ができる。近くにいる義明も、飛露が桃源に来たばかりのころからなじみがある良い目印だ。
まず意識したのは水蓮の場所。最近の彼女は弓術の成績こそあまりかんばしくないものの、戦で人手が足りず猫の手も借りたいと言う部下からの要望と、けがが完治したことでしぶしぶながら仕事を与えていた。
宮殿の南端にある小さな城門の警護。この南向きの城門は、西や南にある村や山と行き来する人のために設けられたものだ。人の往来が少なく、初心者を配置するにはちょうど良い。
禁軍の拠点から比較的近いのも監視する側からすればありがたい。
水蓮は門の上――城壁から、はるかかなたまで連なる急峻な山々を眺めている。
その頭にはいつもの小鳥。志閃がかつて「人が鳥になっている」と例えた小鳥だ。見た目も鳴き声も仕草もすべてがごく普通で、そのあたりで土を掘り返して虫を探す鳥たちと変らなく見える。纏う気は鳥のものではないが、志閃が言うような人が鳥になっているという感覚はわからない。ふつうの鳥よりも気の流れが複雑で、気の制御ができているように感じる程度だ。
動植物と相性の良い仙術使いと言うのは珍しくない。志閃は植物全般と相性がいいし、騎馬部隊には熊を手なずけて騎獣にしている者もいる。
動物に好かれやすいのは仙術使いの特徴で、頭に小鳥を載せた水蓮を奇異の目で見る者はいなかった。逆に、「今日も小鳥ちゃんといっしょか?」と小鳥もろともかわいがられているようだ。
小鳥の気の乱れを指摘する者もいたが、「一緒にいることが多かったから、私の気の流れが影響しちゃったのかも」と答えている。使役された動物は、術師の影響なのか他の動物よりも高度な知性を持つことが多い。それに伴って、気の流れも他の獣より複雑になる。このことは一般常識なので、彼らはそれで納得するようだったが、小鳥の気の乱れは水蓮が桃源に来たばかりのころからだったことを飛露は知っていた。
怪しいから敵国の刺客だと決めつけるのは根拠が足りない、という志閃の指摘も理解できる。しかし、疑わしいものは疑っておくべきで、それが帝の安全にもつながるはずだ。
ただし、視野は広く持たなくてはならない。飛露は宮殿中から飛び出す騎馬や、仙術、術で使役した動物などの出入りにも気を配った。
今城門を入り禁軍拠点の門をくぐった騎馬は、飛露の指示で編成した角端軍の伝達部隊。毎日朝と夕に前線からの情報を持ち帰る。
次に朝廷から飛び出していったのは、文官か誰かが放った仙術による伝令だろうか。あれは無視だ。騎馬部隊の伝令も無視。
今王宮を出た男は、飛露の部下だが、彼の勤務時間は終わっている。|源京(げんきょう)に住む家族のもとへ帰るのだろう。部下が仙術で何かを飛ばした。方向は前線とは反対だが、あれはあとで確認しておこうと術を使った部下を覚えておく。
宮殿を含む源京内のみでのやり取りは自軍でも無視だ。家族や友人、恋人などとの個人的なやり取りもあるだろうし、そこまで詮索していたらきりがない。
前線方向からの鷹。あれは飛露が指示して猛禽使いの部下に書類のやり取りをやらせているものだ。これは自分が命じたことなので、あえて確認する必要もない。
水蓮の鳥が動いた。何度か宮殿上を旋回して仲間を集め、集団で宮殿内の庭に降り立ち土をつつきはじめる。帝のいるであろう執務室の近くなのが気になるが、帝の近くをじろじろ監視するのははばかられる。
しかし、飛露がこのまま監視を続けるか悩むのは短時間で済んだ。
執務室の窓から涼しげな顔をした帝直属の占い師――白伝の顔がのぞく。その瞬間彼が放った札は、鳥の近くに落ちるや否や爆竹のような破裂音を響かせた。
次の瞬間、音に驚いた鳥たちが集団で空へ舞い上がる。彼も、水蓮の存在には警戒していた。彼女のそばにいる小鳥やその気の不自然さにも気付いているのだろう。彼は志閃に並ぶ仙術の使い手なのだから。
小鳥の群れが帝から遠い庭園の一角に降り立ったことを確認して、飛露は再び意識を拡散させた。
まず、屋内演習場の中でも最も狭い場所を借り、その中央に胡坐をかいて座り込んだ。そして、数枚の札と刃に複雑な文字や記号からなる術式が書き込まれた短剣を取り出して、隣にたたずむ老爺を見上げる。彼が最も信頼を置く副官で、名は義明。
「義明、日が沈んだら呼んでくれぬか?」
「構わぬぞ」
義明は飛露と同じ硬い口調でうなづいた。
「しかし、おぬしならば、これほどの支度はいらぬのではないか?」
「今は少しでも気が惜しい。札数枚で気力を温存できるなら、安かろう」
「おぬしがそう言うのなら、よい」
老爺はそう言うと、飛露が何か言う前に部屋を辞した。お互いよく知った間柄だ。これ以上の指示は必要ないということだろう。
「では、はじめるか」
飛露はそう自分に言うと、ゆっくりと呪文を唱えはじめた。
呪文には気の流れを作り出す効果がある。これから使う術式を助ける流れになるまで呪文を唱えた後、用意していた札と短剣に気を流し込む。
呪文で操っていた気が札と短剣に緩やかな渦を作りながら吸い寄せられるのを確認して、重ねて床に置いた札を短剣で貫いた。あたりの気が貫かれた部位に集まるように流れ込み、吸収された気が剣の柄から上空へと放出される。
それを確認したのち、飛露は片手を床に立てたままの剣の柄に置き、もう片方の手で志閃同様宝玉を握りこんだ。
目を閉じて集中すると、剣の柄から流れ出す気に乗って、意識を飛ばす。
剣と札の目印があるので、自分の体の場所を見失わずに広範囲の監視ができる。近くにいる義明も、飛露が桃源に来たばかりのころからなじみがある良い目印だ。
まず意識したのは水蓮の場所。最近の彼女は弓術の成績こそあまりかんばしくないものの、戦で人手が足りず猫の手も借りたいと言う部下からの要望と、けがが完治したことでしぶしぶながら仕事を与えていた。
宮殿の南端にある小さな城門の警護。この南向きの城門は、西や南にある村や山と行き来する人のために設けられたものだ。人の往来が少なく、初心者を配置するにはちょうど良い。
禁軍の拠点から比較的近いのも監視する側からすればありがたい。
水蓮は門の上――城壁から、はるかかなたまで連なる急峻な山々を眺めている。
その頭にはいつもの小鳥。志閃がかつて「人が鳥になっている」と例えた小鳥だ。見た目も鳴き声も仕草もすべてがごく普通で、そのあたりで土を掘り返して虫を探す鳥たちと変らなく見える。纏う気は鳥のものではないが、志閃が言うような人が鳥になっているという感覚はわからない。ふつうの鳥よりも気の流れが複雑で、気の制御ができているように感じる程度だ。
動植物と相性の良い仙術使いと言うのは珍しくない。志閃は植物全般と相性がいいし、騎馬部隊には熊を手なずけて騎獣にしている者もいる。
動物に好かれやすいのは仙術使いの特徴で、頭に小鳥を載せた水蓮を奇異の目で見る者はいなかった。逆に、「今日も小鳥ちゃんといっしょか?」と小鳥もろともかわいがられているようだ。
小鳥の気の乱れを指摘する者もいたが、「一緒にいることが多かったから、私の気の流れが影響しちゃったのかも」と答えている。使役された動物は、術師の影響なのか他の動物よりも高度な知性を持つことが多い。それに伴って、気の流れも他の獣より複雑になる。このことは一般常識なので、彼らはそれで納得するようだったが、小鳥の気の乱れは水蓮が桃源に来たばかりのころからだったことを飛露は知っていた。
怪しいから敵国の刺客だと決めつけるのは根拠が足りない、という志閃の指摘も理解できる。しかし、疑わしいものは疑っておくべきで、それが帝の安全にもつながるはずだ。
ただし、視野は広く持たなくてはならない。飛露は宮殿中から飛び出す騎馬や、仙術、術で使役した動物などの出入りにも気を配った。
今城門を入り禁軍拠点の門をくぐった騎馬は、飛露の指示で編成した角端軍の伝達部隊。毎日朝と夕に前線からの情報を持ち帰る。
次に朝廷から飛び出していったのは、文官か誰かが放った仙術による伝令だろうか。あれは無視だ。騎馬部隊の伝令も無視。
今王宮を出た男は、飛露の部下だが、彼の勤務時間は終わっている。|源京(げんきょう)に住む家族のもとへ帰るのだろう。部下が仙術で何かを飛ばした。方向は前線とは反対だが、あれはあとで確認しておこうと術を使った部下を覚えておく。
宮殿を含む源京内のみでのやり取りは自軍でも無視だ。家族や友人、恋人などとの個人的なやり取りもあるだろうし、そこまで詮索していたらきりがない。
前線方向からの鷹。あれは飛露が指示して猛禽使いの部下に書類のやり取りをやらせているものだ。これは自分が命じたことなので、あえて確認する必要もない。
水蓮の鳥が動いた。何度か宮殿上を旋回して仲間を集め、集団で宮殿内の庭に降り立ち土をつつきはじめる。帝のいるであろう執務室の近くなのが気になるが、帝の近くをじろじろ監視するのははばかられる。
しかし、飛露がこのまま監視を続けるか悩むのは短時間で済んだ。
執務室の窓から涼しげな顔をした帝直属の占い師――白伝の顔がのぞく。その瞬間彼が放った札は、鳥の近くに落ちるや否や爆竹のような破裂音を響かせた。
次の瞬間、音に驚いた鳥たちが集団で空へ舞い上がる。彼も、水蓮の存在には警戒していた。彼女のそばにいる小鳥やその気の不自然さにも気付いているのだろう。彼は志閃に並ぶ仙術の使い手なのだから。
小鳥の群れが帝から遠い庭園の一角に降り立ったことを確認して、飛露は再び意識を拡散させた。
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