上 下
60 / 103
五章 闇夜の蓮と弓使い

五章 [13/15]

しおりを挟む
「貴様は何なのだ!?」

「ちょっと飛露とびつゆ――」

「えぇい! 邪魔をするな」

 志閃しせんが二人の間に割って入ろうとするが、飛露はそれを乱暴に払いのけた。

「貴様は何者だ!? 敵の内通者か!?」

 水蓮すいれんの胸ぐらをつかむ。水蓮の足は爪先立ち、今にも宙に浮いてしまいそうだ。

「違います」

 しかし水蓮はおびえることなく穏やかに、しかしはっきりとした口調で答えた。

「では何者だ!?」

「それは言えません。言ってはならない決まりなのです。少なくとも今はまだ」

 彼女の様子は、いつもの少女らしさが薄れ、老成した印象を与える。水蓮がそっと自分をつかむ飛露の手に触れると、それはすんなり緩んだ。飛露は驚いたように自分の右手を見た。

「しかし、私は敵ではありません。この国を守りたいと思うものです」

「正体のわからぬものを信頼できぬ!」

「そうですか……」

 飛露の怒鳴り声に、水蓮はひどく悲しそうな笑みを浮かべた。そのまま肩を落として病室をあとにしようとする。

「待って」

 それを制止したのは志閃だ。

「帝の見た夢の救世主って、水蓮ちゃんのこと?」

 帝の夢の話は、敵国に知られれば悪用されかねない非常に守秘度の高い情報だ。
 ごく一部の人にしか明かされていない情報を口にした志閃に周りの人々の目が集まった。次いで、答えを求めるように水蓮へと視線が向く。
 しかし、一度振り返った水蓮は、首を横に振ってそのまま病室を立ち去ってしまった扉が小さな音を立てて閉まる。

「水蓮!」

 そう叫んで彼女のあとを追おうとした泉蝶せんちょうの腕をつかんだのは志閃だ。

「なんで止めるのよ!」
「なぜ追いかけさせぬ! 志閃!!」

 泉蝶と飛露の怒鳴りが被った。

「なんだろう。追いかけちゃダメな感じがした」

 志閃は泉蝶の腕を放して、疲れたようにその場に座り込んだ。

「汚れるわよ」

 床に何も敷かずに座る志閃を見て泉蝶は言ったが、志閃は「だいじょぶだいじょうぶ」といつもの調子で返す。

「仙術部隊の将軍やってるのにこんなこと言うのもなんだけど、水蓮ちゃんの気にひるんじゃったかな……。ちょっと疲れた」

「だが、このまま水蓮を野放しにしておくわけにもいかぬだろう」

 飛露はいらいらと背負った弓に触れつつも、志閃同様水蓮を追いかける気はないようだ。

「うん。だから、飛露。水蓮ちゃんを捜してよ。俺はもっと他にこうに情報を漏らしてる人がいないか監視を続けるからさ」

「わたしでいいのか?」

「いいよ。飛露の方が俺より気の広域探知って得意っしょ? それに、飛露はどれだけ水蓮ちゃんを疑ってても、個人的な感情で水蓮ちゃんにひどいことをする人間じゃないし。いや、小さい嫌がらせくらいはするかもだけど、大けがさせたりはしないって信じてる」

「ふん」

 飛露は機嫌悪そうに鼻を鳴らした。志閃に図星を突かれたのが気に食わないのだろう。
 しかし、何も言い返さないのは志閃の頼みを聞入れてくれたということだ。

「ありがとう」

 志閃はお礼を言った。

秋夕しゅうゆうちゃん。秋夕ちゃんは俺達よりもずっとみんなの気の流れや乱れに敏感だよね」

 次いで、志閃は周賢しゅうけんの様子を確認している仙術治療師を見る。

「はい、志閃将軍」

 立場上は禁軍所属医師の助手だが、仙術治療における彼女の能力は桃源中の術師のなかでもかなりの上位に食い込む。

「気が変に乱れてる人を見つけたら教えてほしい。あとまた同じような患者が出ると思う。その時に適切な治療ができるよう研究と準備をお願いできる?」

「かしこまりました」

「泉蝶ちゃんは、賢クンが借りてた本を次に誰が借りようとしていたか聞いてきてくんね? ついでに、これまでに賢クンが借りた本を次に借りた人も」

 次に志閃は泉蝶を見た。仙術が深くかかわっているこの件で泉蝶ができることはないだろうと、悔しがっていたところに仕事を与えられ、うれしいのは内緒だ。

「任せなさい」

 泉蝶は力強くうなずいた。

「あと、前線の赤覇せきは王紀おうきにも伝令を送ってくれたら助かる。宮殿の大臣や他軍の将軍たちにもかな……」

「必要な報告は全部やっておくわ」

「ありがと。助かる」

 志閃はにっこり笑んだ。そして、ゆっくりと体を起こして立ち上がる。

「じゃ、解散。俺はとりあえず妖舜ようしゅんに話を聞いてくるわ」

 予想以上に大変なことがあったが、志閃は当初自分で決めた予定を変えなかった。

「あのふしだらな男か!」

 妖舜の名前を聞きとがめた飛露が不快げに顔をゆがめる。

「素行は悪くても、占いの腕は一流だからね。人間的な問題さえなかったら、帝付きの占い師になっててもおかしくない能力だよ」

 本来ならば、多くの人がのどから手を出して欲しがるような占い精度を持つ男だ。それが禁軍の一兵士でいてくれるのだから、彼の素行の悪さには感謝するべきなのかもしれない。

「ふん。性根が悪いことに変わりはない」

 飛露は鼻を鳴らして、踵を返す。

「わたしはあの小娘を捜す。先に失礼するぞ」

「うん。いってらっしゃい」

 素早く消えた飛露の背に、志閃はひらひら手を振った。泉蝶は部屋を出ようとする志閃のために戸を開けて押さえている。秋夕は深い眠りについている周賢の様子をながら、分厚い帳面に何かを書き記していた。

「じゃあ、俺たちもやることやろっか」

 そして一同は散り散りになった。
しおりを挟む

処理中です...