龍神の詩 ~龍の姫は愛されながら大人になる~

白楠 月玻

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  第三部 - 二章 三冬尽く

二章六節 - 心中の光を探す

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 その気配を背中で確認して、比呼ひこはさらに氷の上を進んだ。しかし、今履いている高下駄げたと氷は相性が悪い。体重が氷の一点に集中してしまう。比呼は履き物を脱いで、池のふちに放り投げた。分厚い防寒用の足袋たびを通して氷の冷たさが伝わってくる。
 足袋が氷に張り付いてしまわないように、比呼は足の進みを早めた。一歩踏み出すたびに氷が軋む小さな振動が伝わってくる。割れてしまうだろうか。しかし、ここからでは子どもに手が届かない。

 池に落ちた子どもはすでに相当体力を奪われているらしい。何とか薄い氷にしがみついているが、い上がれずにいる。少年の赤く血走った目が比呼を見た。小さな手をこちらに伸ばして――。

「何やってんだよぉ~?」

 後ろから子どもの涙声が聞こえた。

「早く助けてやってくれよぉ~」

「やっぱりお兄ちゃん与羽ようねーちゃんとケンカした悪い人なの?」

「ねーちゃんなら、あっという間だよ」

 比呼は唇を噛んだ。比呼を救い出してくれた与羽ならば、彼らの言う通りきっとすぐに助け出すのだろう。口の端を上げて、ちょっといたずらっぽく笑いながら。

 ――僕は与羽みたいにはなれない……。

 比呼は助けられる側なのだ。ちらりとうしろを振り返ったが、雷乱らいらんはまだ戻ってこない。
 与羽のように、当たり前に人助けするなんてことはできない。でも。

 ――僕が、何とかするしか……。

 当たり前じゃなく、苦労して、もがいて助けることなら、できるかもしれない。
 比呼は意を決して、氷に腹ばいになった。体の下で薄い氷が軋むのを感じる。

 これは自殺行為だ。分の悪いことはしないに限る。本能がそう告げる。自分には何の利益にもならないのに、命をけるなどばかげていると。

 だが、彼はもう華金かきんの暗殺者――暗鬼あんきではない。与羽と約束したのだ。人を助ける。与羽を守ると。

 ――僕は中州の民。

 ゆっくりと氷上を進もうとした。

 しかし――。

「それ以上動くな!」

 背後からかかった声に、比呼はぴたりと動きを止めた。

 ――誰だろう?

 聞き慣れない声に、比呼は少しだけ後退して振り返った。

 まず見えたのは、人の背丈の三、四倍はあろうかという長い竹竿。ただし、太さはあまりない。細い竹を継いでその長さにしているようだ。
 そして、それを持った長身の男と、その右顔面に浮かぶ火傷の跡。頭に巻いた、濃紺の手ぬぐい。やはり、知らない。筋骨隆々な大きな体をした中年の男性だ。

「そこから先は、氷が薄い。いくらお前がチビでも落ちるぞ」

 一歩だけ氷の上に踏み出した男が竿を振った。長い竹がしなり、比呼の斜め前の氷を砕き割る。冷たいしぶきと氷の破片を浴びて、比呼は身をすくめた。
 その瞬間体の下で氷がピシリと音を立てる。割れることはなかったが、比呼は慌てて体の位置を変えた。

「じゃあ、どうすればいいんですか!?」

 比呼は大きな声で尋ねた。子どもまでは、まだ届かない。たとえ男の持つ竿を差し出したとしても、少年にそれを掴む力は残っていなさそうだ。

「そうだな……。この竿につかまって空中から――、って言うのは無理だしなぁ」

 男は、一度氷を叩き割った竿を垂直に戻しながら言う。相当な腕力だ。

「さっきはああ言ったが……」

 そうつぶやいて、比呼を品定めするように見る。

「まぁ、お前なら大丈夫だろう。――落ちろ」

 今度は、比呼のすぐ横に竿が振り下ろされた。
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