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ep.2

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「なんだ、アルさんのところにもピーチ・フロイラインが来たんだ。」
「桃色のお嬢さんって、何それ?」
「だから、アルさんのところに乗った桃色髪のロザディッチ男爵家令嬢のこと。最近、水上乗合魔車に現れるってちょっと有名になってるんだよ。」


 へぇー、あの子が……とアルフレッドは頷いた。昨日、少しばかり内心で大騒ぎしてしまったが、そもそもちょっとしたお騒がせなお嬢様だったらしい。そんな話を、業務開始前に同僚から話を聞いていた。
 どうやらあの桃色髪の彼女はここ数日、色んな水上乗合魔車に現れては乗って、おおよそ15時から16時まで乗っているらしい。確かに自分の時もそのくらいの時間だった気がする、とアルフレッドは思う。水上乗合魔車は、一律5タッロと決まっており、払えば降りるでは営業中はいつまでも乗っていていいことになっている。したがって水上乗合魔車では、井戸端会議が始まったり商談の前哨戦が始まったりと、色んな風景が広がっていることが多い。もちろん、静かに本を読む人もちらほらと見かける。だから、桃色髪の彼女の行動がとやかく言われる謂れはないのである。


「今日その子、現れますかねぇ?」
「現れるんじゃないかな、誰の魔車だろうね。」


 そんな会話を同僚として、仕事を開始したのだ。


(で、僕のところにピーチ・フロイラインが現れる、と。)


 本日もすまし顔で水上乗合魔車の乗り場で待っているピーチ・フロイラインこと桃色髪のロザディッチ男爵家令嬢。乗り場に近づくとその姿が見えてきて、アルフレッドは思わず今朝の会話を思い出して目をぱちくりと瞬かせた。


「……あの、わたくし達の乗車料をお受け取りいただきたく。よろしくて?」
「っこれは、失礼致しました。確かに10タッロ受け取りました。お乗り下さいませ。」


 思わず、彼女をまじまじと見てしまったらしい。乗り場に到着しても動こうとしないアルフレッドを訝しげに見る彼女から慌てて料金を受け取ると、乗車の案内をした。チラリと振り返ると、彼女も乗りなれたらしく伴の者と一緒に座れそうな席を指示すると、大人しく本を開いて読み始めていた。


(不思議なお客さんだなぁ)


 貴族には貴族のプライドがあるらしく、貴族は自前の水上魔車に乗ることが一般的である。または、個人用の公共機関として水上辻魔車があり、そちらに乗るのが多い。水上乗合魔車という乗り合いの大きな魔車に乗る貴族は少ないのである。
 だから、ピーチ・フロイラインなんてあだ名が付くくらい、桃色髪の彼女のように水上乗合魔車に乗る貴族は珍しいのだ。


(珍しいって、なんだっけ……。)

「なぁ、ピーチ・フロイラインがアルさんに取られたんだけど!?」
「俺だって、ピーチ・フロイラインが乗った時はすげー乗り心地とか気を付けたのに!」
「ばっか、お前ら。そういう疚しいところが乙女にはバレんのさ。」


 あれから数週間。ピーチ・フロイラインことロザディッチ男爵家のお嬢様は、アルフレッドの運転する水上乗合魔車に現れ続けた。そのせいで同僚からやいのやいの言われてしまっているが。アルフレッドは不思議な桃色髪の彼女のことを考えては、首を捻るのに忙しい。
 彼女は、桃色髪にピンクオパールのような瞳、背はかなり低く可憐という表現が似合う少女だ。派手な色合いが苦手なのかはわからないが、碧色のローブの内側には紺色に白色襟のワンピースを着ていることが多い。本を読んでいる時にふと笑う横顔が可愛い、というのがこっそりと観察した結果である。そして、いつも分厚い本を読んでいるが、残念ながらそのジャンルは不明だ。少なくとも魔学術院の教科書はそこまで分厚くないと思う。


「アルさん、ピーチ・フロイラインと会話した?」
「いや、しないよ。お貴族様だもの。」


 ぼーっとピーチ・フロイラインのことを考えていると、同僚から話を振られるが一笑に付す。相手はお貴族様で、その家の大切なお嬢様なのだ。どこぞの馬ともしれぬ男が話しかけてきたら怖いだろう。なんだそれ、と同僚に笑われるが無視を決め込んだ。
 ただ、とアルフレッドは思う。なんで水上乗合魔車に乗るのか、とか。なんの本を読んでいるのか、とか。彼女に聞いてみたいことは沢山ある。


「10タッロですわ、お受け取り下さいまし。」
「確かに受け取りました。どうぞご乗車ください、セニョリータ。」


 アルフレッドと、桃色髪の彼女はただの乗務員と乗車客。だからアルフレッドは彼女に話しかけたい気持ちをぐっと抑えて、今日も今日とて同じ会話を繰り返すのだった。
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