【完結】運命の番より俺を愛すると誓え

劣情祝詞

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前編

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 嫌いだ、噎せ返るような洗剤の匂いと吹き出してくるあの熱風、水流と機械音が混ざり唸りをあげる轟音。
 頭がおかしくなりそうだ。
 並ぶ洗濯機の横を通り過ぎて家を出る。
 イヤホンをした耳の中ではBillie Eilishが歌っている。
 店先の「ミナセコインランドリー」の文字は汚れて剥がれて今にも取れかかっていた。
 コインランドリーなんてこのご時世、衰退の一途を辿るだけなのになぜだかうちは俺が生まれる前からずっと続いている。
 コインランドリーと同じように時代に取り残された常連が、下町の人情を引っさげて訪れるのだ。
 有人のコインランドリーなんて今ではここぐらいなものだろう、母親が客を何十年と迎え続けている。
 俺は物心つく前から毎日毎日、この洗濯機の横を通って家を出る。
 この匂いが、空気が、俺にこびりついて離れないんだ。
 嫌いだ、何だか俺まで時代に取り残されてるみたいで、身体中掻き毟りたくなる。
 掻きむしったところでこびりついたものは取れはしないのに。

「あんたまたパチンコ行くんじゃないでしょうね!!」
「うっせぇなクソババア、バイトだよ」
「もー、定職就きなさいよ!」

 バイトに行くなんて嘘だ。
 母親は俺が家を出る度にしつこいくらいにその目的を尋ねてくる。
 俺が「バイト」と答えているうちの5割は嘘だ。
 その5割で俺はいつもこの廃ビルに足を踏み入れている。
 地震が来れば一瞬で崩壊してしまいそうなひび割れのコンクリートに、至る所を廃材で武装した禍々しい建物。
 そこに入るには裏に隠された小さな扉一つしかない。

『武器を持て』

 扉の向こうから声が聞こえる。
 これは合言葉だ、同胞かどうかを確認するものだ。
 だから俺はこう答える。

『我々は如何なる罪を犯す事も厭わない』

 ギギギと扉が開くと、目の前に立った巨体の男が黒いバンダナを渡してくるから、俺はそれをマスクのように口元に結んだ。
 現在では違法であろう狭い廊下と軋む階段を抜けて、一番奥の部屋へと入った。
 俺と同じように口に黒いバンダナを巻いている男はソファに寝転んだまま俺に声をかける。

「水無瀬、遅かったじゃねぇか。ちょうど今俺らのことニュースでやってるとこだぞ」

 俺はイヤホンを外してから、そいつの横に腰掛けて、テレビに目を向けた。

『……通称CASキャス、この過激派組織は社会的に地位が低いとされているΩの権利を主張し、社会階級制度の撤廃を求める名目で武装闘争、爆破事件、放火事件などを繰り返しているとのことです』
『全く無関係の罪のないαを誘拐し、見せしめを行った事件は記憶に新しいですよね』
『はい。そしてこの組織の特徴は主に20代の若者で構成されている点であり、学生運動の再興ではないかとも言われています。また、SNSや動画投稿サイトでの活動が盛んで、その実態や活動拠点は未だ不明です。』
『ありがとうございました。スタジオには革命運動の専門家にお越しいただきました。このような行為について、どのようにお考えでしょうか』
『そうですね、若者は社会への批判・懐疑を抱きやすい特性がありΩへの差別を無くしたいと考えているのでしょうが、その手段は到底許されるものではありません。このような活動で本当に差別が無くなるとは思えませんね。活動もどんどん過激さを増しているので、αは十分に警戒する必要があるでしょう』

 そこまで聞いて横の男はテレビの電源を落とした。

「けっ、カメラの前で座ってくっちゃべってるだけで何にも行動を起こしてない奴が偉そうなこというなっつーんだよ」
「お前だってテレビの前でソファに寝転んでポテチ食ってるだけだろ」

 俺の嫌味を聞いて男は俺を足蹴にする。

「今はな!はー、崇高な俺たちの活動が理解される日はいつ来るのやら。なあ幹部様?」
「その呼び方やめろ。ていうかお前も幹部だろうが、山科」

 どうせお飾りの幹部だ。
 今晩の飯にも困っていながら一日中革命活動に勤しんでいる奴もいるというのに、バイトと活動半々でしか時間を割けないような中途半端な俺が名前だけの幹部をやっている。
 だがそれに納得している自分もいる。
 ここのメンバーの構成は、純粋にΩの権利を求めるΩが2割、Ωを尊重し社会に疑問を呈す人徳者というステータスが欲しいだけのαが1割、そして残りの7割はαに劣等感を抱いてその鬱憤を革命活動で晴らすβだ。
 いくら崇高だとか、それらしい言葉で正当化していても、ほとんどの人間が下心で活動しているこの集団で俺のようなお飾りの幹部がいたって何もおかしくない。
 少なくとも暇つぶしで活動してるβの俺よりは、全員まともだろう。



 もちろん俺の目の前のこの男、山科も例外ではない。
 高校の時の同級生で、学生時代から適当で怠惰で、何かに熱意を注ぐようなところは見たことがない。
 それなのに今では活動組織の幹部。

「そうだ水無瀬、近々またアレを決行するぞ」
「……アレか」

 アレとは先ほどニュースで言っていたα誘拐のことだ。
 無実のαを拉致って、見せしめを行い、ネット上にその動画を投稿する。
 最近始まった活動で、政府への最終警告みたいなものだ。
 すでに数人のαが犠牲となっていた。
 この活動が始まるまでに組織では一悶着あった。
 そこまでやる必要はないのではないか、今度こそ逮捕されるのではないか、リンチは我々の主義に反する、など反対者も数多く出た。
 しかし元々暇人の集まりみたいなものだ、事が過激になるのは見え透いていた。
 とうとう一人目の犠牲者が出た後は、皆タガが外れたようにこの活動に熱中していた。
 さらにこの組織の7割を占めているβのほとんどがαへの憂さ晴らしを目的としてここにいる。
 そういう奴らにとっちゃ、この活動が楽しくないわけがない。
 俺自身は別にαに恨みはないし、どっちでも良かったが、あまり過激になりすぎて事が大きくなるのは避けたい。
 しかし、組織の意向には逆らえないから適度に活動に参加しているそぶりを見せていた。

「ターゲットは決まってるのか?」
「いや、まだだ。良さげなα知ってたら団長に報告しとけよ」

 「団長」とは、この組織を仕切るリーダーのことだ。
 確か29歳だったか、昔気質な革命家に憧れてろくに仕事もせずに革命活動に勤しんでる。
 正直あの熱量にはついていけないが、幹部の中でもトップである団長には逆らえない。
 やる気はあっても覚悟はないタイプで、放火事件、爆破事件、破壊活動、αのリンチ、危ない活動をやりたがる癖に自分は実行犯にならない。
 俺は指揮を取るんだなんだと言っているがまあ正直な話ついていくのも一苦労だ。
 唯一救いがあるとすれば、後一年で団長は去るであろうということだ。
 うちの組織は規則上、29歳以下しか入れないことになってるから、少なくとも団長は変わるだろう。
 そうすれば活動も少しは落ち着くだろうと踏んでいる。

「へーへー、わかったよ。んで、定例会は?」
「あ~、なくなった」
「まじかよ、早く言えよ」

 週に一度、幹部が集まる定例会がある。
 今日はそれに来たというのになくなったとは。
 まあ、定期的に顔を出せる人間の方が少ないこの組織は、実質機能していないようなものだからこんなことも稀ではない。
 俺はソファから立ち、さっさと廃ビルを後にした。
 家を出てから一時間も経っていない。
 母親にバイトと言った手前、流石に今帰るのは怪しまれるだろう。
 俺は街をぶらぶらして数時間ほど時間を潰した。
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