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涙月③
無垢な令嬢は月の輝く夜に甘く乱される~駆け落ちから始まった結婚の結末は私にもわかりませんでした。
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トンジュは自分自身で自分を追いつめている。堪らず、サヨンは振り向いた。
「止めてちょうだい。私は、あなたの世間的立場とか身分に拘っているのではないわ。そんな風に、あなた自身の言葉で自分を追いつめるのは止めて」
「ヘッ、何を綺麗事を言ってるんだ。俺を追いつめ、苦しめているのは俺自身じゃない。今、俺の眼の前にいるあんただろう」
唐突にトンジュの言葉遣いが変わった。これまでの控えめで丁重だったのが嘘のようだ。生まれて初めて耳にするぞんざいなで粗暴な言葉に、サヨンは柳眉をひそめた。
「トンジュ、今のあなたは少しいつもと違っているみたい。話し合うにしても、明日になってからの方が良いでしょう」
「いやだ!」
怒鳴り声が響き渡った。
トンジュは大股でサヨンに歩み寄り、彼女の両肩を掴んだ。
「話をするのなら、今だ」
「今は二人共に興奮しているわ。気が立っているときに話し合っても、かえって諍いの元になるだけじゃない」
サヨンは何とかして自らを落ち着かせようと努力した。
「なあ、どうしてなんだ? どうして俺じゃあ駄目なんだよ? もう一度だけ、よおく考えてくれないか、俺の想いを受け入れてくれ、サヨン」
トンジュがここまで親しくサヨンの名を呼ぶのは初めてのことだ。
しかし、場合が場合だけに、そのことはかえってサヨンに不快感をもたらしただけだった。
トンジュはサヨンの細い肩を掴み、烈しく揺さぶった。あまりに強く揺すったため、サヨンの身体は壊れた人形のようにガクガクと前後に揺れた。
「放して」
サヨンはトンジュの逞しい身体を力一杯押し返した。
「俺には、ほんの指一本触れられるのは嫌だというのか!? 俺に抱かれるのがそこまで嫌なのか?」
トンジュは完全に我を失っていた。サヨンは無意識の中に組み合わせた両手に力を込めていた。
「あなたの奥さんになるつもりはないのだと何回言ったら、判るの? 私はもう、こんな生活はいや。今までは、そうじゃなかった。あなたなりに気を遣ってくれているのはよく判ったし、私も何とか上手くやってゆけるのではないかと思っていたわ。でも、やっぱり無理みたい。あなたと私では考え方があまりに違いすぎる」
「何だと?」
トンジュの端正な顔に怒気が閃く。
「もう一度言ってみろ」
トンジュがサヨンの肩を再び掴もうとし、サヨンはトンジュの腕をふりほどいた。
「何度でも言うわ。私はあなたの奥さんにはならないし、あなたという男を理解できない。理解しようと私も少しは努力したけれど、考え方の違いすぎる私たちの間では理解なんて所詮、無理な話なのよ」
「お前までが俺をそうやって蔑むのか? 所詮は賤民だから、下男だから、話をする意味もないと―そう言うのか?」
トンジュの両脇に垂らした拳が小刻みに震えていた。身じろぎ一つせず、懸命に冷静さを取り戻そうとしている。
「あなたは私の言葉を何一つ、まともに聞こうとしないのね。私はあなたの立場がどうこう言ってるのではないの。あなたという人間を理解できないと言っているのよ」
サヨンはトンジュを哀しげに見つめた。
「ここまで言っても私の気持ちが伝わらないというのなら、もう本当に何を話しても無駄だと思うわ」
「サヨン、つれないことを言わないで、もう一度だけ俺に機会をくれないか。そうすれば―」
「もう、止めて」
再び背を向けたのと、背後から抱きすくめられたのとはほぼ時を同じくしていた。
「畜生」
罵声についで、耳を塞ぎたくなる罵りの言葉が聞こえた。
「何をするのッ?」
サヨンは悲鳴を上げた。
トンジュはサヨンを抱き上げ、大股で家に向かおうとしている。
「俺にこれ以上逆らえば、どうなるか判らないと俺は言ったはずだ。必ず後で俺を怒らせなければ良かったと後悔するようなやり方でお前を罰してやるとも警告した」
「私を―どうするつもりなの?」
一瞬、殺されるのだと思った。
死がすぐ手前にあるのだと覚悟した瞬間、瞼に父の顔や侍女ミヨン、はるか昔に亡くなった母、屋敷を去った乳母など大切な人の貌が次々に浮かんで消えた。
「止めてちょうだい。私は、あなたの世間的立場とか身分に拘っているのではないわ。そんな風に、あなた自身の言葉で自分を追いつめるのは止めて」
「ヘッ、何を綺麗事を言ってるんだ。俺を追いつめ、苦しめているのは俺自身じゃない。今、俺の眼の前にいるあんただろう」
唐突にトンジュの言葉遣いが変わった。これまでの控えめで丁重だったのが嘘のようだ。生まれて初めて耳にするぞんざいなで粗暴な言葉に、サヨンは柳眉をひそめた。
「トンジュ、今のあなたは少しいつもと違っているみたい。話し合うにしても、明日になってからの方が良いでしょう」
「いやだ!」
怒鳴り声が響き渡った。
トンジュは大股でサヨンに歩み寄り、彼女の両肩を掴んだ。
「話をするのなら、今だ」
「今は二人共に興奮しているわ。気が立っているときに話し合っても、かえって諍いの元になるだけじゃない」
サヨンは何とかして自らを落ち着かせようと努力した。
「なあ、どうしてなんだ? どうして俺じゃあ駄目なんだよ? もう一度だけ、よおく考えてくれないか、俺の想いを受け入れてくれ、サヨン」
トンジュがここまで親しくサヨンの名を呼ぶのは初めてのことだ。
しかし、場合が場合だけに、そのことはかえってサヨンに不快感をもたらしただけだった。
トンジュはサヨンの細い肩を掴み、烈しく揺さぶった。あまりに強く揺すったため、サヨンの身体は壊れた人形のようにガクガクと前後に揺れた。
「放して」
サヨンはトンジュの逞しい身体を力一杯押し返した。
「俺には、ほんの指一本触れられるのは嫌だというのか!? 俺に抱かれるのがそこまで嫌なのか?」
トンジュは完全に我を失っていた。サヨンは無意識の中に組み合わせた両手に力を込めていた。
「あなたの奥さんになるつもりはないのだと何回言ったら、判るの? 私はもう、こんな生活はいや。今までは、そうじゃなかった。あなたなりに気を遣ってくれているのはよく判ったし、私も何とか上手くやってゆけるのではないかと思っていたわ。でも、やっぱり無理みたい。あなたと私では考え方があまりに違いすぎる」
「何だと?」
トンジュの端正な顔に怒気が閃く。
「もう一度言ってみろ」
トンジュがサヨンの肩を再び掴もうとし、サヨンはトンジュの腕をふりほどいた。
「何度でも言うわ。私はあなたの奥さんにはならないし、あなたという男を理解できない。理解しようと私も少しは努力したけれど、考え方の違いすぎる私たちの間では理解なんて所詮、無理な話なのよ」
「お前までが俺をそうやって蔑むのか? 所詮は賤民だから、下男だから、話をする意味もないと―そう言うのか?」
トンジュの両脇に垂らした拳が小刻みに震えていた。身じろぎ一つせず、懸命に冷静さを取り戻そうとしている。
「あなたは私の言葉を何一つ、まともに聞こうとしないのね。私はあなたの立場がどうこう言ってるのではないの。あなたという人間を理解できないと言っているのよ」
サヨンはトンジュを哀しげに見つめた。
「ここまで言っても私の気持ちが伝わらないというのなら、もう本当に何を話しても無駄だと思うわ」
「サヨン、つれないことを言わないで、もう一度だけ俺に機会をくれないか。そうすれば―」
「もう、止めて」
再び背を向けたのと、背後から抱きすくめられたのとはほぼ時を同じくしていた。
「畜生」
罵声についで、耳を塞ぎたくなる罵りの言葉が聞こえた。
「何をするのッ?」
サヨンは悲鳴を上げた。
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「俺にこれ以上逆らえば、どうなるか判らないと俺は言ったはずだ。必ず後で俺を怒らせなければ良かったと後悔するようなやり方でお前を罰してやるとも警告した」
「私を―どうするつもりなの?」
一瞬、殺されるのだと思った。
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