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秘花103
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
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その場所に立った時、賢は込み上げてくる涙を抑えるのに必死だった。
―どうして、こんなことになってしまったのだろう?
その想いを口にするのは容易かった。現に、賢は幾度となく、その問いを自問自答してきた。
けれど、その応えは永遠に出ないのも知っている。
ジュチの遺髪を埋葬したその墓は今日もしんと静まり返っている。こんもりとした山の周囲を可憐なピンクの木春菊が埋めていた。賢は群れ咲く木春菊で花冠を作り、それをジュチが眠る墓所、小山の真ん中に置いた。そうやっていると、小さな山が花冠を戴いているようだ。
賢の脳裡に懐かしい光景がよぎった。二人だけで祝言を挙げた夜、ジュチも賢も木春菊の花冠を被ったのだ。立ち合い人もいない、婚礼衣装さえもない祝言だったけれど、確かに、あの夜は賢にとって最も幸せな夜となった。
今も眼を閉じれば、花冠を戴いたジュチの優しい笑顔を鮮やかに思い出せる。誰よりも優しい人だった。
もっと彼と共に人生を、長い時間を過ごしたかった。だが、彼はもう死んだ。幾ら恋い慕おうと、ジュチのあの笑顔を見ることはできない。
―すべては終わったことだと、運命だったのだと言えば、あなたは怒るでしょうか。
賢は眼裏に浮かんだ笑顔のジュチにそっと呼びかけた。
自分たちは避けることのできない大きな波に巻き込まれてしまった。―それが、ジュチ、賢、更には乾三人に与えられた過酷な宿命、彼らがそれを辿らざるを得なかった理由ではないか。賢は、そんな気がしてならなかった。
―それでも、これだけは判って下さい。私はあなたを心から愛していました。
ジュチは息を息取る間際、こう言った。
―あなたさまはこの国、高麗にとって必要な方なのです。どうか高麗のゆく末を見届けて、私があなたと共に見届けることのできなかった、この国のゆく末を―。
ジュチの遺言とも言うべきあの言葉を、これからの自分は座右の銘として生きてゆこうと思う。ジュチが見たかった高麗の未来をこの国の母として、王妃として、しっかりと見届けるのだ。
賢は結い上げた漆黒の髪から、そっと愛用の簪を抜き取った。ジュチに求婚されたとき以来、片時たりとも離すことのなかったものだ。初冬の清らかな陽差しが簪に当たり、金緑石(アレキサンドライト)がまばゆい燦めきを放つ。
賢はジュチの形見の簪を花冠の傍らに供えた。
「僕を許して」
なおもしばらくの間、賢はずっとその場にぬかずいて合掌していた。
その日、賢は稚かった過去の自分を最愛の男と一緒に埋めた。そう、これより後、我が身は王賢ではなく、王照容として生きる。その覚悟を胸に秘め、賢はその場を去った。
―自分がここを訪れることは二度とないだろう。
王の容態は予断を許さなかった。生死の境をさまようこと、およそひと月、その月の下旬には強行軍で旅を続けた元国の特使団が到着し、早速、皇帝から派遣された侍医たちが王の診察、治療に当たった。
彼らはずっと王を診ている高麗の御医たちと相談し、持参した薬を新たに追加したり治療法を変えたりした。その効果があったのか、依然として意識はないもの、一進一退を繰り返しながら、何とか無事に年明けを迎えることができたのである。
その間、王妃はずっと王の側を離れなかった。夜も眠り続ける王の傍らで過ごし、お付きの崔尚宮は
―このままでは、王妃さままで、お倒れになってしまいます。お願いですから、少しだけでもお休みになって下さいませ。
と頼み込むほどである。
あまりに崔尚宮が心配するため、王妃はやむなく王妃殿に戻って寝所に入ったものの、結局、一刻も経たない中に王の枕辺に戻った。
―殿下のお顔を見ていないと不安なのだ。これも私の我がままだと思って大目に見て欲しい。
王妃はそう言って微笑んだ。実際、あれほど疎遠であった夫婦仲が嘘のように、王妃は甲斐甲斐しく王の看護を続けていた。
この頃、王妃はとみに臈長けて更に美しくなった。依然はどこかまだあどけない美少女であったのが、今や匂い立つばかりの色香を湛えた大人の女性だ。前の王妃がまだ堅い蕾なら、今はさしずめ見事に開いた大輪の花といった風情であった。
―どうして、こんなことになってしまったのだろう?
その想いを口にするのは容易かった。現に、賢は幾度となく、その問いを自問自答してきた。
けれど、その応えは永遠に出ないのも知っている。
ジュチの遺髪を埋葬したその墓は今日もしんと静まり返っている。こんもりとした山の周囲を可憐なピンクの木春菊が埋めていた。賢は群れ咲く木春菊で花冠を作り、それをジュチが眠る墓所、小山の真ん中に置いた。そうやっていると、小さな山が花冠を戴いているようだ。
賢の脳裡に懐かしい光景がよぎった。二人だけで祝言を挙げた夜、ジュチも賢も木春菊の花冠を被ったのだ。立ち合い人もいない、婚礼衣装さえもない祝言だったけれど、確かに、あの夜は賢にとって最も幸せな夜となった。
今も眼を閉じれば、花冠を戴いたジュチの優しい笑顔を鮮やかに思い出せる。誰よりも優しい人だった。
もっと彼と共に人生を、長い時間を過ごしたかった。だが、彼はもう死んだ。幾ら恋い慕おうと、ジュチのあの笑顔を見ることはできない。
―すべては終わったことだと、運命だったのだと言えば、あなたは怒るでしょうか。
賢は眼裏に浮かんだ笑顔のジュチにそっと呼びかけた。
自分たちは避けることのできない大きな波に巻き込まれてしまった。―それが、ジュチ、賢、更には乾三人に与えられた過酷な宿命、彼らがそれを辿らざるを得なかった理由ではないか。賢は、そんな気がしてならなかった。
―それでも、これだけは判って下さい。私はあなたを心から愛していました。
ジュチは息を息取る間際、こう言った。
―あなたさまはこの国、高麗にとって必要な方なのです。どうか高麗のゆく末を見届けて、私があなたと共に見届けることのできなかった、この国のゆく末を―。
ジュチの遺言とも言うべきあの言葉を、これからの自分は座右の銘として生きてゆこうと思う。ジュチが見たかった高麗の未来をこの国の母として、王妃として、しっかりと見届けるのだ。
賢は結い上げた漆黒の髪から、そっと愛用の簪を抜き取った。ジュチに求婚されたとき以来、片時たりとも離すことのなかったものだ。初冬の清らかな陽差しが簪に当たり、金緑石(アレキサンドライト)がまばゆい燦めきを放つ。
賢はジュチの形見の簪を花冠の傍らに供えた。
「僕を許して」
なおもしばらくの間、賢はずっとその場にぬかずいて合掌していた。
その日、賢は稚かった過去の自分を最愛の男と一緒に埋めた。そう、これより後、我が身は王賢ではなく、王照容として生きる。その覚悟を胸に秘め、賢はその場を去った。
―自分がここを訪れることは二度とないだろう。
王の容態は予断を許さなかった。生死の境をさまようこと、およそひと月、その月の下旬には強行軍で旅を続けた元国の特使団が到着し、早速、皇帝から派遣された侍医たちが王の診察、治療に当たった。
彼らはずっと王を診ている高麗の御医たちと相談し、持参した薬を新たに追加したり治療法を変えたりした。その効果があったのか、依然として意識はないもの、一進一退を繰り返しながら、何とか無事に年明けを迎えることができたのである。
その間、王妃はずっと王の側を離れなかった。夜も眠り続ける王の傍らで過ごし、お付きの崔尚宮は
―このままでは、王妃さままで、お倒れになってしまいます。お願いですから、少しだけでもお休みになって下さいませ。
と頼み込むほどである。
あまりに崔尚宮が心配するため、王妃はやむなく王妃殿に戻って寝所に入ったものの、結局、一刻も経たない中に王の枕辺に戻った。
―殿下のお顔を見ていないと不安なのだ。これも私の我がままだと思って大目に見て欲しい。
王妃はそう言って微笑んだ。実際、あれほど疎遠であった夫婦仲が嘘のように、王妃は甲斐甲斐しく王の看護を続けていた。
この頃、王妃はとみに臈長けて更に美しくなった。依然はどこかまだあどけない美少女であったのが、今や匂い立つばかりの色香を湛えた大人の女性だ。前の王妃がまだ堅い蕾なら、今はさしずめ見事に開いた大輪の花といった風情であった。
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