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第2章
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入学後に受けた専門教科のガイダンスで、初めてアキラくんを見た。
窓側の席にぽつんと座って、うつむき加減で手元のスマホをいじっていた。シンプルな白いTシャツから伸びる腕は細く、海外の彫刻のように整った小さな横顔は、第二次性徴期を迎えていない少年に見えて、春の柔らかな光に照らされるとそのまま消えてしまうんじゃないかと思うほど、儚げだった。
それまで私の身近にいた男子はというと、プロテインとブロッコリーと鶏胸肉が主食で、「筋肉こそ至高、この世の全て」みたいな価値観と外見の人達ばかりだったから、大学に彼のような存在がいることに驚いた。そして、呆気なく恋に落ちた。その儚げな雰囲気に撃ち抜かれた。
身も蓋もない言い方をしてしまうと、顔がものすごく好みだった。
アキラくんはなぜか五十人規模の小さな講義室の中、一番後ろの席ではなくて、内職したり眠ったりするには不便といえる後ろから二列目の窓際という、よく分からない席が定位置だった。
だけどそのおかげで私は前期の間、彼の斜め後ろの席を陣取ることに成功し、回ってくるプリントを彼から受け取りつつ、彼と目を合わせることを喜びとしていた。
ひとつだけ難点をあげるなら、アキラくんにはかなり休み癖があるということくらいだった。
通常、ひとつの講義は全十五回で、五回休んでしまうと試験を受ける間もなく単位はもらえない。
アキラくんは前期、私と受けていたどの講義も、単位を落とすギリギリの四回きっちり休んでいた。二回連続で休んでいたこともあり、もしかしたら体が弱いのかもしれないと人知れずハラハラした。
それからいつでも貸せるように、おせっかいかもと思いながらノートを綺麗にまとめておいた。……前期中にそんなやり取りができるまでの進展は無かったけど。
「おはよう、小春」
講義開始十分前。いつものようにアキラくんが座る席の斜め後ろで待機していたら、声と共に隣の席にベージュのトートバッグがどすんと降ってきた。
「おはよう、真希ちゃん」
真希ちゃんは小学校から一緒の幼なじみだ。
私より身長が十センチも低くて華奢で、色素の薄いミルクティー色の髪と白い肌が、なんとも今どきの女の子だ。
数多の異性は、真希ちゃんとすれ違えば絶対に振り向く。それくらい万人受けする外見。
「また睨んで。今日もアキラくんは来ないのかね」
高くて可愛い声で言いながら、隣に座る真希ちゃん。
一つ、残念なところがあるとすれば、話し方が微妙に古風な点だった。ずっと一緒に住んでいたおばあちゃんの影響らしい。
「睨んでないよ。見てただけ」
「真顔が怖いんよ、小春は。朝から機嫌悪いのかと思うわ」
「ごめんねぇ」
真顔が怖いというのは、幼い頃から言われていた。
父親譲りの三白眼と、腰上まで伸びた重たい黒髪、かつ眉毛の上で切りそろえた前髪のせいか、小学生の折から「真顔イコール睨んでいる」と言われ、ついたあだ名が「お嬢」とか「姉御」なくらい、私の顔面には迫力があるらしい。
加えて、緊張すると早口になって追い詰めるような聞き方をしてしまう。
そういうわけだから、人付き合いが上手くない。生まれてこのかた「モテ」というものを経験したことがない。
私の好きになる人は、真希ちゃんみたいなふわふわ女子に惹かれていって、私はモーゼみたいに避けられる。
そんなことはどうでもいいとして、件のアキラくんはまだ姿を見せない。おそらく三回目の自主休講なのかもしれない。
一昨日のこともあるし、もし私がアキラくんの立場なら、今日は休むか、席をかなり遠くに変える。
一昨日の……、アキラくんは可愛かったなぁ。
やっぱり華奢だから、ああいう可愛いスカートも似合うんだ。身長も思ったより小さかったし、あの、ひとりでしてるときの苦しそうな顔といい、普段の声より高くなる喘ぎ声といい、果ててもたれかかってきたときに感じた絶妙な重さといい、守らなきゃいけない存在みたいで愛おしかった。変態趣味があることなんてどうでもいいと、一蹴できるくらいに。
「……動画、撮ればよかったな」
「なんか言ったか?」
「ううん、何も」
斜め前の空席を見つめながら一昨日の記憶を何度も反芻するうちに、とうとう始業を告げるチャイムがなった。
一番前のドアから教授が入ってきて、ザワザワとせわしなかった空間がすぅっと静かになる。ふと斜め前が暗くなった。
「……っあ」
教授が教壇に立つ数秒前に、アキラくんが音を立てずにいつもの席に座った。白いフード付きのパーカーに黒のスキニーを着た彼は、私の声に気づいたのか、振り向いて「おはよう」まで言ってくれた。
よかった、避けられてないみたい。それどころか、初めて挨拶をした。
嬉しくて隣の真希ちゃんの腕をバシバシ叩く。小声で「……痛いんだが」と迷惑そうに顔をしかめる真希ちゃんも、私がルーズリーフに「アキラくんがおはようって言った!」の走り書きするのを見て、目を丸くした。
入学して半年経つけど、アキラくんが同じ学部の人と会話らしい会話をしているところを見たことがない。
休み癖が彼を孤立させ、誰かと完全に仲良くなるタイミングを失ったのか、いつもひとりで窓際の席にぽつんと座っている。
でも私はそれでいいと思っている。下手に誰かと仲良くなって、この中の誰かがアキラくんの魅力に気づくくらいなら、彼には卒業するまでぼっちでいてほしい。
講義の間、ことあるごとに視線はちらちらとアキラくんを捉える。
夏が終わり、いくらか弱くなった日差しをまとって、薄く茶色に輝く寝癖のついた猫っ毛も、眠そうに目をこする子供みたいな仕草も、口に手を当ててあくびを噛み殺す姿も、誰も見ないで。
窓側の席にぽつんと座って、うつむき加減で手元のスマホをいじっていた。シンプルな白いTシャツから伸びる腕は細く、海外の彫刻のように整った小さな横顔は、第二次性徴期を迎えていない少年に見えて、春の柔らかな光に照らされるとそのまま消えてしまうんじゃないかと思うほど、儚げだった。
それまで私の身近にいた男子はというと、プロテインとブロッコリーと鶏胸肉が主食で、「筋肉こそ至高、この世の全て」みたいな価値観と外見の人達ばかりだったから、大学に彼のような存在がいることに驚いた。そして、呆気なく恋に落ちた。その儚げな雰囲気に撃ち抜かれた。
身も蓋もない言い方をしてしまうと、顔がものすごく好みだった。
アキラくんはなぜか五十人規模の小さな講義室の中、一番後ろの席ではなくて、内職したり眠ったりするには不便といえる後ろから二列目の窓際という、よく分からない席が定位置だった。
だけどそのおかげで私は前期の間、彼の斜め後ろの席を陣取ることに成功し、回ってくるプリントを彼から受け取りつつ、彼と目を合わせることを喜びとしていた。
ひとつだけ難点をあげるなら、アキラくんにはかなり休み癖があるということくらいだった。
通常、ひとつの講義は全十五回で、五回休んでしまうと試験を受ける間もなく単位はもらえない。
アキラくんは前期、私と受けていたどの講義も、単位を落とすギリギリの四回きっちり休んでいた。二回連続で休んでいたこともあり、もしかしたら体が弱いのかもしれないと人知れずハラハラした。
それからいつでも貸せるように、おせっかいかもと思いながらノートを綺麗にまとめておいた。……前期中にそんなやり取りができるまでの進展は無かったけど。
「おはよう、小春」
講義開始十分前。いつものようにアキラくんが座る席の斜め後ろで待機していたら、声と共に隣の席にベージュのトートバッグがどすんと降ってきた。
「おはよう、真希ちゃん」
真希ちゃんは小学校から一緒の幼なじみだ。
私より身長が十センチも低くて華奢で、色素の薄いミルクティー色の髪と白い肌が、なんとも今どきの女の子だ。
数多の異性は、真希ちゃんとすれ違えば絶対に振り向く。それくらい万人受けする外見。
「また睨んで。今日もアキラくんは来ないのかね」
高くて可愛い声で言いながら、隣に座る真希ちゃん。
一つ、残念なところがあるとすれば、話し方が微妙に古風な点だった。ずっと一緒に住んでいたおばあちゃんの影響らしい。
「睨んでないよ。見てただけ」
「真顔が怖いんよ、小春は。朝から機嫌悪いのかと思うわ」
「ごめんねぇ」
真顔が怖いというのは、幼い頃から言われていた。
父親譲りの三白眼と、腰上まで伸びた重たい黒髪、かつ眉毛の上で切りそろえた前髪のせいか、小学生の折から「真顔イコール睨んでいる」と言われ、ついたあだ名が「お嬢」とか「姉御」なくらい、私の顔面には迫力があるらしい。
加えて、緊張すると早口になって追い詰めるような聞き方をしてしまう。
そういうわけだから、人付き合いが上手くない。生まれてこのかた「モテ」というものを経験したことがない。
私の好きになる人は、真希ちゃんみたいなふわふわ女子に惹かれていって、私はモーゼみたいに避けられる。
そんなことはどうでもいいとして、件のアキラくんはまだ姿を見せない。おそらく三回目の自主休講なのかもしれない。
一昨日のこともあるし、もし私がアキラくんの立場なら、今日は休むか、席をかなり遠くに変える。
一昨日の……、アキラくんは可愛かったなぁ。
やっぱり華奢だから、ああいう可愛いスカートも似合うんだ。身長も思ったより小さかったし、あの、ひとりでしてるときの苦しそうな顔といい、普段の声より高くなる喘ぎ声といい、果ててもたれかかってきたときに感じた絶妙な重さといい、守らなきゃいけない存在みたいで愛おしかった。変態趣味があることなんてどうでもいいと、一蹴できるくらいに。
「……動画、撮ればよかったな」
「なんか言ったか?」
「ううん、何も」
斜め前の空席を見つめながら一昨日の記憶を何度も反芻するうちに、とうとう始業を告げるチャイムがなった。
一番前のドアから教授が入ってきて、ザワザワとせわしなかった空間がすぅっと静かになる。ふと斜め前が暗くなった。
「……っあ」
教授が教壇に立つ数秒前に、アキラくんが音を立てずにいつもの席に座った。白いフード付きのパーカーに黒のスキニーを着た彼は、私の声に気づいたのか、振り向いて「おはよう」まで言ってくれた。
よかった、避けられてないみたい。それどころか、初めて挨拶をした。
嬉しくて隣の真希ちゃんの腕をバシバシ叩く。小声で「……痛いんだが」と迷惑そうに顔をしかめる真希ちゃんも、私がルーズリーフに「アキラくんがおはようって言った!」の走り書きするのを見て、目を丸くした。
入学して半年経つけど、アキラくんが同じ学部の人と会話らしい会話をしているところを見たことがない。
休み癖が彼を孤立させ、誰かと完全に仲良くなるタイミングを失ったのか、いつもひとりで窓際の席にぽつんと座っている。
でも私はそれでいいと思っている。下手に誰かと仲良くなって、この中の誰かがアキラくんの魅力に気づくくらいなら、彼には卒業するまでぼっちでいてほしい。
講義の間、ことあるごとに視線はちらちらとアキラくんを捉える。
夏が終わり、いくらか弱くなった日差しをまとって、薄く茶色に輝く寝癖のついた猫っ毛も、眠そうに目をこする子供みたいな仕草も、口に手を当ててあくびを噛み殺す姿も、誰も見ないで。
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