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第1章
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「高山さん、大丈夫? ごめん、涼成さん、そのままあっちのソファまで引っ張ってやって」
「いいけど、この子は誰なの」
「前から言ってたでしょ、高山紬さん」
「あぁ、この子が」
知っているような口ぶりに私の心は戦慄した。もうダメだ。「気持ち悪いファン」として認知されている。終わった。
「ずっと固まって動かないんだけど。天敵に遭遇した野生のリスみたい」
「でもさっきまで喋ってたよ」
二人の会話を聞きながら文字通りずるずると引きずられて、部屋の一角にある応接スペースのレザーソファに座らせられた。その向かい側の同じソファに露崎涼成も腰を下ろす。どこを向けばいいのかわからない。とりあえず視線を下げて、自分の靴とテーブルだけを視界に入れる。
「おーい、だいじょうぶかー」
そこに大きな手が入ってきて、パラパラと目の前で振られた。それから「猫騙し!」と突然大きな声で叫んだ露崎涼成がパンッと柏手を打った。音にびっくりしてイスから数センチお尻が浮く。
「わ、なに、涼成さん、うるさいよ」
「あは、ごめんごめん」
佐々木さんにたしなめられて露崎涼成が子供のように笑っている。これは夢か。インタビューではこんな表情は見せない。いつも口の端をちょっと上げるだけなのに、プライベートならこんな可愛い顔で笑うの……?
「さて、高山さん」
露崎涼成の隣に座る佐々木さんが私の名前を呼んだ。油のさしていないロボットのような動きで佐々木さんを見る。露崎涼成は極力視界に入れない。心臓に悪い。もうお腹いっぱいだ。今年分の「露崎涼成成分」は十分摂取した。これ以上は供給過多だ。
「僕の代わりに、涼成さんのマネージャーをやってくれませんか?」
それなのに、佐々木さんがとんでもないことを言い出す。この人は私をどうしたいのか。会ってあわよくばサインをもらえたら嬉しいなといったところに、マネージャー? マネージャーってなんだ。ダメだ、頭が回らない。
「……マネージャー、ですか?」
「はい。大変急ですが三ヶ月後の十月から一年間、母校で臨時講師をすることになりまして。その間、涼成さんの世話をしてくれる人が欲しいんです。もちろん、キュレーター的な役割は僕が引き続きやりますが」
「せ、世話というのは」
「言葉通り、涼成さんの身の周りの世話です。この人、本当に赤子レベルで生活能力がないので」
「失礼だなー。そんなことないと思うけど」
「でも涼成さん、エアコン付けれないでしょ」
「リモコンがどっかに行っちゃうからね」
「いや、定位置はダイニングテーブルの上って決めたじゃないですか。ほら、ね、高山さん、この人常にこんな感じなんです。こちらが促さないとご飯も食べないシャワーにも入らない。この人を一人にしておくと次に僕が発見する頃にはきっと腐乱死体です。だから」
ローテーブルの上に数枚の紙を差し出された。一番上の大きめの太字で書かれた「雇用契約書」「給与」の文字が目に飛び込んでくる。
「お、お金なんてそんな……い、いらないです、露崎さんのプライベートに入るわけですし」
とっさに首を横に振ると露崎涼成の目が冷たく光った。
「あーダメ、そういうの無理。嫌い。やだ」
「高山さん、これは仕事の話です。ファンサービスじゃないので」
露崎涼成に否定され、佐々木さんにもたしなめられた。
バカなことを言ったのだと理解して「すみません」と慌てて謝罪する。
「……でも、どうして私なんですか」
自覚しているが、私は厄介オタクの部類に入る。前職を辞めて近所に引っ越してくるような自他共に認めるやばい女だ。私が佐々木さんの立場なら、絶対に露崎涼成の視界に入れないし同じ空気も吸わせない。
死刑宣告を受ける気持ちで返事を待っていると、佐々木さんが朗らかに笑った。
「だって高山さんは露崎涼成狂いでもちゃんと分別ついてるじゃないですか」
「え」
「あぁ、今日のは俺も怖かったなぁ。久しぶりに殺されるかと思った」
くっくっと露崎涼成が肩を揺らして笑う。なんのことだろうと思っていると、どうやらサイン会で女性ファンが暴走したらしい。差し入れNGのところに手作りの何かを持ってきて「今すぐこの場で食べろ」と露崎涼成に強要したという。私はその頃、サインをもらう人達への嫉妬に狂いそうになりながら、一枚一枚絵と向き合っていた。
「高山さんは十年追いかけてくれてるけど、一回もそういうの無いし」
「そうだな。あれ、高山さん、本当に俺のファンなのかー?」
「涼成さん、それは失礼だよ。毎回、何度も来てくれてるのは知ってたでしょうに」
「うん。いつだったかの冬は高校の制服着てたな。裏からちらっと見た」
「……あっ、八年前です。夏の間、いっぱいバイトしてお金貯めて。受験期で親には怒られたましたけど、飛行機に乗って二回行きました」
「知ってる。そうやって手紙にも書いてた。最近は全然くれないけど。なんで?」
「そ、それは」
だって最寄りのポストに投函したら近くにいることがバレてしまう。知られていないだけで、やっていることは私も手作り強要女と大差ない。膝の上に置いた手のひらをギュッと握る。
「涼成さん、いいから、今その話は。でもほら、涼成さんも家に出入りするなら、高山さんみたいな人がいいよね?」
「うん、高山紬がいい」
突然、露崎涼成からフルネーム呼びされて、首から上が爆発するかと思った。古典的だと思いながら右手で頬をつねる。……夢じゃない。
「なにしてんだ、紬」
今度は下の名前を呼び捨てされた。瞬時に佐々木さんから「やめなよ」と叱られていたけど口角を上げて笑うだけで全く悪びれる様子がない。この人、露崎涼成は私が喜ぶことをわざとやってるんだ。人たらしなんだろうか、恐ろしい。
「高山さん、お願いできるかな」
佐々木さんの声が少し気弱になった。
ソファの背もたれに背中を預けてニヤついている露崎涼成を尻目に、終始まじめな態度の佐々木さんに向き直す。
「ご迷惑にならないように、頑張ります」
深々と頭を下げると、佐々木さんはほっとしたような顔をして露崎涼成に「よかったね」と言った。
「これで涼成さんが今年死ぬことはないよ」
そんなブラックジョークに露崎涼成は「死ぬかよ」と肩をすくめて笑った。
「いいけど、この子は誰なの」
「前から言ってたでしょ、高山紬さん」
「あぁ、この子が」
知っているような口ぶりに私の心は戦慄した。もうダメだ。「気持ち悪いファン」として認知されている。終わった。
「ずっと固まって動かないんだけど。天敵に遭遇した野生のリスみたい」
「でもさっきまで喋ってたよ」
二人の会話を聞きながら文字通りずるずると引きずられて、部屋の一角にある応接スペースのレザーソファに座らせられた。その向かい側の同じソファに露崎涼成も腰を下ろす。どこを向けばいいのかわからない。とりあえず視線を下げて、自分の靴とテーブルだけを視界に入れる。
「おーい、だいじょうぶかー」
そこに大きな手が入ってきて、パラパラと目の前で振られた。それから「猫騙し!」と突然大きな声で叫んだ露崎涼成がパンッと柏手を打った。音にびっくりしてイスから数センチお尻が浮く。
「わ、なに、涼成さん、うるさいよ」
「あは、ごめんごめん」
佐々木さんにたしなめられて露崎涼成が子供のように笑っている。これは夢か。インタビューではこんな表情は見せない。いつも口の端をちょっと上げるだけなのに、プライベートならこんな可愛い顔で笑うの……?
「さて、高山さん」
露崎涼成の隣に座る佐々木さんが私の名前を呼んだ。油のさしていないロボットのような動きで佐々木さんを見る。露崎涼成は極力視界に入れない。心臓に悪い。もうお腹いっぱいだ。今年分の「露崎涼成成分」は十分摂取した。これ以上は供給過多だ。
「僕の代わりに、涼成さんのマネージャーをやってくれませんか?」
それなのに、佐々木さんがとんでもないことを言い出す。この人は私をどうしたいのか。会ってあわよくばサインをもらえたら嬉しいなといったところに、マネージャー? マネージャーってなんだ。ダメだ、頭が回らない。
「……マネージャー、ですか?」
「はい。大変急ですが三ヶ月後の十月から一年間、母校で臨時講師をすることになりまして。その間、涼成さんの世話をしてくれる人が欲しいんです。もちろん、キュレーター的な役割は僕が引き続きやりますが」
「せ、世話というのは」
「言葉通り、涼成さんの身の周りの世話です。この人、本当に赤子レベルで生活能力がないので」
「失礼だなー。そんなことないと思うけど」
「でも涼成さん、エアコン付けれないでしょ」
「リモコンがどっかに行っちゃうからね」
「いや、定位置はダイニングテーブルの上って決めたじゃないですか。ほら、ね、高山さん、この人常にこんな感じなんです。こちらが促さないとご飯も食べないシャワーにも入らない。この人を一人にしておくと次に僕が発見する頃にはきっと腐乱死体です。だから」
ローテーブルの上に数枚の紙を差し出された。一番上の大きめの太字で書かれた「雇用契約書」「給与」の文字が目に飛び込んでくる。
「お、お金なんてそんな……い、いらないです、露崎さんのプライベートに入るわけですし」
とっさに首を横に振ると露崎涼成の目が冷たく光った。
「あーダメ、そういうの無理。嫌い。やだ」
「高山さん、これは仕事の話です。ファンサービスじゃないので」
露崎涼成に否定され、佐々木さんにもたしなめられた。
バカなことを言ったのだと理解して「すみません」と慌てて謝罪する。
「……でも、どうして私なんですか」
自覚しているが、私は厄介オタクの部類に入る。前職を辞めて近所に引っ越してくるような自他共に認めるやばい女だ。私が佐々木さんの立場なら、絶対に露崎涼成の視界に入れないし同じ空気も吸わせない。
死刑宣告を受ける気持ちで返事を待っていると、佐々木さんが朗らかに笑った。
「だって高山さんは露崎涼成狂いでもちゃんと分別ついてるじゃないですか」
「え」
「あぁ、今日のは俺も怖かったなぁ。久しぶりに殺されるかと思った」
くっくっと露崎涼成が肩を揺らして笑う。なんのことだろうと思っていると、どうやらサイン会で女性ファンが暴走したらしい。差し入れNGのところに手作りの何かを持ってきて「今すぐこの場で食べろ」と露崎涼成に強要したという。私はその頃、サインをもらう人達への嫉妬に狂いそうになりながら、一枚一枚絵と向き合っていた。
「高山さんは十年追いかけてくれてるけど、一回もそういうの無いし」
「そうだな。あれ、高山さん、本当に俺のファンなのかー?」
「涼成さん、それは失礼だよ。毎回、何度も来てくれてるのは知ってたでしょうに」
「うん。いつだったかの冬は高校の制服着てたな。裏からちらっと見た」
「……あっ、八年前です。夏の間、いっぱいバイトしてお金貯めて。受験期で親には怒られたましたけど、飛行機に乗って二回行きました」
「知ってる。そうやって手紙にも書いてた。最近は全然くれないけど。なんで?」
「そ、それは」
だって最寄りのポストに投函したら近くにいることがバレてしまう。知られていないだけで、やっていることは私も手作り強要女と大差ない。膝の上に置いた手のひらをギュッと握る。
「涼成さん、いいから、今その話は。でもほら、涼成さんも家に出入りするなら、高山さんみたいな人がいいよね?」
「うん、高山紬がいい」
突然、露崎涼成からフルネーム呼びされて、首から上が爆発するかと思った。古典的だと思いながら右手で頬をつねる。……夢じゃない。
「なにしてんだ、紬」
今度は下の名前を呼び捨てされた。瞬時に佐々木さんから「やめなよ」と叱られていたけど口角を上げて笑うだけで全く悪びれる様子がない。この人、露崎涼成は私が喜ぶことをわざとやってるんだ。人たらしなんだろうか、恐ろしい。
「高山さん、お願いできるかな」
佐々木さんの声が少し気弱になった。
ソファの背もたれに背中を預けてニヤついている露崎涼成を尻目に、終始まじめな態度の佐々木さんに向き直す。
「ご迷惑にならないように、頑張ります」
深々と頭を下げると、佐々木さんはほっとしたような顔をして露崎涼成に「よかったね」と言った。
「これで涼成さんが今年死ぬことはないよ」
そんなブラックジョークに露崎涼成は「死ぬかよ」と肩をすくめて笑った。
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