さだめの星が紡ぐ糸

おにぎり1000米

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第4章 雨蛙

1.墜栗花

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「つがいのいるアルファがオメガ診療科の料金を払ってる場合?」
「もちろん、払ってやったオメガはつがいじゃない。薬代もアルファが払ってる」

 そう答えた春日武流の鼻先で、友人の安西徹がグラスを揺らした。派手すぎず地味すぎずの清潔な服装で、すっきりした顔立ちのベータの男だ。グラスの中で氷が涼しい音を立てるのをどこか楽しそうな目でみつめ、もったいぶった仕草でひと口飲む。

「どうやって知ったんだ?」
「使用人からちょっとした話を聞いて、ぴんときたんだ。その先は蛇の道はへびってやつ。どう思う?」
「よくある答えはひとつだな。やっちまったんだろう。オメガがヒートでもよおして、パコパコと」

 溶けかけた氷の面にバーカウンターを照らす落ちついた光が映る。ガラス張りの店内からは夜の通りが見渡せた。雨に濡れた横断歩道に信号機の光が反射する。青から赤へ。六月第一週の天気は不安定で、今日は夜になって雨がひどくなった。

「つがいがいるアルファでも、別のオメガにラットするって?」
 疑念をふくんだ武流の問いかけにも友人は頓着しなかった。
「そこはいろいろあるらしいぜ。つがいのオメガと体の相性が悪かったり、つがいにあまりその気がなくて溜まってたり。それと、めちゃくちゃ相性のいい相手だったってやつ。ほら、例の〈運命〉」
「運命ねえ。ま、やっちまったのなら、ここはずばり浮気ってことか」
 武流は期待をこめていったが、安西は小さく首をかしげた。

「そう呼ぶかどうかは場合によるんじゃないか」
「既婚のアルファが他のオメガとやってんのに?」
「事故ってこともある」
「なぜだ? 既婚のオメガがベータとやってりゃ即浮気判定だろ? 事故もへったくれもない」
「まじで理性を超えるのがアルファとオメガってものだからさ。ま、そういう彼らの事情が俺にとっては美味しいんだけどね」

 武流は友人の横顔をみた。たちの悪い微笑みをうかべているから、思わず昔の通り名を口にする。
「さすがはオメガ落としのベータのコメントだ」
「やめろよ、人聞きが悪い」

 安西は小さな笑い声をあげ、武流もにやにや笑った。安西徹は学生時代からのつきあいで、アルファからオメガを奪うのを趣味にしている男だ。もともと性的対象が男にしか向かない人間だから、オメガ好きといっても男にしか興味をもたないのが武流とちがう。

 世間的にはオメガはアルファとカップルになるものだと思われているし、そのための場所――ハウスーーもある。ベータとオメガがつきあってもハウスでは会うことができないし、オメガのヒートにベータがこたえられるのか、といった卑しい興味の対象にもなるが、安西のような男の誘いに乗るオメガはそれなりにいるのだ。アルファに興味を持たれることにうんざりしているオメガは、安西のようなベータに警戒心をもたないらしい。

「だいたい、つがいに冷たいオメガならおまえも詳しいじゃないか、武流」
 安西は武流をしげしげとみて、からかうような口調でいった。
「美人の従兄弟とやってんだろ? 結婚したあと?」
「結婚する直前からだ。三年以上かな」

 武流が安西の行状を知っているのと同様に、安西も武流のことをよく知っている。だからこそこんな風に話ができる。安西はくいっと首を曲げ、呆れたような、感心するような目つきになった。
「長いな。飽きないか」
「俺は他にもいるし、別れる理由がないんだ。望んだのは蓮だし、おかげで色々とやりやすいこともある」
「アルファにバレないのか? ヒートの時は?」
「宮久保家の婿はオメガの召使、ヒートの発散用みたいなもんさ。まあ、問題はないんだろ。だいたい蓮の方が俺にぞっこんなんだ。どっちかっていえばボランティアみたいなもんだよ」
「ボランティアぁ? もったいない」
 安西の目にちらりとあやしい光が浮かぶ。

「その子に疑似ヒート薬、使ったらどうだ。オメガの男はさ、女の子より変わるんだよ。きっと新しい扉がひらくぞ」
「やめろよ、蓮の医療チェックは半端ないんだ。薬盛ったなんてバレたら当主に殺される。まあ、小細工しなくても甘えてくるし、悪くない。可愛がってやってる」
「アルファ顔負けの余裕だな、武流。ベータなのに」

 安西の口調は武流や自分を卑下するものではなかった。雨が激しくなったのか、ガラスの外がけぶって、信号機の光がにじんでみえる。武流はグラスの中身を飲み干した。

「伊吹がへなちょこなんだ。あいつ、アルファって嘘なんじゃないか。宮久保家の女どもに従っても平気らしいからな」
「でもさっきの話、そいつなんだろう? つがいの冷たさにストレスを感じていたアルファが盛ってるオメガに出くわして、何か起きた――ってことか」
「そう。だから相手を知りたい。これまでまったく隙がなかった伊吹に、やっと何か起きた。このチャンスを掴まないとな」
「へなちょこっていったくせに」
「伊吹って男はそういうところだけアルファらしいんだ。陰険なやつだぜ。だから蓮にも嫌われるのさ。調べられるか?」
「ああ。料金はいつものところに請求?」
「割増しでいいから急ぎで頼む」
「名族関連の仕事はだいたいアウクトス・コーポレーションに持っていかれるからな。おまえが友だちで嬉しいよ」

 武流は名刺の裏にさらさらと二行書き、カウンターの上を滑らせた。安西徹の本業は調査業、それも大半は離婚を目的にした証拠集めだ。どんな方法を取るのかなど、春日武流には興味がない。目障りなアルファの男に不利な情報をつかめるならそれでいいのだ。

「相手をみつけてどうするんだ? 当主がそいつを追い出すように仕向けるのか?」
「相手次第だな。情報があれば今後の方針も決まる。できれば確実な証拠を握りたい。仕掛けてもいい」
「それでどうするんだ」
「俺が宮久保家で唯一の男になるのさ。宮久保姓を手に入れて、アルファの女どもの裏で実権を握りたいね」
「ベータなのに?」
「宮久保家のアルファはどうせ女だ。俺はベータでも男だぜ」
「じゃ、アルファの男を追い出して、おまえが従兄弟と結婚するのか?」
「どうかな。考えてみると結婚するのは蓮である必要はない。いや、むしろ蓮じゃないほうがいい。当主が目に入れても痛くない箱入りのお姫様の配偶者になったら、不便も増える」

 武流はグラスの縁を指でなぞった。安西は名刺をしまい、窓の外をみる。車が水しぶきをあげて通りすぎた。
「かなり降ってるな」
「もう墜栗花ついりだ」
「ついり?」
「栗の花が墜ちると書く。梅雨入りのことさ」
「難しい言葉を知ってるじゃないか」
「そりゃ、俺も宮久保の人間だ。傍系で苗字もちがうが、伊吹のような馬の骨じゃない」

 グラスの底に溶けた氷がたまっていた。うっとうしい季節のはじまりだが、武流の心は前のめりになっている。
 これはずっと待っていたチャンスだった。伊吹はいったい誰とあやまちをおかしたのだろう?



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