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2.嵐を呼ぶ男
嵐を呼ぶ男②
しおりを挟むその三週間後、私はすでに疲弊していた。
「沢北さーん!」
運営スタッフに呼ばれて、心臓がドキンと跳ねる。……嫌な予感しかしない。
「なんですか、今度はなんですか?」
「楠木君がなんかおかしな場所に挙動不審にぼーっと立っているから、女性のお客さまが怖がって避けて行くんですけど」
「え、一体どこに立って──」
「誘導係でしょ?」
「ほらなんか、指差して見られてる」
「彼、なぜか立ってるだけで目立つのよ」
「……」
うわ、あれではな……。微動だにしない。
でも大したことじゃなくて良かった。クレームが入る前に、別の場所に移動してもらおう。
今日はそれで済んだものの、
この男、何をしでかすかわからない。
楠木家のご次男 楠木 鉄平氏は、たしかに只者ではなかった。想像していた以上に。
私が彼と一緒に働き始めて、まだたったの二週間だが、驚きの連続で、まずは初出勤の日から私を大いに驚かせてくれた。
*
その日私は、始業時刻よりも三十分程早くオフィスに到着していた。まだ人は疎らで、整然とした朝の空気が流れていた。
今日から、例の彼が出勤してくるらしい。
少し緊張するな……そう思いながらオフィス内をぐるりと見渡す。……ん?
打合せスペースのテーブル席に、見たことのないスーツ姿の若い男性がいた。
背筋をピンと伸ばして目を瞑り、ポツンと一人で瞑想している。
驚いて、思わず目を見開いた。
誰? ええとあの人、どっかで見た……中性的で儚げな……ああっ、もしかして、楠木家の次男さん!?
そ、そうだそうだ、写真で見た彼だ──。
早っ。なんでもうここにいるんだろう?
普通はまずマネージャーのところに行って挨拶をしたり、いろいろと説明を受けてから部屋に来て、それから私たちに紹介されると思うのだが……。川上MGRは どこへ行った?
彼は驚いて固まっている私に気づくと、何故か目を細めながら私へ眼を飛ばし、のそりと立ち上がった。
そしてそのままこちらをじっと見て、動かない。………この人、写真ではわからなかったけれど、顔が小さくて脚が長い。スタイルがいい。中性的で儚げに見えたのも、色白で端正な顔立ちをしているからだ。
つまり、見た目は悪くない。
写真よりずっといいじゃない、楠木さん。
不気味な笑みさえ浮かべなければ、イケメン枠に入れるよ。
これで賢くて家柄もいいんでしょう? え、女性スタッフや社員が皆、放っておかないんじゃない?
ポスト河上透弥、河上さんのように人気が!
…………出ないだろうなあ、なんとなく。
なにかが違う、なにかが。素材は悪くないのにどうしてだろう? って、私に言われたくないか。
だけどさっきから、初対面なのにじろじろ見てくるから感じ悪いし、睨まれているみたい。
なにか私に恨みでもあるのかい?
見つめ合って(睨み合って)いても仕方がないので、川上MGRが来るまで少し話をする事にした。
「──あのすみません、楠木さんですか? 楠木鉄平さん、でしょうか?」
「…………そうですね」
そうですね? そうだよね、やっぱり。
「おはようございます。私 沢北と申します。これからしばらく楠木さんと一緒に働くことになると思いますが、どうぞよろしくお願いします」
「はいよろしくお願いします」
「……はい」
「……」
なんだろう、言い方か、態度か、
なんだかすごく、ふてぶてしい。
〝まあ今日からよろしく頼むよ〟みたいな。
自分からは名乗ろうとしない。
話そうともしない。
もしかして嫌々ここに来ているのかな?
それとも育った環境のせいで偉そうになってしまったとか? 想像しても仕方がないか。
そして先ほどから私は、彼の身だしなみが気になっている。
「楠木さん、どうしたの? スーツのここ、肘から二の腕のところ、汚れてませんか?」
「……あ、あぁ…………」
仕立ての良い高そうなスーツに見えるけど、なぜか全体的に汚れている。どうして?
気のせいかな……。
鞄からウエットティッシュを取り出して一枚渡すと、楠木氏はそれを受け取りながら、思いも寄らぬ事を言い出した。
「出勤する時に、駅の階段から落ちました」
「は?」
駅の階段から、落ちた?
「落ちた? どこから」
「ですから駅の階段です。眼鏡もどこかに飛んで、失くしました」
「眼鏡を失くした? ああ、だからさっきから目を細めているの?」
目つきが悪くて睨んでいるわけではなく、物をよく見ようとして自然とそうなっている、ということらしい。
それから詳しく話を聞き、状況を理解するまで数分かかった。
階段の真ん中で人とぶつかり、下まで転げ落ちたと言う。
ちょっと転んだというわけではなく、転げ落ちた……あり得ない。そして汚れているどころか、布が解れて擦り剝いた膝と肘には、まだ血が滲んでいた。
首を捻りながら手当をしているところに、ようやく川上MGRが現れる。
「楠木君! ここにいたのか!」
「……」
「……え?」
彼が時間になっても出勤してこないせいで、騒ぎになっていたらしい。
そうよね、おかしいもん、ポツンと一人でここに居るって。
初日にそんなことがあり、さらに翌日も、その翌日も、種類の違う様々なことで驚かせてくれた。
最初は私もどこか他人事のように、ふふふと、心の中で笑っていた。おそらく、頭はいいのに何かがずれている人なのだろう。その不器用さは わからなくもない、って。
私とそれほど関わらない人間なら、遠目で見て気にしないでいられただろう。
でも私は彼の指導担当で、それで済むはずがなく────。
「──楠木君、靴紐が解けてますよ」
「……」
「声を掛けられたら、返事をしましょうか。どんな小さなことでも」
「……はい」
様々なイベントで会場内を移動するのに、革靴やヒールなどでは務まらず、内容によってはスニーカーのようなものを履くことが多い。万歩計をつけていると、一日に10000歩なんて当たり前で、20000歩、30000歩までいくこともある。楠木君にもそれを伝えて、彼も紐付きのスニーカーを履いていた。
しゃがんだまま、しばし立ち上がらない。
やっと立ち上がったので、彼が結んだばかりの靴紐をチラ見すると、目が点になる。
「ど、どうしてそれ。おかしくない? 紐」
上手く蝶結びができず、縦結びになってしまったとかそういうレベルではなく、何度も何度も結んだそれは、団子のように丸くなっていた。
「……おかしいですね」
「もしかして、蝶結びができない?」
「やったことはありますけど、覚えていません」
やったことはあるけれど覚えていない、
蝶結びってわざわざ覚えるものですか!?
25年生きてきて、蝶結びをする機会なんて、いくらでもあるじゃない!?
常にお付きの人にやってもらってきたから出来ない、のだろうか。
数日前は、イベントの会場でバケツの水をひっくり返した人がいて、近くにいたスタッフが慌てて雑巾でそれを拭いているのに、ぽかんとその場に立っている楠木君がいた。
ようやく拭き始めたと思えば、今度は雑巾の絞り方がわからないと言い出して……。
「えっと、雑巾の絞り方を教えます」
「はい」
き、規格外です、先生!!
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