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2.嵐を呼ぶ男
嵐を呼ぶ男③
しおりを挟む「あら沢北さん、お疲れさまです」
「お疲れさまです、本田さん」
昼休み、オフィス内の休憩スペースで昼食を取っていると、サブリーダーの本田さんも昼休憩にやってきた。私の座っている斜め前の席に、よいしょと、腰を下ろす。
自分の親よりも一回りくらい若い世代で、私が働き始める前からここに所属している、ベテランの契約社員の方だ。新人の頃からずっとお世話になっている。
パートさんや派遣さんなど、運営スタッフのリーダー的役割をこなしているサブリーダーの本田さんもまた〝人たらし〟の部類に入ると思う。皆に信頼され、好かれている。
繊細な気配りでなんでもお見通し、彼女が出勤の日は安心して任せられる。私にとって、スタッフの中で一番頼りにしている存在でもあった。
──とはいえ、なかなかこんな風に一緒に休憩を取ることもないのだが。
「今日は、坊やは一緒じゃないの?」
「坊やは……はい、今日はお休みです」
坊やとは、お察しの通り楠木君のことだ。
たった数週で、彼はもうすっかり有名人になっていた。あまり良くない方の意味で。
大企業の御曹司であることなど私と河上さんとマネージャー以外知らないことなのに、あの風貌や佇まいがそう見えてしまうのか、
『使えないお坊ちゃん、坊や』などと呼ばれ始めている。これも魔女子同様、非公式のニックネームのようだが。
「沢北さんもこの数週間でだいぶボロッとなったね」
「そうですか? いえ。全然大丈夫ですよ。まだまだ許容範囲」
「えーー? ほんとうに?」
「……ほんとうに」
「一か月経った?」
「はい、一か月と三日です」
そんなことを、はっきり覚えているあたりが。
全然大丈夫と誤魔化そうとしても無理だと、げらげら笑われる。
社員が社員の愚痴を本田さんに言うなんてあってはならぬと思っているわけだが、彼は誰がどう見ても怪しい動きをする人物なので、隠しようがない。
「私も入社当時は何もできなかったですし、人のこと言えないんです。本田さんにも沢山フォローしていただきましたし」
「そうだったかなあ? 沢北さんは、真面目で一生懸命だったよね、最初から」
「あ、ありがとうございます……だから、自分のことを棚に上げて人のことは言えないんですよ。ほら、まだたったひと月ですし」
「あはは、別にいいじゃないの、悪口大会がしたい訳じゃないんだから。ストレスを腹に溜め込むと腐るよ? 楠木君でしょう?」
「いや…………」
言わなくてもお見通し、か。
胸の奥から、思いっきり深い溜息が出た。
「ちょっと、出会ったことのないタイプで」
「うん、なんか浮世離れしているよね」
「浮世離れ、それだ。まさにそんな感じですね」
周りの事など何も気にならないのか、ひたすら淡々としてマイペース、無気力無愛想、これは私も人のことは言えないが。
そして全てが、私の予想の上をいく。
〝これをこうしてああしてください〟と、事細かく指示を出しても思わぬところで躓く。スムーズに物事が運ばず、結局私が後始末をする羽目になっていた。
「そのくせ何故か態度大きいしね、ていうか何ていうの? ふてぶてしい?」
「そう、ふてぶてしい、それもです。この間ついにバイトの子にキレられちゃって」
「えーー、なにそれ可哀想」
「どっちがですか!?」
自分以外の人間のことで悩むなんて、はじめてかもしれない。
事情など知らないよ。なぜうちの会社に?
武者修行の場所を間違えていると思う。
そもそも武者修行とか、叩き直して鍛えてくれなんて、取って付けたような適当な理由なのでは? こう言ってはなんだが、自分のところで持て余したために、何らかの理由でここに流れ着いたのでは?
本当にただのできない新人という体で働いており、『楠木君て楠木産業の──』などと気軽に話せる雰囲気ではない。
だからそういった意味では、誰一人彼に気を遣っていない。怒らせるわけにいかないと言っていたし、御曹司の機嫌を損ねないか、少し心配ではある。
「お勉強はできるのにね、どういう育て方をすればああなるんだろう?」
「本当ですね」
言えない。本当の坊ちゃんだからでしょうか、なんて。
指導係が私というのも不可解で、ますます納得できずにいた。
私など自分のことも儘ならなくて必死なのに、楠木君のようないろんな意味での強者を面倒見ろとか……。私まであたふたして、二人が揃うと挙動不審なコミュ障コンビのいっちょう上がりだ。
当然僕達も見るよ、などと調子良く言っていた川上MGRは、私が焦っているのを見ても他人事のように ニコニコしているだけ。
河上さんも現在、『全国お菓子なお土産フェスティバル』という長い期間拘束されるイベントで他県に出張していることが多く、それどころではない状況。いればフォローしてくれるが、私が楠木君と一緒の時は 誰に遠慮しているのか〝様子見〟といった感じだ。
話が違うじゃないか。
ところが本田さんは意外にも、
「でも彼ね、意外とよく人を見ていたり、もっともな意見を言う時もあるし、生活能力は全然なさそうだけど、感覚的には悪くないんじゃない? 私は嫌いじゃない」
などと言う。
「感覚的には悪くない、って、それどういう意味ですか? 本当ですか?」
たしかに私もなぜか、憎めない。
言えばちゃんと話を聞こうとするし。
「うん、だって、あの田丸さんまで楠木君の動向を気にして面倒見てたくらいよ」
「田丸さんが? めずらしい」
田丸さんとは、本田さんと同じように働いている、また別のサブリーダーのことだ。
本田さんの柔らかい雰囲気とは違い、人にも自分にも厳しいクールな一匹狼、アラフォー。
仕事はてきぱきとこなすので頼りにしているが、正直何を考えているのかわからない。
私は、田丸さんにはあまり信用されていないと思っている。
ちなみに私は、本田さんと田丸さん、この年長のサブリーダーツートップの事を、二人合わせて〝本田丸〟と呼んでいる。心の中で。
「田丸さん、見ていられなかったんでしょ。楠木君ってなんか放って置けない感じだし。まあでも一か月で少しはましになったんじゃない? 五ミリ位は」
「そうですか? 五ミリって、まともになるまであと何キロメートルのうちの五ミリかな? 私もう『沢北さん!』て人に呼ばれると心臓がドキンとして、一日◯ドキンとすればいいのやら、自分の名字が嫌いになりそうですよ。こんな胸キュンは要らない」
「あはは、ちょ、胸キュン? 一日◯ドキンて、沢北さんたらそんな冗談言うんだ?」
「冗談ではなく本気です」
本田さんが涙を浮かべながら笑っている。
思えばこんな昼時間もめずらしい。私は基本的にいつも一人で食べているから。
「もう少し打ち解けて、慣れてくるといいんだけどね、楠木君」
「打ち解けて……」
彼が皆に打ち解けて慣れてきた姿なんて、想像できないが。
「二人で話す時に、仕事以外のこととか話せばいいのに。なんてことない世間話でいいから。休みの日は何してるの? とか。しない?」
「しませんね……」
そんな話はしたことがない。気持ちに余裕がなくて。それは、楠木君に限ったことではないけれど。
「話してみたら? 趣味は何~? 朝はパン派ごはん派~? 好きなテレビは~?」
「それは、すごくハードルが高いですね」
「高いか? ハードル」
だって、それができたら私にだって、友達の十人や二十人すぐできると思う。ついでに素敵な恋人も。
「でも何となく、沢北さんと楠木君って合うような気がする」
「あっ、川上マネと同じ事言ってる。それはつまり、似てるって言いたいんですね!? 私ってあそこまで問題児でしょうか?」
「まあまあ、そんなに過敏にならないでよ。沢北さんが問題児なんて言ってないから」
休憩時間が、終わろうとしていた。
「人に教えるって、教える方も勉強になるっていうじゃない。沢北さんも自分のステップアップと思って頑張って。根性で!」
「うーー、はい……」
それ、一番苦手かもしれない。
楠木君との共通の話題なんて、まったく思いつかない。けど本田さんの言う通り、楠木君を攻略するにはせめて、もう少しまともに会話ができるようにならないとダメかもしれない。
今はまだ小さな失敗やギリギリセーフのKY行動だけれど、今後はクライアントとの打ち合わせにも参加するだろうし、少しはましになってもらわなくては困る。
こういうことは、河上さんに相談した方がいいのかな、イヤだけど。
そんな事を考えながら、残っていたお茶を全部飲み干した。
ところがその数日後、思わぬチャンスが巡ってくる。
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