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2.嵐を呼ぶ男
嵐を呼ぶ男④
しおりを挟む本田さんと話をした四日後のことだった。
昼休みに入るタイミングで、楠木君が自分の小さなトートバッグから紙袋のようなものを取り出し、どこかへ向かおうとしていた。おそらく別階にある休憩スペースだと思う。
だいぶ前に一度「近くにパン屋さんがあるから行きますか?」と誘って「行きません」と断られて以来、お昼休みに誘うのは控えていた。お昼の一時間くらい、自由に過ごしたいのだと思って。
けど、二人でどうでもない話をするなら、仕事中よりも今だ。今しかない。
お昼のタイミングしか考えられない!
意を決して私は、財布片手に楠木君を追いかけた。
「く、楠木君っ!」
「……はい」
あ、やば……力が入り過ぎて、大声で呼び止めてしまった。楠木君以外の人達まで振り返り、何だ何だと じろじろ見られる。
「あのさ、どこ行くの!?」
「昼休憩ですが」
「パン屋さん行く? それともコンビニ?」
「いえ行きません、昼食はありますので」
だよね……行くわけないか。
私は今日は何もないから、何か買いに行かなければならない。楠木君も、休憩時間まで私と顔を合わせていたくないよな……。
諦めて退散しよう。今度ちゃんと、計画を練ってから声を掛けよう。──そう思い、「何でもない」と、後退りしようとすると、楠木君の眉がピクリと上がった。
「なんですか? そんなに僕をそのパン屋に連れて行きたいんですか?」
「え? ああ、うん、そうそう」
「……じゃあ、付き合いますけど、パン屋」
「お、おお、ほんとに? 行こう行こう」
なぜか、誘って受け入れられてものすごくテンション上がって喜んでいる人みたいになってしまったが、まあいいや。
そのまま楠木君と二人で、会社の近くのブーランジェリーに向かうことになる。
実際にとても美味しくておすすめしたいお店なので、心は弾んでいた。
◇
「……楠木君、そんなに買うの?」
「はい……買い過ぎ、かな……」
トレイの上に山盛り、123456個?
さすがに多すぎる。サンドイッチ4個は、明らかに買い過ぎだと思うけど。
「あとからも食べれるので」
「うん、これ全部おすすめ、特にこのごぼうサラダが挟まってるパン美味しいよ」
金銭感覚はズレているがパン選びのセンスは感じる。ごぼうサラダ以外のセレクトも、良きです。
「楠木君、コーヒー飲める?」
「はい……甘くすれば」
ふ、甘くすれば。
ブラックコーヒーは飲めない人ね、覚えた。
持ち帰りにはせず、カウンターテーブルに横並びに座り、店内でイートインすることになった。これはもう、通常の私では考えられないほど積極的。楠木君相手にだが。
楠木君が自分の財布をポケットにしまおうとした時、彼の財布に、あるキャラクターの小さなキーホルダーが付いていることに気づいた。私も大好きなキャラクターで、思わずボソリと声に出してしまう。
「……あ、ヒョウタンツギ」
「えっ!?」
「え?」
驚いて声を上げる楠木君に、こちらの方が驚いてしまった。結構な至近距離で目が合っているというのに、逸らそうとしない。
「な、なに?」
「今なんて?」
「え、いや楠木君の財布にヒョウタンツギのキーホルダーが……」
「…………」
「ふ、触れちゃダメな話題でしたか?」
「いえ、よく知ってますね」
それは別に、知る人ぞ知るマニアックな、という程のものではない。
漫画家、手塚治虫氏の漫画によく出てくるキャラクターのことだ。
そんなに興奮されても困る。アトムよりは知名度は低いかもしれないが。
なにがなんだかわからないが、とりあえず食べる席を確保し、二人とも座った。
「──楠木君、手塚治虫が好きなの?」
「いや、好きとか嫌いとか、そういう話じゃないじゃないですか」
「そ、そうなんですか?」
この人誰?
目の輝きが全然違うのだが。
ニヒルな表情、片方の口角が上がり、
突然別人になってしまった。
「手塚先生は日本の宝ですよ、いえ、世界の宝です。あの方が居なければ今の日本はありません、日本が世界に誇る、マンガやアニメ文化を生み出した方、神です」
「…………」
「沢北さんはそうは考えませんか?」
「そ、そうですね、考えます、神様です」
呆気にとられ、言葉を忘れる。
楠木君は、さらに得意気になって微笑む。
「数々の文化人やスポーツ選手が国民栄誉賞を受賞しているというのに、手塚治虫先生はなぜもらっていないのか謎です。沢北さんも漫画は読まれるんですか?」
「は、はい、手塚先生の漫画ですか? 読みますよ。アドルフに告ぐ、ブッダ、時計仕掛けのりんご、それから紙の砦でしょうか」
「なんと素晴らしい、名作揃いです。絶妙な作品を上げてきますね沢北さん、手塚先生の戦争中のお話は本当に涙が止まらない。自伝作品は痺れますからね」
「は、はい」
やばい…………なんだかわからないけれどおかしな事になった。彼に、火をつけてしまった。そしてこんなにも生き生きと流暢に会話する楠木君を、初めて見た。頬も少し、紅潮している。
そこから数分、手塚治虫談議に花が咲く。訳あって、私も一応打ち返せる知識はある。
休みの日は何を? 好きなテレビは?
話そうと思って考えていた話題は、すべてどこかに吹っ飛んでしまった。
「あの、とりあえず、パンを食べません?」
「どうぞ、僕に構わず召し上がって下さい」
と、止まらねぇ。
「──驚いた、本当に好きなんだね、漫画」
「まあ、好きとかそういう話ではなく──」
ああうん、わかったわかった。
言い方間違えた。
自分の一部なのね? 楠木君にとって。
「私の家は父がすごく好きで。手塚治虫氏は当然漫画の神様で実家に大全集もあるから。私、それを読んで育ったから」
「英才教育ですね」
「いえいえ楠木家ほどではないと思うよ?」
「僕の家は……そんなんではないですから」
「そうなの?」
学力はおそらくとても優秀なはずだから、小さい頃から勉強勉強で、漫画は読ませてもらえなかった、とか?
せっかく盛り上がっていたのに、スイッチを切ったかのように、シンと静まり返ってしまった。やっぱり楠木家のことはタブーなのかもしれない。失敗した。
家柄がどうとか、仕事には全く関係ないし聞く意味もないから、今後は話題に出さないことにしようと決めた。
少し大人しくなった楠木君がようやくパンを食べ始める。そしてまた、驚愕するような事を言い出した。
「このパン、美味しいです」
「……ん、でしょう? このごぼうサラダもパンに合うようにお店の手作りなんですよ」
「とても美味しいです。それから沢北さんの七渚という名前は、いい名前だと思います」
「ええ??」
やっと落ち着いて食べ始め、パンが美味しいという話をしていたと思えば、脈略もなく一体何の話だ。何を言い出した?
七渚という名前が、いい名前? 恥ず!
そもそも私の名前知ってたんですか?
「急にどうしたの。私はでも、恥ずかしいんですよ、この漢字だとナナって読めないし、キラキラネームみたいで」
「響きも良いし、漢字も良いと思います」
「ええ? あ、ありがとう……。実はこの名前は、親がスピッツ好きで……」
「スピッツ!?」
「え?」
まただよこのくだり、このビックリ顔。
ヒョウタンツギに続き、今度はなに!?
この数十分で、へとへとになる位驚かされている。さすが楠木君、期待を裏切らない。
「なるほど……だから、ナナで七渚」
両方ともそういうタイトルの曲がある。
「楠木君、スピッツも好きなの?」
「好きもなにも、大好きです。LP盤も全て持っていますが」
……面白くなってきた。
いるいる、そういう人!
「草野正宗氏、彼の詩は素晴らしいですよ、曲は勿論のこと」
「私も好き、マサムネさん。ちなみに私今、ハイツ・インディゴブルーってマンションに住んでるんだけど。二か所で迷って、絶対こっちだろーーって決めた」
楠木君の目が、また輝き出す。
「おお、僕は今日スパイダーを見ました」
「そんなこと言ったら私今、たまごサンドを食べてますけど?」
「じゃあ僕は、さっき買うのを躊躇ったチェリーパイを」
「いいからちょっと、落ち着いて下さい」
馬鹿馬鹿しい。実にくだらない。
けど信じられないくらいあっという間に、時が過ぎた。
端から見たら、淡々と会話している二人にしか見えなかったと思うけれど、たった二つのキーワードが、なぜか楠木君の閉ざされた門の扉を、こじ開けてしまった。
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