【完結】恋する凡人

中谷ととこ

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4.忍び寄る

忍び寄る④

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「──クレーム、ですか?」

「うんそう、大した内容ではないんだけどさ、これ」

 はじまりは、イベントアンケートに寄せられた一件のクレームだった。
 
 私が先週末に担当したイベントの件で、マネージャーに声を掛けられた。


『受付付近に立っていた背の高い若い女性がとても感じ悪く、冷たい対応をされた。接客態度がなっていない』


 川上マネージャーが手に持つタブレットの画面に、そういった内容の文章が表示されており、ぎょっとして首を傾げる。

「受付付近に立っていた背の高い女性……、私のことでしょうね」
「いやいや、沢北さんとは限らないよ」

 だけど先週のイベントならば、受付周辺で全体を見て指示を出していたのは、私だ。
 背の高い女性スタッフは田丸サブリーダーもそうだが……。多分、私だろうな。


 身に覚えはなかった。

 接客だけは丁寧にと、態度も仕事モードは明るく柔らかくと、気を付けているのだが。気付かぬうちに誰かに、不快な思いをさせてしまったのだろうか。

「きっと、何かしてしまったのでしょうね。どの方だろう。お席まで案内したお客様から少し距離を取られたけれど、それかな……」

〝まあまあ、気にし過ぎなくていいけど一応報告〟という形で知らされたのがその一件。
 態度の良くないスタッフに注意したり統率する立場の私がやらかしては洒落にならないと、納得のいかない部分もあるものの、若干落ち込んで、反省をした。
〝以後気を付けます〟と謝罪して、より一層丁寧に対応するように心掛けた。


 ところが、それから幾度となく様々な方面から、私個人に対する指摘ではないか? と思われる内容のクレームが、ぽつりぽつりと寄せられるようになる。




「──七渚さん、昼食はそれだけですか?」
「……え? うん」

 楠木君からの〝七渚さん〟呼びは、いつの間にか定着してしまった。おかげで本田さんにまで、時々そう呼ばれることがある。

「午後は忙しいですよ。それだけではお腹が空くと思いますが」
「今日は、朝ご飯を食べ過ぎたから」
「ああそういう事か、モデル体型を維持するために食事制限しているんですね?」
「違うわ」

 食欲が無い訳ではなく、別の事に気を取られ、昼食の量など気にしていなかった。
 悩み事があると痩せていくのは、つまり食に興味を持てなくなるからだと思う。私はまだそこまでいっていないけれど、たしかに気が晴れない理由はあった。

「悩み事とは?」
「別に、そんなに悩んでもないから」
「おにぎりあげましょうか?」
「ありがとう、お気持ちだけで」

 楠木君は最近なんと、朝自分で炊いたというご飯で握ったおにぎりを、時々持ってくるようになった。河上さんのアドバイス通り、ささやかながら自炊を始めたらしい。

 信じられない、おにぎり!? と、最初は驚いて声を上げたが、その光景にも慣れた。今日も会社の前に来ていたキッチンカーで買ったスープと持参したおにぎりを、慎ましやかに食べている。

 女子か? 本当に御曹司か? と突っ込みたくなるけれど、食べ方や所作がとても綺麗で、育ちの良さが滲み出ている。

 あれだけ問題を起こしていた楠木君だが、相変わらず不器用ではあるけれどそれなりに仕事を覚え、周囲に馴染んでいる。人は僅かずつでも変われるのだと、感動していた。

 逆に私の方が、最近すこぶる調子が悪い。


「何かあったんですか?」
「……ん、まあ、ちょっと」

 公的な機関からの依頼で、大規模な展示会が数日にわたり開催されたのだが、最近の気掛かりである〝特定の人物・・・・・へのクレーム〟がまた、依頼主である官公庁のHPの御意見欄にまで、ご丁寧にも書き込まれてしまった。

「またですか。何故ですか?」
「それは、私が聞きたいです」
「匿名でばかりそんなの、おかしいですよ、気にする必要はないのでは?」
「クレームがきている以上、無視する訳にはいかないもの。私一人が気にする気にしないの問題ではないから」

 今日はとうとう、担当者の方から、「これはどういう事ですか? 問題のスタッフとは?」と、問われる一幕があった。


「担当、外されるかもなぁ……」
「それは、本当にまともなクレームなんですかね……。いかにももっともな言葉を並べるばかりで、怪しい」
「どういう意味?」
「ただ単に嫌がらせされているとしか」
「私に? どうして?」
「わかりませんが……例えば誰かに、逆恨みされているとか」
「……」

 逆恨み・・・、そう言われると、思い当たる人がいないわけではない。それに、時期的にはちょうど、ピタリと当てはまるけれど……。
 いや、まさか、何の根拠もない。


「──お疲れさまでーす」

「お疲れ様です、透弥さん」

「……」

 突如私の背後から現れたのは、河上さんだった。私の隣の席の椅子を引き、ガタリと腰を下ろした。

「沢北さんこれあげる。買い過ぎちゃって」
「え、何ですか……パン?」
「そう、ベーグルサンド。良かったら食べてくれない? え、アーモンドミルクとサラダだけ? 食事制限でもしてる?」
「だから違いますって」

 表面上は普通に会話をしてはいるものの、あの一件以来、河上さんの顔を直視できずにいる。
 憂鬱なクレームが入る度に声を掛けられ、業務中もフォローしてくれるのだが、近づかれると無駄に緊張して疲れる、を繰り返していた。正直クレーム以上に、心穏やかでいられない厄介事のひとつでもあった。
 我ながら自意識過剰で嫌になるが、何もかも見透かされているようで、怖い。

 私がベーグル好きであるとか、人の好みは自動的にインプットされてしまう仕様なのだろうか、この人の頭脳は。
 遠慮なく、いただいたばかりのその好物に、思いっきりかぶりついた。


「思い当たる事は、無いとは言えないね」
「……ぅぐ……」
「ああ、ごめんごめん、ゆっくり食べて」
「何ですか? 七渚さんに恨みを持つ相手の目星でも付きました?……あ、ひょっとして前に絡んできた、おかしな中年男ですか?」
「中年って程ではなかったと思うけど、考えてみると あれを境にって感じだよね」
「……」

 やはり、河上さんもそう感じていたか。

「ああ、あいつの仕業か。思い出してきた、あの気持ち悪い男……思考回路のわからないおかしな輩は、世の中に大勢いますからね」

「楠木君みたいに?」

「え、僕? 僕もまあ、ちょっと気持ち悪いですからね」

「ぶっ……」

 ベーグルを吹き出すところだった。


「ちょっと、その線で調べてみようか」

 そんなのどうやって調べるの。

「いえそんな、ご迷惑を掛けたくありません。私連絡先を知っているので、南澤さんに直接電話で聞いてみま──」
「いや、それはだめ。そこで〝はい、適当にクレーム作ってそれ書き込んだの僕です、すみません〟とはなりませんから。とぼけてられて終わり」

 だってもしそうなら、今すぐ問い質したい。憎まれるほどの付き合いなど無かったじゃない、何故わざわざ私に?

「憎しみって、愛があるから生まれるものではないんですか? だから、あの人が私に執着する理由なんて何もないんです」

「お、なにその名言、いいですね。というか僕も無関係ではないから。沢北さんが今辛い思いしているのは、僕がやり過ぎたせいかもしれません」

「そ、そんなことは全然無……」

 顔を上げると、かなり近い距離で久しぶりに目が合ってしまい、驚いてそのまま固まった。


「……あれ? お二人は、なにかありました? 最近何となく雰囲気変わりました? この間から? あれ? 焼き鳥を食べにいった辺りからかな、何か怪しいですね」

「……楠木君、私は何も怪しくなどありません。君はもう何も喋らないで、ひと言も!」

「は?」

 いつも鈍感力の塊のような人が、なぜ突然余計なことを言い出すの! 黙って!


 河上さんは何が可笑しいのか爆笑していたけれど、私はとてもじゃないが、笑える気分にはなれなかった。
 だから、慣れていないんだって、私は。
 こうやって揶揄われることも、優しくされることも全て。

 ふとした瞬間に自分の右手を見ると、思い出してしまう。
 手を繋がれて温めてもらった温もりとか、あの時の優しい眼差しとか、リアルに。
 河上さんにとってはそんなの日常茶飯事で、困っている人がいたら手を差しのべる、ただの親切心でしかないのにね。
 恥ずかしい、ほんと馬鹿みたい。


 とりあえず仕事は仕事と、いつも通り気にせず頑張ろうと思っていた矢先、私は案の定、そのイベントの担当から外される事になる。

 川上MGRがクライアント側の担当者と話をした結果、クレーム内容をそのまま信用するわけではないけれど、手を打たないわけにはいかないこと、ほとぼりが冷めるまで、無理に現場に出なくてもいいのではないかという、私への配慮でもあった。
 他のスタッフに迷惑は掛けるけれど、私もその方がいいと思う。仕方ない。




「お疲れさまですー」
「沢北さん、あとよろしくお願いしまーす。いって来ますので~」
「はい、いってらっしゃい」

 私ではない別の担当リーダーが、数名のスタッフと共に今日の現場に向かう。
 お見送りする側も、だいぶ久しぶりだ。

 私はお昼過ぎからずっと内勤で事務作業をしている。やらねばならない事はいくらでもあるが、数日間それを繰り返すうちに、少し寂しい気分になっていた。


 私がいなくても、当然イベントは遂行される。代わりなどいくらでもいるし、心配したところで、私でないとダメな理由なんて特にない。そうでなくては困るのだが、矛盾してそれが少しだけ虚しい。

 今週末は、土曜日曜もどちらも休みという滅多にないシフトに変更されてしまった。
 わざわざ休日出勤してまでやらねばならない仕事など私にはない。精々自宅でパソコンをカタカタやるくらい。皆が休みを取る平日に、電話番でもしている方が役に立つ。

 
 溜息を吐きながら、思わず笑ってしまった。
 苦手だ、向いていない、ずっとそう思ってきたけれど、つまるところ私は、この仕事が好きなんだと思う。
 様々なイベントの会場にいて、会全体が上手く回るように思案したり、万歩計がおかしな数字を叩き出すほど歩き回るのが、好きなのだ。全く同じということのない一期一会の現場で、皆とああだこうだ言いながら働くのが楽しい。だから頑張って続けてこられた。

 寂しいとか疎外感とか子どもじゃあるまいし、仕事なんだから。別の部署に異動になることだってあるんだから。
 わかってはいるのに、また溜息。

 週末は何も考えずゆっくり休んで、今できる事をやろう。美玖さんにマッサージしてもらい、溜まった毒素を排出しなければ。


 ところがその翌週、思いも寄らぬ出来事があり、思わぬ人物が私以上に、今のこの状況に憤激していることを知る。







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