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5.優しい夜
優しい夜③
しおりを挟む「は?」「は?」
河上さんと声がかぶった。
なんだって??
楠木君がまた突飛なことを言い出すから、今出た涙が引っ込んだじゃないか。
何を言ってるのと、私が言葉を返すより先に、素早く反応したのは河上さんだ。
「楠木君、なに言ってんの?」
「なにって、このまま〝じゃあサヨナラ〟って帰れないですよね」
「それはそうだけど、なんで君の家に連れて行く話になるの、おかしいでしょう?」
「そうですか? 部屋数はありますし、セキュリティーはここよりも安全ですし、とりあえずしばらく落ち着くまでは居てもらって構いませんが。といっても、僕の家ではなく僕の親の家ですけどね、ははは」
「……」
いやいや、ははは、じゃなくて。
こんな時だが面白い。
「楠木君、お気持ちはありがたいけど私は、楠木君のお父様が所有している家になど恐れ多くて入れませんから。驚かさないでよ」
「え? うちの親のことを心配してますか? あの人たちは全然気にしませんよ。女性十名を自宅に呼んで大宴会している真ん中に僕がいてハーレム状態だったとしても、全く気にしません」
「く、楠木君、普段そんな事してるの?」
「いいえ、一度もしたことないですけど。人っ子一人、家に入れたことはありません」
「……人っ子一人、て」
本当に何を言ってるのか、
楠木節炸裂で全く意味がわからないのだが、でも冗談の欠片もなく、本人はいたって真面目な様子なので、笑えない。
「何を言ってるんだよ、本当に。だって君、ダメでしょ? 人を自宅に上げるのとか苦手な人じゃないか。まして落ち着くまで居てもいいって、どういうつもりで言ってんの?」
「苦手、なんですけどね、でもこういう事態だし、七渚さんならいいかなと思いますね。なぜか」
「沢北さんならいいかなって……」
「七渚さんが、気軽に泊めてくれる相手がいないというなら、僕でもいいかと思っただけですが、なにか?」
「……」
なんだろう、
なんかちょっと、じんとしてきた。
優しいんだよなあ、楠木君は、ほんとに。
私が惨めな気持ちになっているのを自然と察してくれた気がする……違うかな。
でもそんな風に言ってくれるだけで嬉しいし、こうして心配してくれる人がいると思うと充分心強いから。
あと数時間で明日の朝が来る。とりあえず今夜だけ我慢してここで寝て、明日以降なるべく早く、セキュリティーのしっかりとした安全な部屋を探そう。
ここはたしかに住人以外でも簡単に入れるし、建物全体の灯りが少なくて夜は真っ暗になる。突然人が現れても今日みたいに気付けない。またチカチカと思い出され……嫌だ。
ところがそれを伝えようにも、河上さんと楠木君、二人の間で話は白熱して続いており、ちっとも割り込めない。
「一般論としておかしいから。付き合ってもない男女が同居するなんて」
「同居なんて言ってません。僕のマンション無駄に広いじゃないですか、ルームシェア、みたいなもんですよ。家の中に人がいるだけでも安心しませんか? 透弥さんじゃあるまいし、僕は下心とかありませんから」
「どういう意味だ」
「あの、そういう心配はしてないんだけど、でも行かないよ楠木君のお家には。そんな事出来ないから、常識的に考えて、ね」
「あ、待って下さい、七渚さんに魅力がないわけではありませんよ? 女性として素敵ですとても。そこは誤解のないよう」
「わーーやめて、話がややこしくなるから」
この人、無駄に私を褒める人だった!
楠木君は私のことを買い被り過ぎている。
そして、そこに恋愛感情などなくとも、慕って懐いてくれていることはわかる。
どこでどう そうなったのかはわからないが、いつの間にか構築された、男女の枠を越えた信頼関係、一人でいることに慣れた者同士、共鳴する部分があったかもしれない。それは楠木君自身もよくわかっていると思う。
「君たちは、ずいぶん仲がいいんだな」
「その言葉、河上さんと楠木君にも当てはまりますから。お二人ともいつの間にそんなに親しくなっていたんですか? お互いによく知ってて 昔からの知り合いみたい」
「……たまたまですよ」
苦笑する河上さんと、目が合った。
「──明日以降のことは明日考えるとして、僕ら今夜はここにいますから」
ん?
「どういう意味でしょうか?」
「朝までここにいますよ、僕と楠木君」
「朝まで、ここに…………は?」
「心配だし、門番みたいなもんです。それで朝出る時に、車で会社に送っていけばいい」
「門番!?」
いやいやいやいや、何言ってんの!?
この狭い部屋に、まさかこのまま泊まるって言ってる?
……え、ウソか? あ、なんだ冗談?
びっっくりしたーー!
「河上さんやめてくださいよ、私、冗談通じないんですから」
「冗談じゃないから。それとも沢北さんも、楠木君のマンションに移動したいんですか? それなら送ってくけど、行かないでしょ? 行くわけないよな?」
「……い」
行くわけないよ、ええ勿論、行くつもりなんてないけれど、朝までお二人がここに居るというのも、おかしな話だと思います。
そうするのが当然のような顔をして、河上さんこそ何言っちゃってんの?
「あーあー、七渚さんを困らせてるじゃないですか。透弥さんの方が理解できない非常識な事を言ってますからね? ほら、びっくりして口開けてる」
「沢北さんはいつも通り寝室で寝ればいいよ。俺はこっちで朝まで寝ないから」
「はははは、寝る寝ないの問題ではなくて。部屋の中に人の気配を感じたら、七渚さんが眠れないでしょ。僕にぶーぶー文句言うくせによくまあ……。ああそれに、僕は帰りますよ。自宅の自分のベッドじゃないと安眠できませんし。一緒に僕の家に行くのは全然いいですが、居残りは無理です」
「楠木君、空気読んでよ」
「それこっちの台詞ですが」
さっきまで楠木君に対し、何を言ってる? と言っていたその口で、わかった、それなら俺だけ残るかと、矛盾したことを言う。
「河上さん、なんで? お疲れじゃないですか、帰って自宅で寛いでください、泊まるなんてウソですよ、とんでもない、布団が、掛布団や毛布はあるかもしれないけど、敷布団がありませんし!」
「敷布団の心配までしてくれるんですか? でも要りませんて、寝ないから」
「そういうわけにいきません、おかしいおかしい、ちゃんと寝てください!」
焦る私を見ても、決定事項のように堂々としている。
なぜこの人は、時にこうして頑なになるのか。この強引さが人々の心を惹きつけるのか……って今はそんなことどうでもいいわ!
私と河上さんのコントのようなやり取りを呆れる様に見ていた楠木君が、ゆるりと立ち上がった。
「──では僕はそろそろ、時間も時間ですので帰ります」
「……え、帰る? 楠木君、帰るの?」
「はい、大丈夫そうなので」
いつの間に手配していたのか、迎えの車がもう、下に来ていると言う。
「それなら どうぞ一緒に河上さんも」
「僕はまだ帰りませんよ? どちらにしても社用車をパーキングに停めてますし、彼とは別の車ですから」
「……」
どうしよう、楠木君だけが帰ってしまう。
「……待って。ちょっと、待って」
「はい?」
廊下へ続くドアの前で、お互い歩みを止める。河上さんは部屋の中で、腕を組んで壁に寄りかかり、帰るつもりは更々ないらしい。
「か、帰る? 本当に帰るの?」
「はい。だめですか?」
「だめじゃないけど…………ちゅ、中華丼があるの。食べていかない?」
「中華丼? 今ですか?」
ほんとだよ、
何を言っているんだ、わたしは!
「夕飯、まだでしょう? 私が作ったやつだけど、すぐに出せるから」
「へえ、それは魅力的ですね。ですが、また今度にします」
そりゃそうだ、迎えが来ているのに。
「シーザーサラダもあるんだけど、白菜の」
「白菜をサラダで食べるんですか、なるほど、七渚さんの家庭料理は食べてみたいですが、でもそれも別の機会にご馳走になります」
「じゃあ野菜いらない? 実家から届いたのが沢山あって一人じゃ食べきれないの。白菜とか、味噌汁や鍋にも使えるし……」
帰ろうとする楠木君をしつこく引き留めて、どうするつもりか。
「七渚さん」
「ん、なに?」
「さっきより顔色が良くなりましたね」
「え……うん。楠木君、今日はありがとう。おかげ様でこうして無事に……」
「もう大丈夫ですよ。だけど今夜は、一人で居ない方がいいと僕も思います。透弥さんのことは適当に、道端の石ころとでも思って、さっさと寝てゆっくり休んで、また明日仕事で」
「道端の、石ころ……」 思えない!
ああ、なんてことだ。帰ろうとする後輩に絡む、うざい女の先輩をやってしまった。
だって楠木君はこんなにも、頼もしい青年だっただろうか。天然だし抜けているところはスコンと抜けていて突っ込みどころ満載だけど、今はとても大きく見えるんだもの。
後ろを振り返ると、壁に寄りかかったままの河上さんが、楠木君に向かってひらひらと手を振っている。
「あ、でももし気が変わったら、家に来てもらって構いませんよ。部屋はありますので、気兼ねなく」
「行きませんよ~沢北さんは。楠木君の家になんか」
「なんなんですか、透弥さんは、さっきから子どもみたいに。七渚さんのこと困らせないでくださいね?」
「全然大丈夫ですよ~」
「……」
誰なんだ、この人は一体……。
いつもの、職場の彼とは別人みたい。
〝ではおやすみなさい、ここで結構です〟と言われ、部屋の中から楠木君を見送った。
きっと、私が玄関に近づかないよう、気を遣ってくれたのだと思う。
楠木君の姿がなくなり、河上さんが玄関の鍵をガチャリと閉める。
部屋の中には私と河上さんだけ、
二人きりになった。
「あ、そういえば、沢北さんこそ夕飯食べていないんじゃないですか? こんな時間だけど、なにかデリバリーでも頼みます?」
「…………ありますよ、野菜ならたくさん」
あと一時間もしない内に日付けが変わる、そんな時間帯。
なぜか二人だけの、奇妙な夜が始まった。
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