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(……誰かの声がする――)
あまりの恥ずかしさで毛布にくるまったまま、どれくらい時間が経っただろう。身体の感覚が曖昧でよく分からない。
いつの間にか眠ってしまったのか、それともこれは夢なのだろうかとカナデはぼんやりと考える。
毛布越しに誰かが言い争っているような気配が伝わってくるが、何を言っているのかまでは聞き取れない。
けれど語気の強さだけははっきりわかった。
(この感じ……なんだか、知ってる)
頭の奥に響くような嫌な響き。怒鳴り声は昔から苦手だった。
いや、男爵家で暮らしていた頃は悪戯をして叱られることはあっても、理不尽に怒鳴られたり、まして大人同士の喧嘩なんて目にしたことはない。
なのに前にも同じような場面を体験したことがあった気がする。
(……前世?)
朧気な意識の中で、記憶の断片が滲み出す。
狭いアパートの一室で、「カナデ」を前に誰かが言い争っている風景。
両親とその親族、きょうだいまでもが幼い自分の前で掴みかからんばかりの言い争いをしている。
その内容は「カナデ」をどこのアルファに嫁がせれば一番利益になるかという、酷いものだ。
実の親が、家族が自分を「売りたくない」ではなく「どこへ売るのがいいか」で揉めている。
言い争いの声は、そんな記憶をより鮮明に呼び覚ましていく。
(聞きたくない……)
胸の奥が、つきりと痛む。カナデは無意識に頭を毛布の奥へと深く沈め、両手で耳を塞ぎ丸くなった。
これが現実なのか夢なのか、それさえどうでもよくて――ただ、もう聞きたくなかった。
***
ノックもなく扉が開き、ノクスが無言で部屋に入ってきた。彼はレオンハルトの側近であり、代々影としての仕事も任されてる男だ。
その後ろには彼の番である茶髪の青年、トアの姿がある。
二人とも、表情に強い緊張を浮かべていた。
毛布をすっぽり被ったままのカナデを見て、ノクスが声を上げる。
「触れるだけで済ませろ、口づけもするなと何度も言ったはずだが? 監視カメラの位置も教えた。お前なら、セックスのふりなど簡単だった筈だ」
レオンハルトは椅子に座ったまま淡々と返す。
「口づけもセックスもしていない。だが項は噛んだ。私の番なのだから、当然の行為だ」
「ふりだけして、噛むなと言ったことを忘れたのか!」
「忘れてはいない。だが、番としての印は必要だった」
ノクスがレオンハルトを睨みつける。
「おまえのやり方はいつも身勝手だ。番として買い取ることは承諾したが、まさかあの場で噛むとは。それに連れ帰ってすぐ性行為まで……」
「最後まではしていない」
「そういう問題じゃない!」
レオンハルトは答えず、まるでノクスの言い分がおかしいとでも言わんばかりに肩をすくめた。
影として常に冷静であることを求められるノクスが唸り、主のレオンハルトに掴みかかろうとする。
それを止めたのは、二人の遣り取りを黙って見ていたトアだった。
「お二人とも、静かにしてください」
彼は落ち着いた口調で、それでいてはっきりとした声で二人を制す。
「喧嘩をなさるなら、隣室へどうぞ。この部屋での言い争いはご遠慮ください」
「しかし……」
ノクスが反論しかけるが、トアは怯まず続けた。
「項を噛まれたばかりのオメガは、精神的に非常に不安定になります。大声で口論されては、不調が長引きます」
「……ああ、そうなのか。ではこの場は、君に任せるとしよう」
レオンハルトは短く答えると、視線をカナデの姿に向けた。
カナデが籠城する毛布は動かない。
「確かトアは、看護師の資格を持っていたな。カナデの世話も頼めるか?」
「畏まりました」
「レオンハルト、君には確認してもらわなくてはならない書類がまだある。その番を正式に娶りたいなら、仕事をしろ」
ノクスが扉を開け、先に出ていく。レオンハルトもそれに続く。
「全く、私の部下は容赦がない」
「申し訳ございません」
トアが小声で謝罪すると、レオンハルトは柔らかく笑ってみせる。
「面と向かって私を怒鳴ることができるのはノクスくらいだ」
安心させるようにトアの肩を軽く叩く。そして少しの沈黙の後、口を開く。
「カナデをよろしく頼む」
「はい」
扉が閉まる前、レオンハルトはちらりとベッドを見遣る。しかしカナデは息を潜めたままだ。小さくため息をつくと、レオンハルトは寝室を後にした。
あまりの恥ずかしさで毛布にくるまったまま、どれくらい時間が経っただろう。身体の感覚が曖昧でよく分からない。
いつの間にか眠ってしまったのか、それともこれは夢なのだろうかとカナデはぼんやりと考える。
毛布越しに誰かが言い争っているような気配が伝わってくるが、何を言っているのかまでは聞き取れない。
けれど語気の強さだけははっきりわかった。
(この感じ……なんだか、知ってる)
頭の奥に響くような嫌な響き。怒鳴り声は昔から苦手だった。
いや、男爵家で暮らしていた頃は悪戯をして叱られることはあっても、理不尽に怒鳴られたり、まして大人同士の喧嘩なんて目にしたことはない。
なのに前にも同じような場面を体験したことがあった気がする。
(……前世?)
朧気な意識の中で、記憶の断片が滲み出す。
狭いアパートの一室で、「カナデ」を前に誰かが言い争っている風景。
両親とその親族、きょうだいまでもが幼い自分の前で掴みかからんばかりの言い争いをしている。
その内容は「カナデ」をどこのアルファに嫁がせれば一番利益になるかという、酷いものだ。
実の親が、家族が自分を「売りたくない」ではなく「どこへ売るのがいいか」で揉めている。
言い争いの声は、そんな記憶をより鮮明に呼び覚ましていく。
(聞きたくない……)
胸の奥が、つきりと痛む。カナデは無意識に頭を毛布の奥へと深く沈め、両手で耳を塞ぎ丸くなった。
これが現実なのか夢なのか、それさえどうでもよくて――ただ、もう聞きたくなかった。
***
ノックもなく扉が開き、ノクスが無言で部屋に入ってきた。彼はレオンハルトの側近であり、代々影としての仕事も任されてる男だ。
その後ろには彼の番である茶髪の青年、トアの姿がある。
二人とも、表情に強い緊張を浮かべていた。
毛布をすっぽり被ったままのカナデを見て、ノクスが声を上げる。
「触れるだけで済ませろ、口づけもするなと何度も言ったはずだが? 監視カメラの位置も教えた。お前なら、セックスのふりなど簡単だった筈だ」
レオンハルトは椅子に座ったまま淡々と返す。
「口づけもセックスもしていない。だが項は噛んだ。私の番なのだから、当然の行為だ」
「ふりだけして、噛むなと言ったことを忘れたのか!」
「忘れてはいない。だが、番としての印は必要だった」
ノクスがレオンハルトを睨みつける。
「おまえのやり方はいつも身勝手だ。番として買い取ることは承諾したが、まさかあの場で噛むとは。それに連れ帰ってすぐ性行為まで……」
「最後まではしていない」
「そういう問題じゃない!」
レオンハルトは答えず、まるでノクスの言い分がおかしいとでも言わんばかりに肩をすくめた。
影として常に冷静であることを求められるノクスが唸り、主のレオンハルトに掴みかかろうとする。
それを止めたのは、二人の遣り取りを黙って見ていたトアだった。
「お二人とも、静かにしてください」
彼は落ち着いた口調で、それでいてはっきりとした声で二人を制す。
「喧嘩をなさるなら、隣室へどうぞ。この部屋での言い争いはご遠慮ください」
「しかし……」
ノクスが反論しかけるが、トアは怯まず続けた。
「項を噛まれたばかりのオメガは、精神的に非常に不安定になります。大声で口論されては、不調が長引きます」
「……ああ、そうなのか。ではこの場は、君に任せるとしよう」
レオンハルトは短く答えると、視線をカナデの姿に向けた。
カナデが籠城する毛布は動かない。
「確かトアは、看護師の資格を持っていたな。カナデの世話も頼めるか?」
「畏まりました」
「レオンハルト、君には確認してもらわなくてはならない書類がまだある。その番を正式に娶りたいなら、仕事をしろ」
ノクスが扉を開け、先に出ていく。レオンハルトもそれに続く。
「全く、私の部下は容赦がない」
「申し訳ございません」
トアが小声で謝罪すると、レオンハルトは柔らかく笑ってみせる。
「面と向かって私を怒鳴ることができるのはノクスくらいだ」
安心させるようにトアの肩を軽く叩く。そして少しの沈黙の後、口を開く。
「カナデをよろしく頼む」
「はい」
扉が閉まる前、レオンハルトはちらりとベッドを見遣る。しかしカナデは息を潜めたままだ。小さくため息をつくと、レオンハルトは寝室を後にした。
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