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第1章【咲き誇れ儚き命の灯火よ】
第17輪【一筋の希望にすがる者】
しおりを挟むまるで数年分の腐敗物を纏めたような〝悪臭〟は、最深部へと歩を進める度に強く色濃くなる。
入り口に立ってから現在に至るまで、幾度も耳へと刺さる〝奇怪な異音〟。
それは、食事の匂いを嗅ぎ付けた動物の様に、〝喜び〟〝踊り〟〝高鳴る〟――――植魔虫が表せる最大限の感情そのもの。
『アヒャヒャッ……キャッキャッキャッ……』
それは洞窟内に響く足音や、降りしきる雨音を全て掻き消す程だった。
(ここはいつ来ても、臭せぇし、うるせぇ。何より、それに耐えた俺を褒めて欲しいぜ……)
拾い物の〝花輪刀〟に、相当心が浮かれていた鬼灯の足取りは軽く、〝家畜〟を引く手は力強くなる。
野生の勘で怯える家畜達の足取りは鈍く、地面に転がる〝異物〟も相まって、進み具合は想定より遅い。
唯一、〝七星天道虫〟だけが、静かに腰袋に収まっていた。
洞窟内は不自然な程に濡れているため、本来ならば逃げ仰せる状況でさえ、一歩ずつ滑る様に引きずられていく家畜達。
救いを必死に懇願する鳴き声さえ、一切の同情なく耳を傾けない。
過去の辛い記憶と共に、救いを求めた自身がそうされたから。
誰が泣いても喚いても、ここまで心を〝鬼〟にしてきた――――今日と言う、この時のために……。
引き綱に血が滲もうとも、鬼灯は至って冷静な表情をしていた。
進むにつれて家畜達の抵抗力がより一層、強くなるのが右手を介して伝わる。
すると――――突然、何かを思い出したように立ち止まる鬼灯。
おもむろに後方へ振り返り、言葉を理解出来ないと思いつつも『もう少しで、お前達も楽になれるさ。こんな事を言うのも変だけど、喰われるだけマシだよ』
そう、憐れみの視線を家畜に送りながら言い捨て、気を取り直して再び前を向く。
腐敗臭を肺に溜め込むのも厭わず深呼吸をして、より一層力を込めて綱を引き絞る。
闇の中、何かを思い詰めた様な表情をする鬼灯を、気にかける者や励ます者はこの場にいない。
(俺とした事が、変に感傷的になっちまったな。家畜〟は、たんなる〝餌〟だ。それ以上もそれ以下もない)
『先へ急ごう。もう少しだ』と、気合いを入れた鬼灯は、余計な考えを止め再び歩みを進めた。
灯りのない洞窟内では全身に絡み付く様な闇が、無防備の鬼灯一行を呑み込み続け。
自ら伸ばした手元さえも見えない状況でさえ、速度を落とす事なく歩み続け。
先ほどの急な悪天候のせいか、濡れた体も相まって、身の毛もよだつような空気感が漂う。
目的地に行くなら無心でひたすらに前へと歩めば良い――――たったそれだけが、〝正常な思考〟さえ鈍らせていた。
(いつ来ても気味悪い所だな。まぁ、今日でこの地獄も終わる……まぁ、良しとするか)
奥へ進めど進めど〝深く暗い闇の中〟であり、視覚的な進行は分からずにいる。
生憎、松明や灯りとなる物は、いつも持ち合わせていない。
理由としては、一度決めた覚悟が揺らがないためや、そもそも用意するのが面倒だから……。
そんな〝戯言〟が一瞬で霞む程の、一番重要で肝心な意味がある。
――――見えない方がいい現実から逃れるためだ。
悪臭による〝嗅覚〟、奇音による〝聴覚〟の刺激等、大した障害にはならない。
脳にこびりつく程の悪夢を作るのは、いつだって〝視覚〟から入り込む。
時に、消してしまいたい〝記憶〟は心を蝕み、正常な人格さえも変えてしまう。
今の、鬼灯がそうだからだ――――
気の遠くなる様な時間と、気が狂うほどの空間を放つ洞窟を突き進んだ。
気づけばいつの間にか、辺りは不自然な程に無音となっていた。
まるで嵐の前の静けさが如く、落ち着いた雰囲気が恐怖を引き立てる様。
――――そしてついに〝最深部〟へと辿り着き、より深い闇を纏う木製扉が、目の前に立ちはだかる。
『やっと……着いたな。ここで終り、ここから始まる〝鬼灯様の物語〟ってな』
鬼灯一行が〝気力〟〝体力〟共に、限界まで磨り減っていても、ここからが本当の〝始発点〟。
第一の目的である〝森の魔物〟狩りを果たすために――――他人から奪ってでも花輪刀を携えてきた。
一際、禍々しい異彩を放つ木扉を、息を止めて力の限り押した。
材質が木製のせいか奇音と共に、開かれた扉から漏れ出る不可視の空気。
歩んだ道中の倍以上も不快感を与え、強烈な緊張感と重苦しい瘴気を漂わせていた。
露出した顔や手の甲には、まるで鋭い針に刺された様な感覚が常時襲う。
原因は同じ空間内に――――〝森の魔物〟が餌を待ちわびているに他ならない。
長時間の滞在で暗闇に目が慣れ始めている頃でさえ、対象の輪郭の影さえ見えない。
何れも、ここまで来た鬼灯に後戻りと言う最善の選択肢は最早存在しない。
入り口付近から常に、鬼気迫る圧力と精神負荷を掛られ事による死への強制誘導。
それは低級の植魔虫の常套手段であり、〝森の魔物〟はそれを得意としていた。
獲物を力任せの一撃で倒すのでもなく、罠を駆使した狡猾な物でもない。
腹が空けば一重にその場に居るだけで、飯の方から勝手に寄ってくる。
只そこに居座るだけで食事へとありつけ、労せず〝影〟から村を支配できる。
必要な時に家畜を喰らい力を蓄え、〝花の守り人〟に狩られる事なくここまで成長出来た。
そうした積み重ねで幾年も鬼灯は利用されていたのだ。
幾度となく耳に聞こえる咀嚼音だけが場を支配し、進めば最後……まさに一寸先は闇とでも言える状況だった。
もし、叶うならば――――今すぐにでも逃げ出したい。
この先、何が起ころうとも、後悔や振り返る事さえ出来ない。
だが、鬼灯の瞳には〝勝機〟の灯火が確かに宿っていた。
どんなに恨まれようとも、たとえ取り返しのつかない〝嘘〟をついても――――ある者は己の〝未来〟への扉を開けるために歩を進める。
植魔虫として生まれた理由、はち切れんばかりの〝欲望〟を呑み込むために――――ある者は、本能のまま〝人命〟を喰らい続ける。
狩る者と喰らう物……〝光と影〟〝表と裏〟――――そんな両者が満を持して対面する時がやって来た。
今ここに、互いに譲る事のない〝食欲〟と〝希望〟が激突する。
その腐った連鎖を断ち切るために鬼灯は、覚悟と共に意を決して行動に移す。
(今の俺は無敵だ。花輪刀があるから平気……絶対に大丈夫さ)
家畜に繋がる手綱を強く握りしめ、自身の手すら見えない暗闇の中で、そこ確かにいる存在に向かって叫ぶ。
『よぉ、〝薊馬〟久し振りだな。大好物の家畜持ってきたぞ!?』
明るい声色で自然かついつも通りの対応を行う――――案外、これが一番難しいと感じる鬼灯。
緊張による油断や綻びは、命をもっとも危険に晒す脅威でしかない。
そんな鬼灯の挨拶に対し、複数の声が混ざりあっている様な、人では発し得ない聞き苦しい音が返ってきた。
『あら、久し振りだわ。今日は1段と美味しそうな御馳走を連れているみたいね』
〝森の魔物〟もとい、薊馬から成る声は空間を反響し、まるで呪文の様に精神を……怯えた心を揺さぶっているようだ。
放心状態となっていた家畜達に恐怖が蘇ったのか、反響音に混じって悲鳴にも似た鳴き声を発する。
『『ビャービャーッ!!』』
それこそ口から血が滴る程、必死に命掛けで……。
姿をこの目で見ていないのにも関わらず、声を聞くだけでも全身が総毛立っていた。
鬼灯は震えを必死に止めている手綱を引く逆手を使い、壁掛けの〝松明〟に火を灯す。
粘液等で湿気っていたのが数本程あり、疎らに1本、また1本と灯りが増える度、闇が覆っていた空間を徐々に照らし始めた。
松明に宿る〝火〟独特の温かさは、鬼灯達に少しばかりの安心感を与える。
たが、それも一瞬の出来事でしかなかった――――
部屋全体が視認できる程に明るくなると、漸く姿を確認した頃には、偽りの仮面を被った表情が一気に曇る。
(しばらく見ねぇ間に随分デカく……。嫌、前とは比べのにならない程に禍々しくなった。これは、早々に始末しないと危険だな……)
数M程の天井付近までにも及ぶ巨体に加えて、だらしなく脱力した不規則に脈打つ多腕。
一度笑えば、醜く歪んだ顔と鋭利な歯から滴る肉片肉汁の数々――――
常識では考えられない於曾ましい姿に、人間としての本能――――
否、生きとし生ける全ての命に刻まれた〝恐怖〟のせいか、自然と体を震わせ思わず半歩程下がった。
深呼吸で荒ぶる鼓動を無理やり静めると、家畜達を引き連れた鬼灯は、強烈な異臭を放つ死骸や異物を踏み歩きながら、薊馬へと近づいていく。
『あなた達を待ちわびたわ。早く此方へ……』
木製の檻は見る限り力任せに握られて、多少細くはなっている箇所もあるが、最低限の拘束はしているようだった。
檻へと近付きつつ細心の注意を払いながら、
ゆっくりと慎重に歩を進める鬼灯。
薊馬に少しでも違和感や疑念を感じさせないためにも、必死に態勢を整え場を繋ごうとした。
『どうだ今回も上物だろ?食後の甘味も用意したから楽しみにしててくれ!!』
そう言うと笑顔になりながら手綱で引く〝牛〟や〝豚〟、手に持つ籠の〝鶏〟を見せる――――が、眼の奥は笑っていなかった。
長い舌や指先をいくつも出し、待ちきれない仕草が徐々に強くなっていく。
薊馬が手を伸ばしても、離れず近付き過ぎずの距離を保ちながら言った。
『あんまり近付き過ぎると、俺も危なそうだからここで勘弁してくれ』
『えぇ、そこでいいわ。あなたは髪の毛一つでも動いちゃダメよ?』
それは薊馬なりの〝いただきます〟の合図の如く、奇怪な多腕は高速で伸縮を始めた。
一歩にも満たない距離感の中で、次々と無作為に襲う触手。
鬼灯から奪い取る様に〝鶏〟が入った籠を乱暴に掴み、すり抜けながら〝牛〟や〝豚〟を軽々と持ち上げる。
命果てる断末魔の叫びさえも、満たすために行う食事の調味料でしかない。
叫び声は無惨にも遮断され、優しく包み込むように握りつぶす。
辺りに木霊するのは、骨が鳴り肉が断たれる音のみ。
あまりにも凄惨な光景に唖然とする鬼灯を尻目に、無数の鋭歯が連なる大口へと放り投げた。
噛む度に涎や血肉とも見て取れる雫が滴り、赤黒く淀んだ水溜まりを形成する。
あまりの美味しさのせいか地響きがする程、地を叩き檻を揺さぶり喜び躍る薊馬。
『アァァア!、生物は本当に最高ねぇ。鮮度が抜群で何より、〝壊しがいがある〟もの……!!』
正に欲望に忠実その物。
その光景を目の当たりにした鬼灯の中で、確固たる決意に一瞬の迷いが生じていた。
〝こんな奴に俺が……人間が勝てるのか〟と――――
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