翔田美琴のエリオットシリーズ

翔田美琴

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シルバーヘアーのメロディー

15話 愛のメロディー

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 今回のオーケストラ公演はイタリアの都市フィレンツェだった。
 イタリアのオーケストラ公演は、今回も無事、満員御礼で終わり、ついさっきイギリスに帰国してきたばかりだった。
 イタリアは主にアネットの方がよく公演に招かれていた。私はドイツが一番多い。今回はそのアネットが組んだオーケストラとの共演だった。彼らは、アネットが亡くなったことに悲しみを浮かべ、最初にリハーサルを開始する前に黙とうを捧げてくれた。
 私にはそれにただ感謝の気持ちを抱くことしかできなかった。
 そして、私は、その黙とうを捧げた彼らの足を引っ張らないように、ひたすらピアノに向かった。
 リハーサルを終えて、彼らは、さすがアネットの夫だと私を評価してくれた。
 彼女が生きていた頃に共演したことがある人達は、彼女がいつも私の話をしているという話をしてくれた。

「アネットさんの言う通りの方ですね。エリオットさんもピアノの腕は最高レベルの人だというのは間違いないです」
「プロのピアニストでもなかなか難しいという、あの”幻想即興曲”をたやすく弾きこなすとは、凄いな」
「この曲はアネットが好きなんですよ」
「ああ。彼女は難しい曲程、大好きだと良く呟いていたよ」
「それに、よくあなたのこともしゃべっていたね」
「不思議な銀色の髪の、世界で一番、きれいなピアニストだって言っていたよ」
「何だか照れますね」
「初めて見たよ。銀髪の男性」
「見た目以上に、不思議な魅力もあるね」
「どんな感じですかね?」
「君が思っている以上に、君には男としての魅力もあるよ?」
「再婚とか考えていないんですか?」
「今のところは」

 私はただ瞳を閉じて、こう応えるしかなかった。

「今、年頃の娘がいますし、それに娘だって新しい妻を受け入れるか不安です」
「だろうね。娘さんは何歳ですか?」
「今年で十三歳になりました。もう中学校に通っています」
「中学生か。確かにその年齢の子は今が丁度多感な時期だ。思春期真っ只中だからね」
「同じ子供を持つ人間として判るよ。その不安な気持ち」
「今のままでも、十分、私は幸せですから」

 そして、こう言い切る。

「私はアネットしか愛せません。娘しか、愛せませんから」
「アネットさんが羨ましいな。天国に行っても、君はアネットさんを愛しているんだね」
「そろそろ、リハーサルをもう一度しよう。皆、準備をしてくれ」

 指揮者の男性が声をかけ、オーケストラの面々はそれぞれまた配置についた。

(不思議な魅力か…)

 昔、アネットはよく私をそう褒めていた。
 あなたの銀色は他の人間では真似できない世界でただ一つのメロディーだ、と。
 世界でただ一つ……か。
 君は本当に、私しか見えていなかったんだね。アネット。
 私も同じだよ。今だに、君しか見えていない。
 もう、君が去って六年も経つのにな。
 私は、呼吸を整えて、またピアノへ向かった。
 こうして、一時間程のリハーサルが終わり、そして午後の六時からオーケストラ公演は始まる。
 今回の目玉はやはり”幻想即興曲”だった。ピアニストとしての実力が試される曲だ。
 この曲はもう両方の指を目まぐるしく動かし続ける感じだ。
 特に左手はオクターブと呼ばれる旋律を奏でるため、もはや神業ともいえる指遣いが必要になる。
 この曲の出来で今回のオーケストラ公演の評価が変わると言っても過言ではない。
 凄いプレッシャーを感じた。でも、アネットの為にも失敗するわけにもいかないだろう。
 なので、いつも以上に気を引き締めて取り組んだ。
 しかも、今回は半月もの公演だった。
 なかなか大変だったな。でも、毎日、満員御礼だったのは憶えている。
 この年齢くらいになってから、更に腕が上達したと評価を受けることが多くなったような気がする。
 ショパンが中心の今回のオーケストラ公演は、締めくくりが実は”ノクターン2番”だった。
 珍しい構成だ。まさかピアノの独奏でこのオーケストラ公演を閉めるとは思ってなかった。
 だが、シンプルなメロディー程、奏でるのは難しい。
 特にピアノの練習曲としてメジャーな”ノクターン2番”は、クラシックをろくに知らない人でも知っているくらい有名な曲。世界中のフィギュアスケートでも使われているし、最近そのフィギュアスケートの人気も凄い。その線でクラシックを聴きだす人間もいる。
 私は、私なりに一途な感情を込めて、その夜想曲を弾いた。

 その夜想曲を弾くと、ジェニファーのことを想う。
 あの子は今、どう思っているのだろうか?
 毎夜のごとき、淫乱な世界を、あの年齢で味わって、肉欲の奴隷になっていないだろうか?
 セックスのことしか考えられない、淫乱な女性になっていないだろうか…? と。

 もし、そうなっていたら、それは私の責任だ。

 そんな感情はもちろんオーケストラ公演では、出さなかったが。
 こんな淫乱な思いでこの夜想曲を弾くわけにはいかない。
 なので…私は、アネットのことを想って、弾いた…。
 アネットが最初に教えてくれた感慨深いこの曲。
 ただ…愛しているという想いで、天国の彼女に捧げた。
 最後の一小節を弾き終わりしばらく沈黙が流れた後、観客はスタンディングオベーションで、私の演奏を評価してくれた。
 それには、私も素直に笑顔になれたよ。
 最後は観客に深く礼をして、舞台から去った。
 それはピアニストとしての最高の瞬間だった。
 惜しみない観客の賛辞。そして、それを最高の演奏で届けることが出来れば、私は生きていていいのだと思える。
 公演の最終日は、特に観客も凄かった。しかも皆、かなりの耳の肥えた人間ばかりだと思う。
 最終日の最後の曲が、私の”ノクターン2番”というのもまたプレッシャーだった。
 ピアニストとして、弾きこなして当然。そこから、更に感情を入れなければならない。
 だから、いつもこの曲を弾く時は、アネットのことを想う。彼女が生きていた頃も、天国に行ってしまった後も、ずっと彼女を一途に想って、その夜想曲を弾く。
 いつしか私の”ノクターン2番”は、”愛のメロディー”と呼ばれるようになった。

 私もこれが一番好きだし、弾いていて心が溶ける感じがする。
 ずっと凍り付いた心が溶けていく感じ。
 昔の私は冷たい人間だった。いや、冷めた人間だった。
 理性の鎧で身を固めて、自分の利益だけを求めていた。
 だけど、アネットに出逢ってから、そういう自分に疑問を抱くようになった。
 彼女はそんな冷え切った私を、人間らしい温かい心の持ち主に変えてくれた。
 だから、今の私が存在する。彼女がいなかったら、ジェニファーもこの世にはいなかっただろう。
 だから…私は、彼女しか、愛せない。
 そして…彼女の命が宿った、ジェニファーしか愛せないのだ。
 そんな感情がこもっていたのか、いつも以上に、優しい夜想曲になったような気がした。
 そして、曲が静かに終わった。

 しばらく沈黙が流れた後、オーディエンスは、私に対してスタンディングオベーションで応えてくれた。惜しみない拍手、歓声、賛辞。
 そうやって約半月のイタリアのフィレンツェでのオーケストラ公演は、無事終了した。
 ホテルの部屋に帰って、一人になると、まずしたのが娘へのメールだった。

『ジェニファー。元気にしているか? パパの方は何とか無事にお仕事は終えたよ。今回も大成功だった。寂しくしていないか? きちんとピアノも練習しているか? そして、女性としてのトレーニングもしているか? もう少ししたら帰るからな。君に会えるのを楽しみにしている。おやすみ。ジェニファー』

 そうして、後はロンドン行の飛行機の予約を取って、ビジネスクラスの席でロンドンへ帰って、そして今はここにいる、という訳だ。

「あなたの”ノクターン2番”はいつも聴いていても、甘いメロディーね。ロマンチックな曲に聴こえるわ」
「あの曲はいつも、アネットのことを想って弾いているんです」
「君はいつもアネットと心を重ねているんだな。この曲で」
「パパ、あのねー。最近、クラスでね合唱コンクールの練習をしているんだよ?」
「合唱コンクールか。何の曲だい?」
「Hail Holy Queen(ヘイル・ホーリー・クイーン)だよ」
「へえ。結構有名な曲だな。聖歌か?」
「しかも、私がピアノ担当なんだ」
「やったじゃないか。ジェニファー。これまで練習してきた成果を存分に発揮しなさい」
「うん!」
「それでねー、クラスの先生が、パパに一回、来て欲しいんだって」
「お前の中学にか?」
「パパが世界的なピアニストだから、お稽古をつけて欲しいんだって」
「ピアノの稽古は出来るだろうけど、合唱は専門外だぞ?」
「でも、あの曲はパパも知っているんでしょ?」
「まあな。わかった。ここ数日は休むつもりだから、一回、稽古に行ってあげるよ」
「やった!クラスのみんなも見たがっていたんだ。パパの姿」
「本当か?」
「みんなも見たことがないんだって。銀色の髪の毛の人」
「あなたも大変ね。エリオット?」
「引っ張りだこだな。どこに行っても」
「でも、悪い気はしません。みんなが私のメロディーを聴きたいならばそれで」
「いい言葉だ」

 こうやって、娘の話を聴いていると、娘はまだ淫乱な世界には飲みこまれていないんだなと思える。
 娘は娘なりに、今の学生生活を楽しんでいるようだ。
 この子も将来は、きっと音楽に触れて生きていくに違いない。
 今夜のディナーは、そんな微笑ましいディナーだった。
 夜が更けて、私達は寝る時間になった。

「エリオット。君は今夜はジェニファーの隣の部屋で寝るといい」
「ここですか?」
「寝具は揃っているし、君も疲れただろう? この部屋はバスルームも近いから、ゆっくりお風呂に入ってもいいよ。二十四時間風呂だからいつでも入ることが出来るよ」
「お気遣いいただきありがとうございます」
「いいや。じゃあ、ゆっくり休んでくれ」

 スコットさんとアニーは二階のいつもの寝室に戻っていった。
 私の今夜の部屋は、バスルームにほど近い、ジェニファーの真向かいの部屋だった。
 きちんと寝具の用意はされている。客人用に用意されたゲストルームだった。

「ふー……」

 私はため息をついた。そして、ベッドに倒れて、背筋を伸ばして、天井を見る。
 何だか緊張の糸が切れた感じだな。
 しばらくして、私の部屋にあの子が来た。

「パパ…」

 薄い暗闇でわからないが、彼女は、私と一刻も早く触れ合いたいのだろう。
 ベッドから起き上がると、ベッドの横に置いてある電灯だけをつけた。
 オレンジ色の暖かな色の電灯が私達を照らす。
 私も微笑んで見せた。
 私達は黙って、お互いに抱きしめあった。
 ジェニファーはしなやかな身体を私の身体に預けてベッドに横になっている。

「ジェニファー。ここではまずい。パパの家に帰ったらにしような」
「そうだね。でも…」

 そこで彼女は、私の唇を奪った。
 まだ中学生なのに、とろけるくらいに甘い口づけ…。
 私は癖のように舌を絡めて、娘のキスに酔いしれる。
 激しく…もっと激しく…半月分のキスを交わす…。
 自然ときつく抱きしめ、まるで恋人同士がするように、ベッドに横になって、キスを交わす。
 私は、そのキスを味わいながら…こう思った……。

(頭が狂っているんだ。実の娘とのキスが、こんなに…こんなに…痺れるほど…甘いだなんて…)

 そう思って、こらえてきた涙を一つ、浮かべて…私の左の頬に一滴、流れた…。
 彼女のしなやかな身体を抱きしめて…。
 ジェニファーは呟いた。私の胸に顔をうずめて、泣くように…。

「私を一人にしないで。パパ…」

 彼女が私の胸に顔をうずめる。
 その彼女の背中に腕を絡めて、私は囁いた。

「一人にしないよ。ジェニファー…」

 一言、優しく囁いて、また私達はキスを交わす。
 さすがにここでは、淫らな性のレッスンはしなかったが、お互いに、もう深い口づけを交わす、立派な男女がそこにいた。
 ただ、お互いの身体の感触を求めて…抱きしめあった。
 ただ、オレンジ色の温かな電灯が、そんな私達を優しく照らしていた。

 翌朝。朝食をシンプソン夫妻と摂ってから、私達は我が家へ戻っていった。
 シンプソン夫妻は笑顔で私達を見送ってくれた。

「また、いつでもいらっしゃい?」
「ええ」
「君たちならいつでも歓迎だよ」
「ありがとうございます。スコットさん」
「ありがとう! スコットおじいちゃん、アニーおばあちゃん」
「ジェニファーもね」
「では」

 シンプソン夫妻の家に停めた、赤いミニクーパーに乗って、私達は我が家に帰る。
 今日は土曜日。でも娘の中学は今日は半日の授業があるし、合唱コンクールの練習があるという。
 私はそのまま、娘の通う中学に車を走らせた。
 ジェニファーも中学の制服を着ている。
 合唱コンクール…か。それも新しい刺激になるな。
 私の知識がどこまで通じるか未知数だが、やってみるか。
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