キミのせいで全部ドーナツ

落光ふたつ

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【全部一緒にドーナツ】

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「………」
「………」
 夜の道を、彼女と歩いている。
 今日は彼女の誕生日と言う事で食事に誘った帰り道。家まで送るためのこの道も、もう何度か通った事になる。
 こういう時の会話は基本、俺が何かを思いついては話しかけ、応えてもらうパターンなのだが、今は極限の緊張で下手な話題を投げられないでいた。

 俺は今日、プロポーズをするつもりでいる。

 初対面の時にも求婚してはいるが、当然その時は断られている。だがあれからもう半年。関係性も良好になっているし、そろそろ好機のはずなのだ。
 覚悟は決まっていた。
「お仕事は大丈夫そうですか?」
「あはいっ。転職したおかげで時間には余裕が出来ました」
「それは良かったです」
 なので今後は毎日食事に誘います、といつもなら一歩踏み込んだ発言へ繋げていられたのに、今ばかりはなぜか足を前に出せない。
 俺を気遣ってくれる微笑みに、どうしようもない気恥ずかしさを覚えてしまっていた。
 ……や、やっぱり好きだぁ。
 過去を振り返ってみると自分が恐く思える。なぜ初対面で求婚出来たのか。とは言えあの瞬間がなければ間違いなく今はなく、ナイスとしか言いようがないのだが。
 ……断られたらどうしよう。
 今ではそんな不安すら浮かべてしまっていた。ここまで親密になれたから故か、一度築いたものが壊れる事に対する恐れがある。
 しかし一度断られているのだから、ここで二の足を踏むのは滑稽だ。
 プロポーズの場所は考えてあった。
 ネットで情報収集をすれば、思い出の場所や自宅、夜景が綺麗な場所なんかが良いとの事で。
 思い出の場所と言われパッと思いついたのは、初めて会った終電の中か何度も一緒に行ったミスドくらいで、明らかに不釣り合いだろうと却下。自宅は同棲もしていないから当てはめにくいし消去法的に、夜景が綺麗な近くの展望台でと決めたのだった。
 そこへ行くには次の分かれ道を左に曲がらなければいけない。彼女の住むマンションは右だ。
 つまり俺から言い出さねば向かう事もない場所。サプライズ感も出したいから寄り道をしたいとも言っていなかった。
 緊張はまだ収まっていない。分かれ道まではあと50mぐらい。
 猶予があると見た俺は一度深呼吸をして、念のためにと指輪の確認をした。
 手提げ鞄の中の奥に、あからさまな箱が入っている。その姿だけでは安心しきれずに箱を開けて中身をチェックする。
 すると、

「ドッ!?」

 信じられないものが目に入り、俺は声を上げてしまっていた。
「どうしたんですか?」
「い、いやっ。ちょっとそのっ……な、なんでしょうねアハハ!」
「?」
 鞄を漁っていた事に気づかれ覗き込まれそうになったので慌てて背中に隠す。明らかに怪しまれていたが、どうにか誤魔化しを試みた。
「星がっ、今日はよく見えますねっ」
「……。そうですね」
 若干の間がありつつも彼女は乗ってくれる。これは行けるかと更に畳みかけた。
「星とか好きですかっ? 俺は子供の頃、結構天体観測とかもしてましてっ」
「全く詳しくはないですけど、綺麗だと思いますし見るのは好きですよ」
「かくいう俺もっ、星座のほとんど、見分けついていませんでしたけどね、ハハハ!」
 笑い飛ばして見せると、彼女は空を見上げて追及はしないでくれた。誤魔化し成功!
 華麗に疑念の目を潜り抜けた俺は、ほっと一息つく。
 とは言えどうするべきか。
 再度箱の中身を確認し、その変わり果てた姿に顔をひきつらせる。
 ドーナツだ。
 また例の幻覚が起こっているらしく、指輪であるはずのそれがドーナツに変貌してしまっている。これをそのまま渡せば、彼女の指が油まみれになってしまうだろう。そうなればプロポーズが台無し。
 などと頭を抱えている内に、分かれ道を通り過ぎてしまっていた。
「あっ……」
「どうしました?」
「……いや、何でもないです」
 通り過ぎたのに引き返すのは格好がつかない。人生最大の勝負所なのだから、出来る限り良い印象を保ちたいのに。
 どんどん追い詰められている気がする。そもそもドーナツに変わった指輪をどうにかしなければ……て待て。
 この幻覚は俺にしか見えないのだから、関係ないじゃないか。
 俺からはドーナツを薬指に通している気分でも、ちゃんと向こうからは宝石が輝いて見えているはず。と言う事は、せっかくのチャンスを逃してしまった事になる。
 今から引き返す? それより日を改める?
 しかし彼女の誕生日でもある今日に決めたい。他に記念日などもないし、次を待つとなれば来年だ。
 などと考えている間に、タイムアップが目の前に迫っていた。
 見慣れたマンションに到着し、そして彼女が告げる。
「もうここら辺で大丈夫ですよ?」
 その発言に一瞬固まりつつも、俺はロスタイムを求めにいった。
「……い、いえせっかくですし、玄関先まで送らせてくださいっ」
「……。まあいいですけど」
 強引な提案に彼女は頷いてくれて、時間稼ぎを成し遂げる。
 だがしかし、玄関先までついていってどうする気だ。プロポーズされたい場所の上位には自宅と言うのもあったし、彼女の部屋に入らせてもらってプロポーズするべきか。
 しかし今から急に入れさせてくれと言うのも相手を困らせてしまうだろうし……
 などと葛藤している内に、いつの間にか乗っていたエレベーターは彼女の部屋がある階へ。手前から三番目。そのドアの前に辿り着いてしまっていた。
 彼女がドアノブに手をかけた所で、俺はとっさに声を出す。
「あえっと……っ」
「どうかしましたか?」
 すぐ振り向いた彼女は玄関を開けるのを中断し、体ごとこちらに向いた。
「えぇー……その、なんかもうちょっと、話しませんか?」
「部屋に入ってですか?」
「いやっ、それは……迷惑ですよね?」
「まあ、招くならもう少し掃除が出来ている時が良いですね」
 あまり長く留まらせるのも申し訳ない。
 鞄の中身を見て、やはりまだ指輪がドーナツな事を再確認する。
 この幻覚は緊張だ。プロポーズするのだから当たり前だろう。
 それに前向きに考えてみればこの幻覚は、彼女と俺を繋いでくれたと言っても過言ではないのだ。ならばむしろ、背中を押されているとも捉える事が出来る。
 今しかないのだと。
 俺はそう自分に言い聞かせ、もう半ばやけに箱を取り出した。
「と、とととと突然なのですがッ!」
「……はい」
 彼女の瞳を正面から見つめる。すると途端に体が硬直するが、ここで引き下がる事はもう出来ない。
 俺は崩れ落ちるようにその場でひざまずき、震える手で箱を差し出した。
「初めて会った時は、つい気持ちが先走ってしまいましたっ」
 始まりを思い返して語る。
 あの瞬間の熱は、わざわざ掘り返さなくとも残っていた。
「ですがっ、これまで過ごした期間でっ、あの時の感情は間違いではなかったと確信しましたっ」
 繋いできた今の想いを伝える。
 目の前にいる彼女に認められたくて、俺は全身に力を込めた。
「ですので改めて!」
 そうして、箱を開ける。

「俺と、結婚してください……‼」

 人生最大の懇願。
 これ以上に望む相手はきっと今後現れる事はないだろう。だからこそ俺は、絶対に手に入れたくて必死になる。
 目は閉じず、相手の反応を窺った。
「………」
 黙ったままだ。
 何を考えているのか。色んな思考が頭の中を右往左往する、恐ろしく長い時間。
 それからしばらくして、彼女は目頭を揉んでから俺の瞳を見返した。
 その顔は珍しく顔が赤らんでいて、視線はすぐに逸らされる。
「これは、指輪、ですよね……?」
「は、はい……!」
 待ち望んでいた言葉じゃなくて心臓が縮むも、どうにか声は発する。
「………」
 果たして結果はどうなのか。しかし彼女はまたも口を閉じ、まじまじと指輪を観察し始めていて。
 その様子に、俺は先ほどの確認の意図を考察し問いかけた。
「……えっと、指輪、お気に召しませんでしたか?」
 一応それなりの物は用意した。最大限考え得る限り彼女の好みには近づけたはずだ。まあ今は、ドーナツにしか見えていないのだが。
 彼女は問いに対して、やはり顔を赤らめながら首を横に振る。
「いえ、そう言うわけじゃないです。ですがその……もしかして今、この指輪、ドーナツに見えていたりします?」
「ついに心を読めるように!?」
「そう言うわけじゃないんですが、その……」
 突然の思考当てに動揺を見せると否定され。
 そして彼女は赤い顔のまま、困ったように笑ったのだった。

「私も、同じように見えているみたいです」

「………………えぇと?」
 言っている意味を理解出来ずに疑問符を浮かべる。
 そのままポカンとしていると、彼女がしびれを切らしたように言った。
「あの、はめてくれないんですか?」
「は、はめてもいいんですか!?」
「ええまあ、断るつもりはありませんでしたし。それに……」
 俺は答えに驚きつつ、それに至った経緯も彼女は語ってくれた。
「同じ物が見られるなら、一緒にいるべきでしょう」
 そう言われて初めて、彼女にも指輪がドーナツに見えているのだと理解する。
 俺と、同じ物を見ているのだと。
 それは価値観の共有とも言えたのかもしれない。幻覚を共有するなんて変な話だが、きっと彼女も俺と一緒で緊張していて、更には好きな物も一緒になったのかもしれない。

 あるいは全部一緒に。

 とにもかくにも、俺は彼女の浮かべる微笑みで死んでいた。死にながら、どうにか指輪をはめていた。
 彼女は俺を殺した微笑みのまま、はめられた指輪を嬉しそうに眺めている。俺はそんな彼女を眺めて、口元がにやけている。
「というか、玄関先でプロポーズってどうなんです?」
「いやその……近くの展望台で、とか考えていたんですけど、タイミングを逃してしまって……」
「まあ別にどこでも良かったですよ。それにしても相変わらず、すぐ顔、というより言動に出ますよね」
「ば、バレてました?」
「良いと思いますよ、そう言うところ」
 そう笑う彼女の左薬指には、ドーナツがはめられていて。
 おかしな光景。
 なのにそれは、宝石よりも輝いて見え。
 彼女を、一際愛おしくさせた。


 色んなものがドーナツに見えるようになったのは、彼女に出会った時からだ。
 そして、彼女と過ごしていく中でその不可思議は増していって。
 この世界が好きな物で溢れてしまう。
 一緒に見る物が、全て好きになってしまう。
 全くこれでは。
 きみのせいで、全部ドーナツだ。
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