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第一章 突然の来訪者

第3話 豪放磊落な女

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 子爵が決死の覚悟で門をでたその頃、帝都の一室では数刻前の子爵と同じようにグーシュが床についていた。
 隣ではグーシュに腕枕されたミルシャが、寝息を立てていた。
 どうやら少し前までしていた運動と、グーシュがしていた星辰の話が眠気を誘ったようだ。

「そんなに星辰の話はつまらんか……こやつめ」

 そう言ってミルシャの頬を軽く摘む。
 出会った頃に比べて、鍛錬ですっかり筋肉質になってしまったミルシャだが、頬の柔らかさは七つの頃のままだった。

「剣の腕前だけいっちょ前に上手くなったが、勉強勉強と口煩いお主こそ、軍学やら夜伽はからっきしうまくならん……」

 グーシュリャリャポスティはこういう女だった。
 色を好み、好き勝手に動き、相手を区別せず、悩まなかった。
 思いついた事をすぐ話し、実行する。
 興味深いことには専門家並に詳しく、現場をよく見ていたため、現実に即した助言を遊び歩くついでにあちこちに行う。

 そのせいか、豪放磊落な人柄を好む現皇帝である父親や、改革派の官司や下級兵士には好かれた。

 だがその分、兄や縄張りを荒らされることを嫌う高官、伝統を重視する将軍達には嫌われていた。
 特に兄である皇位継承権第一のルイガリャリャカスティと、その取り巻きとは一触即発の事態になったことすらある。

 三年前。
 家臣も出席する朝礼の場で。
 ルイガが父から聞かれた問に答えた際、家臣前であるにもかかわらず、グーシュは間違いを指摘し、ルイガを完全にやり込めてしまった。
 当時二十歳のルイガを十五歳のグーシュがやり込めた。
 長男のルイガの面子が潰れたのは明らかだった。

 そしてその日の夕刻、騎士団に混じって鍛錬をしていたミルシャが大怪我をして、意識不明となった。

 組手の最中に投げられ、後頭部を強く打った。
 これだけ聞けば不運な事故にも見えたが、相手は近衛騎士団から選抜された皇太子護衛隊の一員だった。

 目撃した兵士が、あれは明らかにワザとだった、とグーシュに訴えたことで、グーシュに普段から懐いていた下級兵士を中心に騒ぎが大きくなった。
 あの苛烈なポスティ殿下がどう対応するか、いざとなれば駆けつけよう。
 そんな声さえ出た。

 しかしグーシュは何もしなかった。
 いきり立つ兵士たちを静め、ミルシャを投げた護衛隊の兵士に騒ぎになってすまないと逆に謝罪した。
 その上でルイガと父親に皇太子を侮辱した事、自らの日頃の行いが原因で単なる事故が騒動になったことを謝罪し、自ら謹慎を申し出た。

 謹慎を終えた頃、グーシュは今のようになった。
 性格や言動はあまり変わらなかったが、講義をサボり、好きな説話や本を読み漁り、街に繰り出しては遊び歩いた。

 これによって臣民からの親しみの声は変わらなかったが、助言や口出しがなくなったことで、官司や兵士からの支持は減少した。

 その後、ルイガは名実ともに皇太子としての地位を確立していった。
 グーシュは以前は調子に乗っていたが、今では遊び歩く放蕩皇族になった、という評価に落ち着いた。

 正直な所、グーシュとしてはあの時ルイガと、とことんやりあっても良かったのだ。

 兵を扇動してルイガの所に殴り込ませた上で、適当な檄文を飛ばして周辺諸侯や諸国に皇太子謀反の情報を流す。どうせ殆どの者は信じないだろうが、混乱とその対応で騎士団の動員が遅れればいい。

 あとはルイガの取り巻きをグーシュ派の兵士をまとめ上げて各個撃破していけば、皇太子の取り巻きの馬鹿どもの首は取れた。
 その後グーシュは謀反の罪に問われただろうが、口八丁で何とか出来た自信はある。
 そうすれば、兄も大人しくなった、だろう。

 だが、グーシュはあの時、気がついたのだ。
 自分だけなら何でも出来た。
 国が傾いても、貴族や将軍を殺しても、兵が、民が死んでもやろうと思ったことを実行できた。
 失敗しても死ぬだけだ。後のことは自分には関係ない、死ねば終わる、それだけだ。

 けれども、ミルシャはどうなる?

 その事が、頭を打って眠り続けるミルシャを見た時、グーシュに重くのしかかってきた。
 自分が死ねば、お付き騎士のミルシャはどうなるのか?
 謀反人のお付き騎士の先行きなど知れている。
 どんなに自分が弁舌にすぐれてても、死んだらミルシャを誰が庇うのか。

 ミルシャが死んだら自分はどうなるのか?
 七つの頃からずっと一緒に居た。
 この娘がいなくなったら、自分は何をすればいいのか?

 帝国をさらに大きく発展させ、大船団を作って、はるか海の彼方を旅する……そんな幼い頃からの夢も、隣に誰もいなければ色褪せてしまう。

 そう思ったグーシュは、堅物の兄やアホな官司や頑固な将軍とやり合うのを止めた。
 結局の所、それらを正すことなどミルシャの存在と比べるまでもない。

 それに思うところはあったが兄は優秀な男だ。
 父ほどでは無いにしろ、国を動かすのに不足するような男では無い。
 黙っていても帝国は安泰だ。
 海の彼方とは行かないが、のんびりとあれこれ探求するに不自由はしない。

 そう思ったグーシュは好きに生きる事にした。今までも好きに生きては来たが、皇族として国を正すのは兄に任せて、自分は誰とも争わずに好きなことをして行くことにしたのだ。ミルシャのために。

「書類の処理や新兵の訓練より、説話や星辰、海の事を考えたほうが楽しいからな」

そうしてグーシャはコツリ、とミルシャの額に自分の額をぶつけた。

「もう国政に首を突っ込むことはなかろう……」

だが数日後、そんなグーシュの考えはすっかり覆ってしまった。

子爵領からの早馬が届き、海向こうからの使者が来たことが帝都に知れ渡ったのだ。
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