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8 リンファとタイラン
しおりを挟む森は鬱蒼として暗かった。細い道を進んで行くが、薬草が生えている場所は見当たらない。
(もう少し奥なのかな……)
やがてほのかに明るい場所が見えてきた。そこを目指して道から外れ、リンファは歩いて行った。
そこは光がキラキラと輝きまるで絵のようだった。あんなに暗く鬱蒼とした森の中に、こんなに美しい場所があるなんて。たくさんの花が咲き乱れ、色彩にあふれていた。
(ここにだけ樹々の枝の間にポッカリと穴が開いていて、太陽の光が差し込んで暖かいのね。まるで天国のよう)
花の中に足を踏み入れた時、人が横たわっているのが、見えた。
「あっ……!」
その人もリンファに気づき、パッと身体を起こしてこちらを見た。
太陽の光に照らされた彼は銀色の美しい髪を後ろで束ねていた。切れ長の黒い瞳は凛々しくも涼しげで、薄い唇は軽く引き結ばれ理知的な弧を描いている。
一目で恋に落ちることなどあるのだろうか?
リンファは物語などを読むたびに疑問に思っていた。恋とは、相手の人となりをゆっくりと知って、その性格を丸ごと好きになっていくものではないのかと。例えばガクとフォンファのように。
だが、リンファは知ってしまった。雷に打たれたように落ちてしまう恋もあることを。一目見た瞬間から全身で相手を求めてしまう、そんな恋。
そしてまた、タイランも同じことを感じていた。薄い茶色の髪と翠の瞳を持つ、暗い森の中から急に現れた美しい少女。この少女が欲しい。そんな衝動にかられた。
タイランは立ち上がり、そっとリンファに近寄った。頬を赤らめ、彼を待つリンファ。
タイランはリンファの肩にかかる髪をそっと払う。そして口づけをしようとぎこちなく顔を寄せていった。
二人の唇が触れる寸前に、リンファは正気を取り戻した。明日後宮に入る身で、私は何てことをしているのかと。
リンファはタイランを押し退け、来た道を走り出す。
「待て……!」
タイランも追いかけ、走る。すぐに追い付き、リンファの腕を取って胸の中へと抱き締めた。
「なぜ逃げる? 私を……愛したのではないか?」
「お許しください、私はあなたを愛してはいけないのです」
「なぜだ?」
「私は、明日嫁ぐ身です。どうか、お許しを……」
切なげにタイランを見上げるリンファ。嫁ぐという言葉にタイランの力がふと抜けてしまう。その刹那、リンファはスルリと腕から抜け出して走り去った。タイランは追いかけては来ず、リンファは森を出て急いで外壁から町の中へと戻った。そして家路を急ぎながら、震える胸を懸命に抑えようとしていた。
(なんて……なんて素敵な方。後宮に入る身でなければ、あのままあの腕に抱かれていたかった……)
あの森へ行くべきではなかった。あの森は、きっと自分にとっては良くない場所なのだ。五年前には記憶をなくし、今回は心を奪われてしまった。後宮に入ればもうあの人に出会うことは二度とないだろう。空っぽの心を抱えて生きていくしかない。
(さっきまでの私は旦那様と奥様のために後宮へ行くことを誇りに思っていた。なのに今、それを逃げてしまいたい自分がいる……いけないわ。お二人の恩に報いることこそが私の務め)
リンファはいつの間にか両の頬を流れていた涙を拭い、ガクの店へと帰って行った。
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