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溶ける背徳
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しおりを挟む翌日。職員室の片隅で、あまねは一通の電話を受けた。
「篠宮先生、生徒の保護者の方からお電話です」
「あ、はい。ありがとうございます」
あまねは軽く頭を下げながら、受話器を手に取った。
面談明けの問い合わせか、あるいは進路についての補足だろうか──そんな事務的な想像をめぐらせながら、いつも通りの声で応じる。
「……お電話代わりました、篠宮です」
『こんにちは、篠宮先生』
受話器の向こうから聞こえた名前に、思わず目を瞬いた。瞬時に動揺が駆け巡り、機器を支える手がカタカタと震え始めた。
聞き間違いをするはずがなかった。だってこの声は、確かに──
『眞壁霧翔の兄です。突然すみません。……昨日の三者面談では、お時間をいただきありがとうございました』
あいさつの言葉に続いて、相手が名乗った瞬間、喉の奥がきゅっと詰まった。
あまねは震える声を何とか押し殺し、唇の端だけをほんのわずかに引き締める。教師としての“いつも通り”を、必死にまとった。
「い、いえ、とんでもありません」
口をついて出た声は、なんとか澄ました響きに整ったけれど、心臓は相変わらず早鐘を打ち続けていた。
『実は、弟のことで個別にご相談したいことがありまして』
「ご相談、ですか」
『ええ……実は昨晩、霧翔が急に進学をやめたいと言い出しまして』
「え!?そ、そんな……」
『僕が理由を聞いても言い合いになるばかりで、埒があかなくて。先生のことは信頼しているみたいなので、お力添えいただけませんか』
その言葉に、また違う動揺が走る。
今日の霧翔に、特に変わった様子はなかった。授業中もいつも通り静かで、問いかけにも淡々と応じていた。その姿からは進学をやめるなどと考えているようには見えなかった。
それなのに一体、あの子に何があったのだろうか──そんな心配が、ふと胸をよぎる。
『昨日の今日で申し訳ないんですが、早いうちにまた篠宮先生と一緒にお話をさせていただきたくて』
「もちろんです。眞壁さんのご都合がいい日にまた学校に来ていただければ……」
『ああ、実は……進学拒否の理由が僕たち家族の事情に関わることでして。霧翔も構えてしまうだろうし、学校だと詳しく話せそうにないんです。もしご迷惑でなければ、一度うちの方に来ていただけませんか?』
一拍遅れて、息を呑んだ。
保護者からの相談に応じるのは珍しいことではない。ただ“家に呼ばれる”というのは、教師としての経験の中でも稀だった。
「あの……」
言いよどんだあまねに、清澄の声がかぶさる。
『短い時間で構いません。ご迷惑なら、もちろん別の形でも』
正直、迷った。
けれど躊躇している場合ではなかった。保護者からの申し出を無下にできる立場ではないし──なにより生徒の未来を思えば、できるだけ早く話を聞くべきだと頭が働いた。
混乱する気持ちを押し込めるように、あまねは一度、静かに息を吸った。
「……分かりました。今日は部活もありませんし、放課後でよければ、お伺いします」
気づけば、口が先に答えていた。
──生徒のために、自分ができることは全力でやる。
そう心に言い聞かせるように、あまねは受話器を握る手に力を込めた。動揺に引きずられそうになる気持ちを、ぐっと引き締める。
『ありがとうございます。では、お待ちしています』
清澄は、そう感謝の言葉を残して電話を切った。
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