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溶ける背徳
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しおりを挟む不意に清澄がそう言って、あまねの視線をやわらかく受け止めるように微笑んだ。言葉だけを見れば、穏やかな兄のそれに違いなかったけれど、その笑みにはどこか温度差があった。
「……僕たち、今はこうして落ち着いた生活を送っていますけど、昔はまったく余裕がなかったんです」
自ら注いだ紅茶に口をつけながら、清澄はそう続けた。
「親を早くに失って、僕が大学のころには育ててくれた祖母も亡くなって。それからは弟を育てながらバイトと授業と、立ち上げた事業を軌道に乗せるのとで必死で……それこそ霧翔には、たくさん我慢をさせてきました」
「……」
話題が思わぬ方向へ逸れていくのを感じて、あまねの呼吸がわずかに浅くなる。
なぜ今、そんな話をするのだろう。
清澄は“弟の進路相談”という名目で自分を呼んだはずだ。もしかしてこの話が、霧翔の進学拒否につながる内容なのだろうか。
しかし、続く清澄の言葉はそれを簡単に否定した。
「それでも、弟は本当に素直ないい子に育ってくれました。今も、第一志望への進学を目指して毎日努力していますよ」
(……え…?)
言葉が、全くかみ合わない。
「で、でも……電話では…進学はやめたいと…言ってたって……」
そう聞き返した途端、清澄の表情が変わった。やわらかく見えるその微笑には、どこか楽しげな色が混じっていた。
それはまるで、何かおかしくて仕方がないとでも言うような笑い方だった。丁寧な言葉遣いの奥に、背筋が冷たくなるようなうっすらとした含みがある。
何を考えているか分からない──けれど、何かを“愉しんでいる”気配だけが確かに感じられた。
「……篠宮先生、さっき、“弟さんと二人で暮らしてるんですか”って聞きましたよね」
息をのんだ。これから続く言葉が、自分の予想から大きく外れていくような──そんな予感が、じわじわと胸を締めつけていく。
「本当はここ、自宅じゃないんです」
空気が、音もなく変わった。
あまねは、大きく目を見開いた。
「え?」
「会社の関係で、仕事用に借りてる部屋なんですよ。だから弟とは、こことは別の場所で暮らしてます」
さらりとした言い方だった。
けれどあまねの中で、さっきから芽を出しかけていた違和感が、静かに輪郭をもつ。
「……ど、うして……」
声に出した瞬間、自分の中でその意味にやっと気づいた。この呼び出しは弟のためでも、ただの家庭訪問でもない。
彼の言葉に図られてここに来たことを、このときようやく理解した。
「……相変わらず、チョロすぎない?」
清澄の低い声が、床に落ちた。
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