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4 決戦

198 幽霊のような私とケイレブ

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目を覚ますと、夕方だった。

今度は少し眠ってしまっただけだろう。
そう思いながら、体を起こす。
さっき起きた時よりも、体が動く。
きっと、ジョセフの命がつなぎとめられたことに安心したのか、それとも食事の効果か。両方かな。

私は窓辺に立つと宵闇の中輝き始めた月を眺めた。

「ジョセフ、ごめん」

あの夜の思いがよぎる。
失いたくはないけど、でも・・・
苦い罪悪感に押しつぶされそうだ。

私は部屋の外にそっと抜け出した。
騎士団長のお屋敷で守りが固いって話していたから、少し歩いても迷惑をかけることにはならないだろう。


お屋敷の庭を歩いていると、あちこちに兵士がいる。
皆私を見ると幽霊でも見たようにギョッとしていた。
確かに、白い寝巻きでふらふらと力が入らない状態で歩いている私はそう見えてもおかしくない。
気持ち的にも幽霊にでもなったような気分だ。

「聖・・・いや、ステラ嬢」

後ろから、静かに声をかけられる。この声はケイレブだ。

「どうかしましたか」
「いえ、特に何も。ただ、月の綺麗な夜なので少し歩きたくなって」
「そうですか」

ケイレブは静かにそばに立った。

「ではお供させていただいても?」

ケイレブから伝わってくる、私を心から心配している気持ちを知ってしまっては、断ることなんてできるわけない。

「はい、お願いします」
小さな声でそう答えるしかなかった。


しばらく、何も言わずにただ庭を歩き回っていた。
草と土の入り混じった匂いが心を癒す。
でも同時にジョセフと笑いあいながら剣の稽古をした日々も思い出される。
ジョセフを私の運命に巻き込んでしまった。
本当なら、何不自由ない人なのに。
きっと今頃普通の学生生活をおくっていたはずの人なのに。
私を守ろうとしたから、こんなことになってしまった。
私たちの未来はどうなっていくんだろうか。
ジョセフの未来は、夢は、どうなってしまうんだろうか。

悩みは尽きない。
月はとっくに高く昇ってしまった。
ケイレブはずっと黙ったまま歩き回る私を心配そうに見守っていたが、少し迷った後口を開いた。

「そんなに苦しんでいるのは、あいつの気持ちに応えられないからですか?」、と。

ハッと顔を上げると、そこには思いやりに満ちたケイレブの顔があった。

「知っていたんでしょ、あいつの気持ちは」
「・・・」
何も答えられない。

「人の心はままならないものなんですよ。まあ、でもそれだけ誰かを好きになれるなんて羨ましくもありますけどね」
言ってはいけないと思っていた私の心の壁が、この瞬間打ち砕かれた。
涙が溢れ出る。

「私・・・私さえいなければ・・・ジョセフがこんな目にあうこともなかったのに・・・本当に・・・本当に申し訳なくて・・・」
ボロボロと流れ出る涙に、もう隠すことはできなくなってしまった。
「私、ジョセフのことが大好きなんです。本当に大切なんです。でも・・・でも、友達なんです。私にとっては親友であり、兄のような存在で・・・ハル様とは・・・違うんです。だから、気がつかないふりをしてました。ずっと・・・ずっと・・・私がずるかったんです」
「ステラ嬢・・・」ジョセフが慰めようと声をかけるが、その声は私の泣き声にかき消されてしまった。

「私、ジョセフのために何もしてあげられないんです。本当はジョセフの気持ちに気がついてたのに。
でも、気がついちゃいけないと思ってたんです。だってジョセフは本当に大事な友達だから。ジョセフがそばにいないなんて考えたこともなかった。自分のことしか考えていない身勝手な私が聖女なんて、おこがましいですよね。正直今すぐ逃げ出したい。でも、そんな私の受けなければならない罰を代わりにジョセフが受けてしまったような気がしてならないんです・・・」
波が溢れて止まらない。

「ステラ嬢・・・」困ったようなケイレブの声。ああ、申し訳ない。この人にまで迷惑をかけてしまっている。本当に私って・・・
「あの・・・リーラにしているように慰めてもいいですか?」
そう言うと、ケイレブが私をそっと引き寄せ、頭を撫でた。
「あなたは十分よくやってますよ。あなたはまだ若い。間違うことだって当然たくさんあります。でも、ジョセフは・・・あいつはあなたが望むようにしてやりたいと思ってると思いますよ?」
ケイレブは私の瞳を覗き込んだ。
「あのね、ステラ嬢。人生って後戻りはできないんです。前に進むしかないんですよ。時に立ち止まって考えることがあるとしてもね。
その時に一番いいと思ったことしかできないし、一瞬一瞬の積み重ねなんですよ。でもジョセフは後悔してないですよ。それは断言できます。俺はあいつの心の友ですから」

「ーーーーー!!!!」言葉にならない。ただただ涙の海に溺れそうになる。

ケイレブの手が優しく私の髪を撫でた。
ゴツゴツとした剣だこのある硬い大きな手。
でも、羽のように優しい。
ぎこちなく私の頭を撫でるその手つきは、まるでとうさまのようだった。

「あなたはジョセフを選ぶことはできないでしょう?それは仕方ないです。もし今あなたが犠牲になってジョセフを選んだとしても誰も幸せにはなれません。全員が不幸になっちまいます。心の赴くままに進むしかないんですよ。
でもね。俺たち貴族が恋をできるなんて、贅沢なんですよ。できただけでも感謝すべきぐらい稀有なことなんです。結婚相手は政略で決めるもんですからね?」

ケイレブは優しく私の頭を撫で続けた。

「こんな風に聖女様を慰めたなんて、自慢できるかもしれませんね」

そう言って冗談めかしたケイレブの声は、果てしなく、優しかった。
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