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第百十三話 別れ
アウレリオの穏やかな寝息を聞きながら、リオははらはらと涙を流した。
この一瞬一瞬を胸に刻もう。
吐息のひとつひとつ。
まつ毛のちいさなふるえ。
規則的に上下する胸。
この部屋のにおい。
月明かりを照り返すシーツの鈍い光まで。
一睡もできないでいる間に、月は静かに去り、空がぼんやりと明るくなり始めた。
(お水を)
最近では、朝の水は新しく来た従僕見習の子どもの仕事になっていたが、今日はアウレリオ様にお水を汲んできたい。
寝巻のまま靴を履き、ひざ掛けを肩から羽織って部屋を出る。
この時期、幼いころは顔が痛くなるほどの寒さがつらかったものだ。
でも今日は・・・
寒さよりも、胸の痛さの方がつらかった。
水を汲んで部屋に戻ると、アウレリオはまだ眠っていた。
リオは水差しをベッドわきのサイドテーブルに静かに置き、身支度を始めた。
旅の支度はもうできている。
リオの持ち物はそう多くない。
昨夜もらったアウレリオの髪を丁寧に束ねてから小さな袋に入れ、首からかける。アウレリオの髪から、温かな魔力が出ているような気がして、心が温かくなった。うん、大丈夫。俺は耐えられる。
足音を殺してアウレリオの側に忍びよると、相変わらずアウレリオは穏やかな寝息を立てていた。
(ゆっくり眠ってくださいね)
最後に口づけを落としたかったが、起こしてしまいそうなのでやめておく。
代わりにもう一度アウレリオの顔をじっと見た。
(さよなら)
心の中で告げ、アウレリオを起こさないように静かに部屋を出た。
***********
アウレリオは、ドアが小さく閉まる音を聞いて目を覚ました。
「リオ?」
手を伸ばすと、冷たいシーツが手のひらにふれた。
(水でも汲みに行ったのか?)
サイドボードを見ると、水差しが置かれている。
もし水汲みに行くのなら、必ず水差しを持って行っているはずだ。それに、よく見ると、水差しの表面にはびっしりと水滴が結露していた。
(何だ、これは?)
なぜ、リオがいないのに、組み立ての水が枕元にあるんだ?
ふたりの関係が変わってから、リオは時々水を汲んできてもう一度ベッドに入ることも多かった。
「寒いから」と言い訳しながら、アウレリオに甘える姿がかわいくて・・・
だが、今日は・・・理屈が合わない。胸の奥がざらざらする。
のどの奥がぎゅっと詰まり、不安になる。
「リオ?」
立ち上がって、部屋の隅に行き、リオの持ち物を確認する。そこには、あるべきものが、何もなかった。
長持ちに几帳面にしまわれた、リオの数少ない荷物。
お仕着せが残っているだけで、普段着も下着の類も、一切合切がなくなっている。
まるで、もう戻らないと決めた人のように・・・
「リオ!」大声で名を呼んでも、応える人は誰もいない。
何かに追い立てられるように、アウレリオは裸足のまま駆け出した。
おかしい、絶対に、おかしい。リオの私物が一つもない。
あの馬鹿らしい砂糖菓子さえ・・・魔力がなくなってもずっと大切にしていた砂糖菓子さえ・・・
胸の奥を渦巻くこの不安は、なんだ?
不穏な予感に導かれ、玄関まで走ると、リオがちょうど王家の馬車に乗り込もうとするところだった。
「リオ!待て!どこに行く」
アウレリオがどなると、リオの肩がびくっと揺れた。
そのまま時が止まったように、長い時が流れた。
だが、本当は一秒にも足らない時間だったんだろう。
「アウレリオ様」
ふり返ったリオの顔には、感情のかけらさえも現れていなかった。
「おはようございます。もう少しお眠りになるかと・・・」
「お前、どこに行くつもりだ」
リオの社交辞令をアウレリオ強い声がさえぎった。
「ご挨拶も致しませんで・・・」
「降りろ」
「いえ・・・」
「馬車から降りろ!」
アウレリオがリオの腕を引くと、リオの身体はまるで根の弱い花のように、簡単にアウレリオの腕の中に倒れこんだ。
「何を・・・」
「おい、いい加減にしろ」横から、王家のお仕着せを着た偉そうな使用人が口を出した。「早朝に出発すると決まっていただろう。さっさと馬車に乗れ。もう伯爵家との話は済んでるんだ。お前みたいな使用人が口を出すことじゃない」
寝巻着に裸足のアウレリオを、まさか伯爵とは思わないがゆえの無礼だろう。
「お前は何の権利で」アウレリオがまなじりを上げると、リオがすかさず間に入った。「申し訳ございません。ほんの、少しだけ。かつての上司に別れを・・・」
「かつての上司・・・・?」
リオがアウレリオの腕に触れた。その顔は真剣そのものだった。
「どうか・・・穏便に・・・それがアウレリオ様と領地のためです」
「お前はいったい何を・・・?」
察しの良いアウレリオにしては、珍しいことだが、リオが何を言っているのか、理解できなかった。
「・・・この度、国王陛下から、ありがたくも従僕にならないかとお話をいただいたんです」
リオが言葉を選びながら、慎重に口を開く。
「何を言っている。お前は私のものだろう?」
「その・・・そうですね。いや、そうでした。私の代金は王様がお支払いくださるそうです。王家にたくさん請求なさったらいいでしょう。何もできない子どもを、侍従ができるぐらいまでに育て上げたんですから」
「何だそれは・・・そんなもの。金など・・・」
「それに!」リオは両手のこぶしを握り締めた。かすかに震える指先に絶対に気が付かれてはいけない。「たくさんお給金をいただけるそうです。当家の2倍・・・いえ10倍いただけると伺いました」
「金?たかがそれだけの理由なのか?嘘だ。給金が欲しいなら好きなだけ出してやろう。だが、お前が長年命がけで尽くしてくれた忠誠は、金によるものではないだろう」
アウレリオは真剣に言っている。お互いに、金銭だけで結ばれた関係ではなかったと、思ってくれているんだ。でも。
「アウレリオ様は、伯爵家の跡取りとして大切に育てられた方なので、貧しい者がほんのわずかな金額で動くことが理解できないのでしょう」リオは目をそらした。「それに、何年か勤めれば、王都で働く手形をいただけるそうです。そうなれば、僕は自由にどこにでも行くことができるようになります。誰の”モノ”でもなくなるってことです」
「リオ・・・」
「俺だって、自由に生きてみたい。もう、誰かのモノでいることなんて、まっぴらなんですよ!」
***********
お読みいただきまして、ありがとうございました。
ちょっと体調を崩してしまいまして、休載してしまいました。すみません。
(おなかを壊しました)
引き続きよろしくお願いします。
♡と広告もいつもありがとうございます!
この一瞬一瞬を胸に刻もう。
吐息のひとつひとつ。
まつ毛のちいさなふるえ。
規則的に上下する胸。
この部屋のにおい。
月明かりを照り返すシーツの鈍い光まで。
一睡もできないでいる間に、月は静かに去り、空がぼんやりと明るくなり始めた。
(お水を)
最近では、朝の水は新しく来た従僕見習の子どもの仕事になっていたが、今日はアウレリオ様にお水を汲んできたい。
寝巻のまま靴を履き、ひざ掛けを肩から羽織って部屋を出る。
この時期、幼いころは顔が痛くなるほどの寒さがつらかったものだ。
でも今日は・・・
寒さよりも、胸の痛さの方がつらかった。
水を汲んで部屋に戻ると、アウレリオはまだ眠っていた。
リオは水差しをベッドわきのサイドテーブルに静かに置き、身支度を始めた。
旅の支度はもうできている。
リオの持ち物はそう多くない。
昨夜もらったアウレリオの髪を丁寧に束ねてから小さな袋に入れ、首からかける。アウレリオの髪から、温かな魔力が出ているような気がして、心が温かくなった。うん、大丈夫。俺は耐えられる。
足音を殺してアウレリオの側に忍びよると、相変わらずアウレリオは穏やかな寝息を立てていた。
(ゆっくり眠ってくださいね)
最後に口づけを落としたかったが、起こしてしまいそうなのでやめておく。
代わりにもう一度アウレリオの顔をじっと見た。
(さよなら)
心の中で告げ、アウレリオを起こさないように静かに部屋を出た。
***********
アウレリオは、ドアが小さく閉まる音を聞いて目を覚ました。
「リオ?」
手を伸ばすと、冷たいシーツが手のひらにふれた。
(水でも汲みに行ったのか?)
サイドボードを見ると、水差しが置かれている。
もし水汲みに行くのなら、必ず水差しを持って行っているはずだ。それに、よく見ると、水差しの表面にはびっしりと水滴が結露していた。
(何だ、これは?)
なぜ、リオがいないのに、組み立ての水が枕元にあるんだ?
ふたりの関係が変わってから、リオは時々水を汲んできてもう一度ベッドに入ることも多かった。
「寒いから」と言い訳しながら、アウレリオに甘える姿がかわいくて・・・
だが、今日は・・・理屈が合わない。胸の奥がざらざらする。
のどの奥がぎゅっと詰まり、不安になる。
「リオ?」
立ち上がって、部屋の隅に行き、リオの持ち物を確認する。そこには、あるべきものが、何もなかった。
長持ちに几帳面にしまわれた、リオの数少ない荷物。
お仕着せが残っているだけで、普段着も下着の類も、一切合切がなくなっている。
まるで、もう戻らないと決めた人のように・・・
「リオ!」大声で名を呼んでも、応える人は誰もいない。
何かに追い立てられるように、アウレリオは裸足のまま駆け出した。
おかしい、絶対に、おかしい。リオの私物が一つもない。
あの馬鹿らしい砂糖菓子さえ・・・魔力がなくなってもずっと大切にしていた砂糖菓子さえ・・・
胸の奥を渦巻くこの不安は、なんだ?
不穏な予感に導かれ、玄関まで走ると、リオがちょうど王家の馬車に乗り込もうとするところだった。
「リオ!待て!どこに行く」
アウレリオがどなると、リオの肩がびくっと揺れた。
そのまま時が止まったように、長い時が流れた。
だが、本当は一秒にも足らない時間だったんだろう。
「アウレリオ様」
ふり返ったリオの顔には、感情のかけらさえも現れていなかった。
「おはようございます。もう少しお眠りになるかと・・・」
「お前、どこに行くつもりだ」
リオの社交辞令をアウレリオ強い声がさえぎった。
「ご挨拶も致しませんで・・・」
「降りろ」
「いえ・・・」
「馬車から降りろ!」
アウレリオがリオの腕を引くと、リオの身体はまるで根の弱い花のように、簡単にアウレリオの腕の中に倒れこんだ。
「何を・・・」
「おい、いい加減にしろ」横から、王家のお仕着せを着た偉そうな使用人が口を出した。「早朝に出発すると決まっていただろう。さっさと馬車に乗れ。もう伯爵家との話は済んでるんだ。お前みたいな使用人が口を出すことじゃない」
寝巻着に裸足のアウレリオを、まさか伯爵とは思わないがゆえの無礼だろう。
「お前は何の権利で」アウレリオがまなじりを上げると、リオがすかさず間に入った。「申し訳ございません。ほんの、少しだけ。かつての上司に別れを・・・」
「かつての上司・・・・?」
リオがアウレリオの腕に触れた。その顔は真剣そのものだった。
「どうか・・・穏便に・・・それがアウレリオ様と領地のためです」
「お前はいったい何を・・・?」
察しの良いアウレリオにしては、珍しいことだが、リオが何を言っているのか、理解できなかった。
「・・・この度、国王陛下から、ありがたくも従僕にならないかとお話をいただいたんです」
リオが言葉を選びながら、慎重に口を開く。
「何を言っている。お前は私のものだろう?」
「その・・・そうですね。いや、そうでした。私の代金は王様がお支払いくださるそうです。王家にたくさん請求なさったらいいでしょう。何もできない子どもを、侍従ができるぐらいまでに育て上げたんですから」
「何だそれは・・・そんなもの。金など・・・」
「それに!」リオは両手のこぶしを握り締めた。かすかに震える指先に絶対に気が付かれてはいけない。「たくさんお給金をいただけるそうです。当家の2倍・・・いえ10倍いただけると伺いました」
「金?たかがそれだけの理由なのか?嘘だ。給金が欲しいなら好きなだけ出してやろう。だが、お前が長年命がけで尽くしてくれた忠誠は、金によるものではないだろう」
アウレリオは真剣に言っている。お互いに、金銭だけで結ばれた関係ではなかったと、思ってくれているんだ。でも。
「アウレリオ様は、伯爵家の跡取りとして大切に育てられた方なので、貧しい者がほんのわずかな金額で動くことが理解できないのでしょう」リオは目をそらした。「それに、何年か勤めれば、王都で働く手形をいただけるそうです。そうなれば、僕は自由にどこにでも行くことができるようになります。誰の”モノ”でもなくなるってことです」
「リオ・・・」
「俺だって、自由に生きてみたい。もう、誰かのモノでいることなんて、まっぴらなんですよ!」
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ちょっと体調を崩してしまいまして、休載してしまいました。すみません。
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