5月の雨の、その先に

藍音

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第十一話 ご褒美

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(どうしよう、どうしよう・・・)

目の前がぐらりと傾き、あやうく椅子から転がり落ちそうになる。
椅子の背にしがみつき、割れたガラスの中に尻餅をつかずにすんだ。

(どうしよう、どうしよう・・・)

頭の中はぐるぐると言葉が回るばかり。チュチュッと鳴きながら、厨房の角に隠れるネズミの黒い尻尾が目に入る。
同時に”コケコッコー”と勢いよく雄鶏の声が響いた。

(まずい!)

何番鶏かすらわからない。
窓の外からは、強い日差しが入り始めていた。

(若様がお目覚めになる前にお水を用意しないと)

後で叱られるだろう。ムチで打たれるに違いない。もしかしたらもっと厳しい罰かも。
でも、とにかく行くしかない。

リオは手近にあるカップを2つ手に取り、素早く洗ってリネンできれいに拭くと、なみなみと水が入った水差をもってアウレリオの部屋まで走った。
そっと部屋に入ると、アウレリオはベッドの上に身体を起こしている。

「す、すみませんでした!あの、汲みたての水です!」

水差を差し出し、はっとする。

「あ、あ、あの、いま、いますぐ」

慌てて持ってきたカップのうち小さい方に水を注ぎ、ごくごくと飲み干す。
侍従に必ずそうするようにと、厳しく指示されていたからだ。

「の、の、のみました・・・」ぜいぜいと息を切らすリオを、アウレリオは無言で見つめていた。「あの・・・どうぞ」

リオは大きいマグカップになみなみと注いだ水を、両手でアウレリオに差し出した。

「これは・・・」

アウレリオは目の前に差し出されたマグカップをじっと見つめた。
茶色の不格好なやきものは、貴族が使用するものとはほど遠い。使用人用のマグカップではないのか?
なぜ、このカップを・・・

「はっ!」

アウレリオが吹き出し、げらげらと笑い出した。

「くく・・・たしかに、使用人用のマグとは思いもよらないな・・・私用のグラスを教えてもらわなかったのか」
「あの・・・背が届かなかったので・・・お、お許しください!。おれ、手が届かなくて・・・それで壊してしまいました!」
「壊した?あのグラスを?・・・ははは、それはいい。なぜもっと早くそうしなかったのだ。誰もそれに思い至らなかったとは驚きだな」

アウレリオはおかしくてたまらないというように、腹を抱えて笑っている。
なぜ、この方はこんなに笑い転げているんだろう。なにがおかしくて?

「なぜ誰もその手に気が付かなかったんだ!ははは」
「え、あ、あの・・・」

アウレリオはマグになみなみと注がれた水をごくごくと飲み干し、マグカップを返した。
リオはマグカップを両手で受け取り、アウレリオを目を丸くして見つめた。

「あ、あの、罰はあとから・・・」
「久しぶりにうまい水を飲んだ。よし、褒美を取らせよう。何がほしい」
「え?だっていつもと同じ井戸の・・・むしろ罰を・・・」
「お前に罰を与えるものがいたら、私がその者に罰を与えよう。さあ、何がほしい?」
「俺は別になにも・・・寝床もいただいて、食事に服まで・・・」
「気が変わらぬうちに言ってみろ。黄金か」

アウレリオの目は面白そうに輝いている。どうせムチで打たれるのなら、試しに言ってみてもいいのかもしれない。

「あの・・・では、一つお願いしてもいいでしょうか」
「なんでも言ってみろ」
「け、けえき、というものを一度でいいから食べてみたいです」
「ケーキ?そんなものでいいのか。欲がないんだな」
「いえ、そんな・・・俺、本当に申し訳なくて・・・」
「よい」

アウレリオはひとしきり笑ったあと、ベッドから降り、伸びをした。

(何も知らないくせに、面白い子どもだ)

くつくつと笑い続けていると、洗顔のために湯を運んできた侍従が驚いて二人を交互に見回した。
主人が笑った顔を見たのは、はじめてだった。


**********************

身支度を整えたあとは侍従による軽食の給仕が始まる。
運び込まれたワゴンの片側に板を渡し、白いクロスが引かれ、朝食がきれいに並べられた。
まるで魔法みたいだ。

銀器に高く盛られたぶどう、湯気のたつ白いパン。食欲をそそるバターの香りに色鮮やかなコンフィチュール。
何種類ものおいしそうなチーズ。
食器もすべて銀でできていて、陽射しをやわらかく照り返している。

侍従は香り高い紅茶を薄い陶器製のカップに注ぎ、匂いをかぎ、一口のんだ。

「ん・・・リオ。お前もいただきなさい」

(え?どうして?若様より先にいただくなんて・・・なんで?)

とは思ったものの、アウレリオは特に反応せず、いつもの無表情に戻っている。
無言で渡されたカップの紅茶を口に含むと、さわやかな香りが口の中に広がった。

「どうだ」
「とっても、おいしいです!」

侍従は片眉をあげ、「そうか」と一言つぶやき、アウレリオの前に置かれたカップに紅茶を注ぎ入れた。

「本日は、どちらを」

アウレリオが丸いパンを指差すと、侍従はそのパンを銀のさらに乗せ、すべての面が銀器に触れるよう、ゆっくりと転がした。

(何やってるのかな?)

さっきからおかしなことばかりしてるけど、せっかく温かいパンが冷めちゃうんじゃないかな。

侍従はポケットからナイフを取り出し、パンを半分に切った。
そして、片方を手に取り、匂いをかぎ、舌先でなめ、一口かじった。

(なんで?若様が食べるって指さしたのに?)

目を丸くして侍従の動きを見つめていると、侍従がリオに視線を留めた。

「リオ、お前もいただきなさい」

ぽかんと口をあけると、その中にパンを放り込まれた。
びっくりするほど、香ばしくて、ふわふわで・・・ほっぺたが落ちちゃいそう・・・
ふにゃっとほほがゆるみ、両手で頬が落ちないように押さえつける。

「ふむ」

アウレリオが、白いパンに手を伸ばし、また銀皿に転がしてからパンを口に含んだ。

「どうだ」リオに視線を送ると、リオは「信じられないほど、おいひかったです!」と口をモグモグさせながら答えた。
「ぷっ」

思わず吹き出したアウレリオをみて、侍従は天地がひっくり返ったのかと思うほど驚いた。

(一日に二回も奇跡が!)


**********************

「おい小僧。アウレリオ様からのご褒美だぞ」

その日の夕方、料理人がリオにケーキを届けてくれた。
ドライフルーツとくるみの入った硬いケーキに、しっとりとしたバタークリームがふんだんに飾られている。
てっぺんには朝アウレリオの食卓に上っていたようなぶどうも飾られていた。

「うわあ・・・すごい。こんなすごいケーキ、見たことない・・・」
「そうだろう、そうだろう。俺様のケーキは天下一品だからな」

太った料理人はうれしそうに笑った。

「全部食べていいんだぞ。アウレリオ様からは、たっぷり食わせてやれと命令されてるからな。あんなに機嫌の良いアウレリオ様ははじめてみたと、侍従が驚いてたよ」

リオはクリームを指ですくい口に含んだ。

「うわ・・・うわ・・・」

美味しすぎる。なんだか夢みたいだ。こんなに美味しいものばかりいただいて、俺、本当にいいのかな。
それに、なんで・・・褒めていただいたんだろ?
いくら考えても、一体何を褒められたのか、小さなリオにはわからなかった。



**********************

(作者コメント)
うかうかしていたら、一番読んでほしいところまで11月中に終わらないことが判明しました!スピードアップ、がんばります。
で、本日は短いもう一話が続きます。初の2話公開です♡
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