5月の雨の、その先に

藍音

文字の大きさ
61 / 152

第五十六話 溺れそう

しおりを挟む
「お、俺が?本気ですか」
「ああ!この上もなく本気だよ」

ラファエルはふんわりと微笑んだ。その笑顔には悪意などみじんもない。
別れてから長い月日がたち、リオよりも小さかった少年は、すっかり背が伸び別人のようにたくましくなった。
でも、絵を語るときの何かを夢見るような瞳は相変わらずだった。本当に、絵が好きなんだ。

「俺なんかがモデルなんて、おこがましいですが、もし少しでもお役に立てるのならば、よろこんで」
「リオ!」

ラファエルははじけるように笑った。大股で一歩歩み寄り、リオをすっぽりと抱きしめる。いつの間にこんなに大きくなられたんだ!

「リオ、ありがとう。ありがとう」
「い、いえ、そんな。そんなに感謝されるほどのことでは」
強い力で抱きしめられ、息が苦しい。
「リオ!」ラファエルがさらにぎゅっとリオを抱きしめ、リオが空気を求めて息を吸うと、アウレリオとは違う体臭がツンと鼻の奥をくすぐった。とたんに居心地がわるくなる。
「あ、あの、すみませんが、放して・・・」
ちょっと、この親密さはまずい。もし、アウレリオ様にバレたら・・・
胸が不穏な音を立て、リオはあわててラファエルの胸を押し返した。

「あっ!」ラファエルは後ろに飛びのいた。「す、すまない。ついうれしくて。その・・・気を悪くしたのではないか?」
「い、いえ、そんなことは」
伯爵家の一員が一介の使用人であるリオのことを気遣うなど、あり得ない。
でも、ラファエルだけはちがう。そういう優しさがあるから、役に立てるのならなんでも協力したくなってしまうのだ。
でも、アウレリオの気分を害するのも嫌だ。

リオは困りきって自分のつま先を見つめた。
「あ、あの。アウレリオ様は・・・過度の接触はあまり良く思われないのではないかと」

ラファエルの肩がぴくっと小さく動いた。

「そ、そうだよな。清廉せいれんな方だから。困らせてしまってすまない。今後気をつける」
「はい・・・いいえ」

リオはなんと答えたらいいのかわからず、また言葉につまってしまった。

*******************

とりあえず、侍従長に許しを得ないと。
毎日の正餐のあと、使用人たちにはわずかな休憩時間が与えられる。
遠慮がちに侍従長の部屋の扉をノックすると、低い声に入室をうながされた。

「ラファエル様から時々絵の手伝いに来てくれないかと頼まれたのですが」

勇気を出して申し出ると、侍従長はリオを見つめ、無言のまま立ち上がり、窓の外を見つめた。

(聞いていらっしゃるのか?なんだか上の空みたいだけど)

見つめているのに、なにか他のものを見ているような、上の空の様子にリオは首をかしげた。

「あの?」
侍従長は振り返り、椅子を指さした。
めずらしい。座るように指示されるなんて。いつも人手不足で忙しいアウレリオ付きが座って話をする機会など、これまであったろうか。
侍従長はにこりともせず、眉間には深いシワが刻まれている。
引き結んだ口元を見るに、どうもいい話ではないらしい。
侍従長はしばらく無言のままリオの顔を見つめていたが、大きく息をはき、重い口を開いた。

「お前に奥方様よりご命令だ」
「奥方様から?」リオはアウレリオの個人的な使用人なので、いくら伯爵夫人とはいえ、奥方様から命令を受けたことはない。とはいえ、奥方様は伯爵に次ぐ地位にある方なので、命じられれば逆らえるはずもない。
「そうだ」侍従長は重々しくうなずいた。
「アウレリオ様の婚約者のお嬢様が、この屋敷に花嫁修業のためにいらしているのは知っているな」

衝撃にドンと胸をつかれ、一瞬声がでない。「はい」絞り出した声は自分のものとも思えなかった。
座っていてよかった。もし立っていたら、膝から崩れ落ちてしまったかもしれない。

「こちらにいらしてから数ヶ月経つ。定期的にお茶の席を設けてはいるが、お二人のご様子は他人行儀なままで、奥方様が心配されている。アウレリオ様は美しいお方だが、伯爵家のご嫡男とはいえ、武人だ。それに、お付きの者たちときたら・・・辺境は屈強な男たちばかりで、お嬢様のようなか弱い方からしたら恐ろしいのだろう、と奥方様はお考えだ」
「はい」それはそうだろう。そもそも辺境には女性は少ないし、アウレリオの身辺を警護する騎士たちは、筋肉の塊のような男が多い。
「そこで、お前の出番だ」
「俺?・・・いや、私が?」
リオがぽかんとして侍従長を見返すと、侍従長は気まずそうに咳払いをした。

「お前は、武人たちに比べれば、女性を怖がらせない容貌をしている。女たちもお前に気に入られようと媚を売っているそうだが、相手にもしないと聞いている。そういう女性に対してストイックなところもいい」
「いったい・・・」この話はどこに向かうのか。女たちに媚を売られたことなど・・・記憶にない。

「あー、それでだ。お前はお嬢様とアウレリオ様のお茶会の手伝いに入ったことはあるのか?」
「・・・ありません」

まぬけなのか、それとも恋にほうけていた馬鹿者なのか。
アウレリオ様が定期的にお嬢様とお茶会をなさっていたことすら知らなかった。

お嬢様がアウレリオ様との結婚準備のために伯爵家に来ると聞いていたのに。
自分の恋心にかまけて、すっかり忘れていた。俺は邪魔者じゃないか。
侍従長は俺の首を切ろうとしているってことか。リオはうつむいた。

そんなリオの姿を見て、侍従長はため息をついた。
かわいそうに。アウレリオ様も早く現実を教えてやればよかったのに。エミリアとのお茶会がある日には、必ず遠くに行かせる用事をリオに言いつけていた。気づかれないように、周りに口止めをしていたのも知っている。

「今日から、お嬢様付きとしてお仕えするように」

侍従長は淡々と伝え、その声は妙に冷たく聞こえた。

「えっ?でも、アウレリオ様のお毒見は」
「その役目は本来もっと幼い者の仕事だろう。そろそろ入れ替えねばと考えていたところだ」
リオは目を大きく見開いた。大きな瞳が衝撃に揺れ、侍従長は思わず目をそらした。
だから、主人に本気になるなど、もってのほかだというのに・・・

「ご命令は絶対だ。奥方様のご命令の意味は分かるな?」

リオの目がさらに大きく見開かれた。
ご命令の意味?・・・まさか、アウレリオ様との関係がバレた?

かんちがい、してた。
こんなに、もろいんだ。
アウレリオの膝の上に乗せられ、「恋人だ」などと甘い言葉を言われたのが、もう100年以上も昔に思える。
終わりがあるなんて、考えたこともなかった。こんなに簡単に引き離されてしまうのに。

指先が震えていた。

あのとき、怖がらずにもっと正直になればよかった。
もっとそばにいられる時間を大切にするべきだったのに。


「アウレリオ様とお嬢様が仲睦まじい御夫婦になれるように、お前が協力しろ、ということだ」

リオは目を上げ、機械的にうなずいた。

「政略結婚であろうと、せめて友人程度の親しみはないと、ご結婚後に難しいものだ。お前の奉公はアウレリオ様のためだ。分かるな」

再び首を縦にふると、侍従長がもう用は済んだと手を振った。

「・・・アウレリオ様にご挨拶は」
「不要だ。従僕の一人ぐらいいなくてもお気づきにならないだろう」
「・・・はい」

頭がぼうっとして、何も考えられない。
何も感じない。

だけど、胸の奥が真っ暗で、とても痛い。
まるで、穴が空いたような。そこから水がじわじわと入り込み、いま、喉の奥まで上がってきた。

溺れそう。溺れそうだ。



**********

本日もお読みいただきましてありがとうございました。
ハートを投げてくださった方、広告を回してくださった方、ありがとうございます。
励みになります。

天気が乱れているようですね。とにかく温かくして体を冷やさないようにしてくださいね。
私は昨日から、着るこたつにすっぽりとはまって書いています。
これは冷え性の私にはぴったりです。ただ、動きが鈍くなるのだけが欠点ですが( ´∀` )

それでは、また明日もよろしくお願いします。










しおりを挟む
感想 37

あなたにおすすめの小説

もう一度、その腕に

結衣可
BL
もう一度、その腕に

虚ろな檻と翡翠の魔石

篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」 不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。 待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。 しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。 「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」 記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。

ヒーロー組織のサポートメンバーになりました!

はちのす
BL
朝起きたら、街はゾンビだらけ!生き残りたい俺は、敵に立ち向かうヒーロー組織<ビジランテ>に出逢った。 ******** 癖の強いヒーロー達の"心と胃の拠り所"になるストーリー! ※ちょっとイチャつきます。

神子は二度、姿を現す

江多之折(エタノール)
BL
1/7外伝含め完結 ファンタジー世界で成人し、就職しに王城を訪れたところ異世界に転移した少年が転移先の世界で神子となり、壮絶な日々の末、自ら命を絶った前世を思い出した主人公。 死んでも戻りたかった元の世界には戻ることなく異世界で生まれ変わっていた事に絶望したが 神子が亡くなった後に取り残された王子の苦しみを知り、向き合う事を決めた。 戻れなかった事を恨み、死んだことを後悔し、傷付いた王子を助けたいと願う少年の葛藤。 王子様×元神子が転生した侍従の過去の苦しみに向き合い、悩みながら乗り越えるための物語。 ※小説家になろうに掲載していた作品を改修して投稿しています。 描写はキスまでの全年齢BL

辺境伯は嵌められた元令息から目が離せない

コムギ
BL
冤罪により、辺境の地へ追いやられた元侯爵令息ユベール。 だが彼は、あまりのことに気を病んで――はいなかった。 野山を駆け回り、虫を捕まえ、草花をスケッチし、のんびり釣りをする。 それはすべて、侯爵家の令息として縛られていた頃には許されなかった自由だった。 そんな生活から一年。 冤罪を証明できそうだと、幼なじみの王太子から報せが届く。 ――王都へ戻れる。 それは同時に、あの窮屈で冷たい場所へ戻るということでもあった。 迷うユベールの前に現れたのは、これまで静かに見守るだけだった辺境伯ラドヴァン。 「ならば、ずっとここにいろ」 「俺と婚約すればいい」 不器用に、しかし真っ直ぐに差し伸べられた手。 優しく(時に暑苦しく)包囲してくる辺境伯と、元侯爵令息の恋物語。 ※他サイトにも掲載しています。

秘匿された第十王子は悪態をつく

なこ
BL
ユーリアス帝国には十人の王子が存在する。 第一、第二、第三と王子が産まれるたびに国は湧いたが、第五、六と続くにつれ存在感は薄れ、第十までくるとその興味関心を得られることはほとんどなくなっていた。 第十王子の姿を知る者はほとんどいない。 後宮の奥深く、ひっそりと囲われていることを知る者はほんの一握り。 秘匿された第十王子のノア。黒髪、薄紫色の瞳、いわゆる綺麗可愛(きれかわ)。 ノアの護衛ユリウス。黒みかがった茶色の短髪、寡黙で堅物。塩顔。 少しずつユリウスへ想いを募らせるノアと、頑なにそれを否定するユリウス。 ノアが秘匿される理由。 十人の妃。 ユリウスを知る渡り人のマホ。 二人が想いを通じ合わせるまでの、長い話しです。

氷の婚約者様に破談を申し出たら号泣された

楽矢
BL
目が覚めると、レースの牢獄のような天蓋付きベッドの上だった。 何も覚えていない出来損ない下級貴族ミラ。無能だクズだと冷酷な罵詈雑言を浴びせてくる氷の騎士セティアス。 記憶喪失から始まる、2人のファンタジー貴族ラブコメディ。 ---------- ※注) かっこいい攻はいません。 タイトル通りそのうち号泣しますのでご注意! 貴族描写は緩い目で雰囲気だけお読みいただけると幸いです。 ハッピーエンドです。 激重感情をこじらせた攻→受な関係がお好きな同志の方、どうぞよろしくお願いします! 全16話 完結済み/現在毎日更新予定 他サイトにも同作品を投稿しています。 様子を見ながらそのうち統合するかもしれません。 初めての一次創作でまだよく分かっておらず、何かおかしなことをしでかしていたら申し訳ないです!

【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】

古森きり
BL
【書籍化決定しました!】 詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります! たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました! アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。 政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。 男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。 自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。 行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。 冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。 カクヨムに書き溜め。 小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。

処理中です...