5月の雨の、その先に

藍音

文字の大きさ
62 / 152

第五十七話 新しい主人

しおりを挟む
「お前がリオか」

伯爵の第一夫人ソフィアはリオを一目見ると、すぐに目を逸らした。
リオは、頭を下げたまま。顔を上げることは許されていない。
だが、硬い声と冷たい空気は、歓迎とはほど遠いものだった。

(アウレリオは何が良くて、このような者を・・・今すぐ殺してしまいたい)

ソフィアの足元にひれ伏すリオの肩は細く、みすぼらしい。
卑しい茶色の巻き毛もきたならしい。
どこをどう取っても育ちのいい令嬢に勝てるものなど一つもないというのに。
ソフィアは唇をかんだ。
たった一人の息子は、大貴族の後継者として、とっくに結婚して跡取りをもうけていてもいい年なのに、美しい女には見向きもしない。
その理由がか。
関節が白くなるほど扇の柄を握りしめ、怒りが通り過ぎるのを待つ。
部屋の中には、恐ろしいほどの緊張感が漂っていた。

「エミリアを」

ソフィアが口を開くと、侍女がはっと息を飲み、控えの間の扉を開いた。アウレリオの婚約者エミリア嬢は扉の前で待機していたのだろう。速やかに、音も立てずに現れた。
淡い水色のシンプルなドレスを身に着けたエミリア嬢はソフィアに礼を取ると、うながされるままソファーに腰掛けた。従順なその様子はまるで飼いならされた猫のようだ。

ぱちりと扇を閉じる音と同時に「顔をお上げ」と、硬い声が響いた。
ようやく顔を上げる許可を受け、リオがおずおずと顔をあげた。
奥方様は何をお怒りなのか・・・しかも、なぜ自分が呼び出されたのか・・・
わずかな怯えを含んだ大きな瞳がソフィアに向けられると、その顔を見た侍女たちが息を飲んだ。

大きく涼やかな目元と細い鼻筋。完璧なバランスの取れた桃色の頬にふっくらとした形の良い唇。
このように美しい男を誰も見たことがなかった。

「なんて美しい」
「まるで絵から抜け出して来たようではありませんか」
「なぜこれまで・・・」

侍女たちのささやきが聞こえ、ソフィアの口元がゆがんだ。

(これだけの美しさならば、すぐに引き離せるだろう。アウレリオが隠していたから世に出なかっただけで・・・これほどの美青年ならば、欲しがる者はいくらでもいるだろう)

うまく行けば、他の領主や貴族に恩を売れるかもしれない。邪魔な召使が急に役に立つ手駒になった。

「お前・・・リオ」ソフィアがやんわりと語りかけた。「最下級の使用人の分際で、未来の伯爵夫人であるエミリアに仕えられる幸運に感謝しなさい。アウレリオにも、エミリアがどれほど美しくて気立てが良いのかをの良くお伝えするのだぞ」
「は、はい」
「これはすべて、お前の主人たるアウレリオのためだ。アウレリオと婚約者をつなぐ役割を与えられたことを光栄に思いなさい」
「はい」
「うまくやれば、お前に褒美を与えよう。よいな」
「はい」

リオは表情一つ変えずにうなずいた。ただ、その両手は爪が白くなるほどきつく握りしめられていた。

伯爵夫人は視線をそらすと扇を広げ、優美に揺らした。もう用は済んだ、ということらしい。

「こちらへ」側仕えがリオの腕にそっと触れ、退出をうながした。

リオは一礼すると踵を返した。早くこの部屋から逃げ出さななければ。
かすかなワゴンの音と侍女がお茶を注ぐ音が後ろから聞こえてきた。

喉の奥には大きななにかがつかえ、目はチカチカして涙がこぼれそうだ。
早く、早く。ここ以外の誰にも見られないところに。


*********************


「あなたが私付きになってくれて、とてもうれしいわ」

アウレリオの婚約者のエミリア嬢はかわいらしい方だった。

「ここの殿方はみなさん、親切なんだけど・・・恐ろしくて。体も大きいし、なんだか」
「荒っぽい?ですか?」
「そう!」エミリアは両手を打ち合わせた。「そうなの。私には恐ろしくて・・・」

農村から来たリオからすると、農夫と比べて荒っぽいのは確かだが、魔物や隣国を常に警戒していなければならない辺境では当たり前のこと。

「むしろ、頼りになりますけどね」

口の中で呟いた言葉をエミリアはしっかりと聞き取った。

「ありがとう、リオ」エミリアは微笑んだ。「私のわがままだとは承知しています。でも、あなたがそういうふうに言ってくれると私も考えを改めるいい機会になるわ」

エミリアは茶色の瞳を輝かせ、にっこりと微笑んだ。とたんに、顔に広がったそばかすも少し低い鼻も何も気にならなくなった。
おかわいらしい。そして聡明な方だ。・・・でも。本当は、わがままな方だったら、良かったのに。
憎みたくも嫌いたくもないのに、この姫にアウレリオを取られてしまう。そう思うだけで、胸の奥に躍る青白い炎に焼き尽くされてしまいそうだ。嫌な方だったら、それを理由に嫌いになれた。
もともと、自分のものにはならない方なのに。

あの日、追い立てられるようにアウレリオの部屋を出され、唯一持ってこられたのは、古ぼけたうさぎとライオンの砂糖菓子が入った小さな小箱だけ。もうとっくに魔力を失い、ただの古い菓子になってしまったが、それはまだリオの宝物だった。
長いこと一つ一つを柔らかい布でくるみ、壊れないように大切に保管していた。ライオンのたてがみがくずれ、うさぎの鼻からは色が落ちてしまっているが、辛いときに眺めれば、嫌なこともすべて忘れられる、大切な宝物。

(アウレリオ様・・・)

リオは胸元に隠し持った小箱をそっと撫でた。

(愛してます。どうか、おしあわせに)

目を伏せ、呼吸を整える。

「お嬢様がこの地で平穏にお過ごしいただけますよう、精一杯ご協力いたします」
「ありがとう、リオ。なにか足りないものはない?私にできることなら・・・」
「いえいえ。とんでもない。たくさん良くしていただいておりますので!」

エミリアはあの恐ろしい奥方様に気に入られるだけあって、控えめで優しい人柄だった。
美人ではないが、笑うとあたたかく、使用人に対する態度も丁寧だ。
しかも、自分に仕える使用人の名前もすべて覚えている。
貴族の令嬢としてはありえないことだった。
リオがエミリアの側仕えとして入ってから、不足のないようにと侍女頭に命じてくれたおかげで、使用人たちも皆リオに親切だった。

「今日はアウレリオ様とのお茶会ですよね。今日のお嬢様のことを、きっと好ましく思われるでしょう」
「そうかしら」

エミリアが自信なさげにスカートのひだをなでた。
エミリアはカミラのように過剰なほど装飾したドレスも、第二夫人のように露出の多い服も好まない。
すっきりとしたデザインのシンプルなドレスは、むしろエミリアの清楚さを引き立てていた。

アウレリオ様の幸せを考えるのなら、身を引くべきだ。

「アウレリオ様は一見冷たく見えますが、本当はお優しい方なんですよ」

この姫ならば、もしかしたら、アウレリオ様を大切にしてくださるのかもしれない。アウレリオの一見冷たい、わかりにくい優しさにも気がついてくれるのかもしれない。


************

本日もお読みいただきまして、ありがとうございました。

今日は苦しい・・・だいぶ苦しくなってきました。ふふふ。
このもやもやとした胸苦しさ、大好物でございます。

ハートをくださった方、広告を回してくださった方、読んでいただけるだけでも感謝しています。
皆様が元気に過ごされますように。
そして、ストックが途切れないことも同じくらいの熱量で祈っています・・・

しおりを挟む
感想 37

あなたにおすすめの小説

もう一度、その腕に

結衣可
BL
もう一度、その腕に

虚ろな檻と翡翠の魔石

篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」 不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。 待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。 しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。 「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」 記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。

ヒーロー組織のサポートメンバーになりました!

はちのす
BL
朝起きたら、街はゾンビだらけ!生き残りたい俺は、敵に立ち向かうヒーロー組織<ビジランテ>に出逢った。 ******** 癖の強いヒーロー達の"心と胃の拠り所"になるストーリー! ※ちょっとイチャつきます。

神子は二度、姿を現す

江多之折(エタノール)
BL
1/7外伝含め完結 ファンタジー世界で成人し、就職しに王城を訪れたところ異世界に転移した少年が転移先の世界で神子となり、壮絶な日々の末、自ら命を絶った前世を思い出した主人公。 死んでも戻りたかった元の世界には戻ることなく異世界で生まれ変わっていた事に絶望したが 神子が亡くなった後に取り残された王子の苦しみを知り、向き合う事を決めた。 戻れなかった事を恨み、死んだことを後悔し、傷付いた王子を助けたいと願う少年の葛藤。 王子様×元神子が転生した侍従の過去の苦しみに向き合い、悩みながら乗り越えるための物語。 ※小説家になろうに掲載していた作品を改修して投稿しています。 描写はキスまでの全年齢BL

辺境伯は嵌められた元令息から目が離せない

コムギ
BL
冤罪により、辺境の地へ追いやられた元侯爵令息ユベール。 だが彼は、あまりのことに気を病んで――はいなかった。 野山を駆け回り、虫を捕まえ、草花をスケッチし、のんびり釣りをする。 それはすべて、侯爵家の令息として縛られていた頃には許されなかった自由だった。 そんな生活から一年。 冤罪を証明できそうだと、幼なじみの王太子から報せが届く。 ――王都へ戻れる。 それは同時に、あの窮屈で冷たい場所へ戻るということでもあった。 迷うユベールの前に現れたのは、これまで静かに見守るだけだった辺境伯ラドヴァン。 「ならば、ずっとここにいろ」 「俺と婚約すればいい」 不器用に、しかし真っ直ぐに差し伸べられた手。 優しく(時に暑苦しく)包囲してくる辺境伯と、元侯爵令息の恋物語。 ※他サイトにも掲載しています。

秘匿された第十王子は悪態をつく

なこ
BL
ユーリアス帝国には十人の王子が存在する。 第一、第二、第三と王子が産まれるたびに国は湧いたが、第五、六と続くにつれ存在感は薄れ、第十までくるとその興味関心を得られることはほとんどなくなっていた。 第十王子の姿を知る者はほとんどいない。 後宮の奥深く、ひっそりと囲われていることを知る者はほんの一握り。 秘匿された第十王子のノア。黒髪、薄紫色の瞳、いわゆる綺麗可愛(きれかわ)。 ノアの護衛ユリウス。黒みかがった茶色の短髪、寡黙で堅物。塩顔。 少しずつユリウスへ想いを募らせるノアと、頑なにそれを否定するユリウス。 ノアが秘匿される理由。 十人の妃。 ユリウスを知る渡り人のマホ。 二人が想いを通じ合わせるまでの、長い話しです。

氷の婚約者様に破談を申し出たら号泣された

楽矢
BL
目が覚めると、レースの牢獄のような天蓋付きベッドの上だった。 何も覚えていない出来損ない下級貴族ミラ。無能だクズだと冷酷な罵詈雑言を浴びせてくる氷の騎士セティアス。 記憶喪失から始まる、2人のファンタジー貴族ラブコメディ。 ---------- ※注) かっこいい攻はいません。 タイトル通りそのうち号泣しますのでご注意! 貴族描写は緩い目で雰囲気だけお読みいただけると幸いです。 ハッピーエンドです。 激重感情をこじらせた攻→受な関係がお好きな同志の方、どうぞよろしくお願いします! 全16話 完結済み/現在毎日更新予定 他サイトにも同作品を投稿しています。 様子を見ながらそのうち統合するかもしれません。 初めての一次創作でまだよく分かっておらず、何かおかしなことをしでかしていたら申し訳ないです!

【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】

古森きり
BL
【書籍化決定しました!】 詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります! たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました! アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。 政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。 男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。 自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。 行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。 冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。 カクヨムに書き溜め。 小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。

処理中です...