つきが世界を照らすまで

kiri

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早春、梅に雀の事

弐―続

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 薬をやめたら、また目が見えなくなるんじゃないだろうか。
 先生は狼狽うろたえる僕に、落ち着きなさいと穏やかに言われた。

「薬にも相性というのがあるのだよ。今の症状が落ち着くまで眼病の投薬は中止したほうがいい。そうしないと君の体に負担がかかる。まずは体を休ませる。その後また様子を見ながら、ということだよ」

 そこまで言われてようやく安堵の息を吐く。

「症状が落ち着けば大丈夫みたいですね。よかったです。暖かくして休んで下さいな」

 千代さんの顔も明るくなって僕も心が落ち着いてきた。
 疲れているだろうに、千代さんの元気な声につい甘えてしまう。

「そうだな、早く治さないと。絵が展覧会に間に合わなくなる」
「もう! ミオさんがそれじゃいけません。横山様もやり過ぎないように見ておけって、言っておられたんですからね。告げ口してしまいますよ」

 叱られて心配されていることを確認するのは子どもっぽかったな。ごめん、千代さん。僕はまだ少し気弱なままのようだ。

「焦っちゃいけないのはわかってるよ」

 わかっているのだけれど。
 皆どんな絵を描いているのかなあ。会いに行って絵を見てみたい。きっと僕よりたくさんの技法や表現ができているんだろう。ひとりで描くだけではなく、皆の絵を参考にできるなら僕の考えも進むだろうに。

「大丈夫です、元気になって描けますから」

 秀さんみたいだな。僕にとっては良いまじないの言葉だ。なんだか本当に大丈夫な気がしてくる。
 腹痛の薬が効いてきたのか、体が楽になったら少し眠くなってきた。
 起きたら……よくなっていると……いいなあ……


 以前に描いて表装を頼んでおいた『月四題つきよんだい』が届いた。
 体調が悪くて受け取るどころではなかったし、銀次郎さんの仕事だから確認するまでもないのだけれど。四幅揃いで季節を並べて見る。

 春夏秋冬の月と、その光の中の樹木。
 春霞はるがすみの中から桜に降る月の光、夏の柳には雲間から差す。秋に葡萄ぶどうの葉の向こうから煌々こうこうと輝く月は、冬には雪の被った老梅ろうばいを照らしている。

 本当の主役は後ろから全体を照らす満月なのだ。
 樹木に焦点を当てて月は遠くからぼんやり見えるように。そうするとその空気は奥行きを出す。
 葉や雲はにじみを利用しているのだけど、宗達のたらしこみの技はこういう時に面白味が出る。

 思い返せば、僕らは線を捨て、空刷毛でぼかしを入れることで湿潤な空気や光を描き出した。
 それから色彩での濃淡や明暗の表現。描く対象の構成を工夫することでの空間の表現。線を捨てても、また線を取り戻す。

 そういえば喜多川きたがわ相説そうせつだったか。手前に焦点を当てて距離を、明暗で対比させて立体的に見せたりもしていた。
 昔々、平面的な絵が当たり前だった時代でも、様々な表現を思いついて描いていた人がいる。僕らと同じじゃないか。

 つまるところ絵描きの考えることは、昔も今も洋の東西もあまり関係ないのかもしれない。工夫を重ねて自分の表現したいものを描く。その工夫の仕方が違うだけなのだ。

 この先の僕らが描く絵は、日本画としてのこころもちで描かれるならそれは日本画だろうし、西洋画との違いは顔料の差だけになるだろう。
 想いの中に沈みながら僕は眠りの中に落ちていった。


 だいぶ体も楽になった。養生したおかげで起き上がっていてもそれほど疲れない。これなら絵筆を持てそうだ。本調子ではないけれどこのくらいなら絵を描ける。
 うきうきと弾む心で道具を取り出す僕に千代さんは釘を刺す。

「描くなら審査のことは気になさらずに。休みながらですよ」
「わかってるよ、展覧会開始までは五日しかないんだ。さすがに今からじゃ審査には間に合わない。それは仕方がないからね」

 少しほっとした顔の千代さんには悪いけれど、そんなことかまっちゃいられない。
 絵を描けるのだから。
 下手くそな鼻歌を歌いながら小下絵を描いていく。

 なにより注文の品なのだ。待ってくださっているのだし、それには応えなくてはならない。
 また休むことになったら、これほどの金屏風を誂えて描くのはしばらくできないだろうな。だけどそれでもいい。
 僕は今、絵を描ける。

 右隻うせきに南天、左隻させきに八つ手。互いに屏風の端と端に対称的にこれを描く。
 南天の赤い実と八つ手の黒い実も。
 本当なら南天が実をつけるのは冬、八つ手は春。四季を散りばめる草花図そうかずのように、ほんの少し季節を進める。

 南天は枝分かれした先のほうに葉をつけるから、屏風の金地が透けて光が溢れ出る。
 八つ手の大きな葉は正面を見せて堀塗りにする。これは金地と対比させると色の見え方が変わって面白い。単色で少しずつ色調を変えて塗っていく。金が透けて葉の重なりが浮き出してくる。

 飛び立つひよどりも配置をよく考えないと。屏風を立てた時に飛んでいくように。右隻から左隻へと渡る時間を見せる。
 冬から春へ鵯が飛ぶ。
 冬の実をついばんで飛んでいく。春の木に休んで飛び上がる。そうして、どこまでも飛んで行くだろう。

 ひと月ほどの開催期間の閉幕間際になってしまったけれど、三月十二日、巽画会第十一回絵画展覧会に『早春そうしゅん』を出展した。
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