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第572話「だが、ヒルデガルドはこれから起こる状況を全く理解していない」

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「あうう……」

ヒルデガルドはまだ転移魔法の際に生じる感覚に慣れてはいない。

軽いめまいと不安を感じる。
だが、それを打ち消すくらいの安堵感に包まれていたから全く平気だ。

そう、リオネルに抱かれた『胸の中』である。

周囲には、リオネルに付き従うという趣きの、
灰色狼に擬態したオルトロス、ゴーレムたちが控え、
頭上にはミニマムサイズのフロストドレイクが悠々と飛んでいた。

「あの、ヒルデガルドさん、大丈夫ですか? 目的地へ転移完了しました。ここはイエーラと魔境との国境です」

「は、は、はい…………」

ふたりの目の前には――魔境が広がっている。

魔鏡の雰囲気は、イエーラ領内とは全く違う。

生態系が全く違うのだ。

林立する木々は針葉樹ではなく、独特な葉をした広葉樹である。
まだ春だというのに、実がなっている樹木もある。

狼、熊などとは違う、魔物らしき咆哮も聞こえて来る。

そして、リオネルが一番感じたのは、大気の違いだ。

寒冷地である春期のイエーラ領内とは全く違う。

イエーラがさわやかで清々しい大気なのに、ひどく生暖かく、
ねっとりと、べたついた大気なのだ。

事前にそういう知識もあったが、リオネルがイェレミアスから聞いたところ、
人跡未踏の魔境最奥の中心に、冥界の大気――瘴気に近い大気が湧き出る、
とんでもない場所があるという。

その大気は魔物にとって、平気どころか、活力を与えるものらしい。

ちなみに、リオネルは全く平気である。

英雄の迷宮内やフォルミーカ迷宮内のよどんだ大気の中を、
ひたすら探索しまくったリオネルは、究極の防御魔法『破邪霊鎧はじゃれいがい』の効果もあり、この大気を完全に無効化していたのだ。

しかし、ヒルデガルドはそうはいかない。

繊細な心と強靭とはいえない身体を持つアールヴ族にとって、
魔鏡の大気は毒素そのもの。

イエーラ領内から、魔鏡へ逃げ込むオークどもを追撃出来なかったのもそのせいだ。

転移魔法の後遺症?も加わり、ヒルデガルドはぼうっとしている感じで、
少し具合が悪そうだ。

「ヒルデガルドさんに行使した全快の魔法は持続性にもう少し改善の余地がありそうです」

「………………………………」

「オークどもの討伐には、まだ時間もかかりそうですし、ここで防護壁を造った後、魔鏡へも入りますから、今のうちに守備力アップの防御魔法をかけておきますね」

話が終わった瞬間。
リオネルの全身は凄まじく発光した。

最強の盾といえる、破邪霊鎧はじゃれいがいの発動である。

「あ!? あうううっ!? ええええ!!!??」

ヒルデガルドはまたも驚いてしまった。

周囲がとんでもなく明るくなったと同時に、
リオネルと自分がまばゆい白光に包まれていたからである。

そんなヒルデガルドへ、リオネルはしれっと、

「ついでに全快もかけておきましたから、……気分はどうですか?」

「………は、は、は、はいっ! だ、だ、だ、大丈夫です!」

「それは良かった!」

文字通り輝くような?笑顔で応えていたのである。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

リオネルに立たせて貰ったヒルデガルドだが……

その驚きの余韻冷めやらぬうちに、
またもまたも驚いていた。

どごごごごごごごごごご…………

地響きを伴う重低音とともに、超が付く巨大な岩がせり出して来たからである。

イエーラと魔境の国境、ちょうど真上に。

作戦通り、リオネルの発動した地属性魔法により、
高さ20mにも達する堅固な防護壁を造成しているのである。

「す、す、凄いっっ!!!!!」

「高さは20m、厚さは10m、長さは100㎞くらいあれば、とりあえず良いでしょうか」

とんでもサイズをしれっと言うリオネル。

ヒルデガルドは、ただただ頷くしかない。

「は、はい」

「もしも長さが足りなければ、継ぎ足ししましょう」

「わ、分かりました」

約10分ほどで大岩のせりだしは終了。
……100㎞にも及ぶ防護壁は完成してしまった。

「さて、ヒルデガルドさんに防護壁の完成確認をして貰いますか?」

「か、完成確認ですか?」

ヒルデガルドは、そそり立つ防護壁を見上げた。

垂直に立つ防護壁は、パッと見、申し分ない。

まさに『絶壁』である。

オークどもが乗り越える事は困難であり、
難攻不落と言っても過言ではないだろう。

「た、高さは充分すぎるくらいだと思います。厚さはどれくらいでしょうか?」

「はい、大体10mくらいですね」

「じゅ!? 10m!? ならば、充分です。……でも長さは、分かりませんね」

「いえ、長さの確認も簡単に行えますよ」

「え!? 簡単って!? ……あ、ああ、分かりました。ジズや竜達に空から確認させるのですか?」

「あはは、半分当たりです」

「半分?」

リオネルの言葉を聞き、ヒルデガルドは首を傾げた。

更にリオネルは笑顔で尋ねる。

「はい、念の為、聞きますが、ヒルデガルドさんは、高い場所は大丈夫ですか?」

「は!? た、高い場所ですか? だ、大丈夫です! 子供の頃、お転婆で、良く木登りとかしていましたから」

「そうですか。じゃあ、俺のそばまで来て貰えますか」

「はい!」

リオネルから呼ばれ、ヒルデガルドは嬉しそうに駆け寄って来た。

「これをつけます。万が一を考えた命綱みたいなものです」

リオネルが収納の腕輪から取り出したのは、フォルミーカの街で購入した
魔法で強化した登山用魔導ロープである。

両方の先端には、馬につなぐハーネスのような器具もついていた。

「失礼します」

リオネルは言い、ハーネスをヒルデガルドの身体につけ、
自分にも同じく、取り付けた。

双方をそれぞれ強く引っ張り、外れないか、確認する。

「よし! じゃあ、申し訳ありませんが、またヒルデガルドさんを抱かせて頂きます」

「はいっ!」

と元気に返事をしたヒルデガルド。

思いっきり、リオネルに飛びつき、がっしと抱きしめる。

喜んで!という言葉を飲み込んだのは内緒だ。

だが、ヒルデガルドはこれから起こる状況を全く理解していない。

「しっかり、つかまっていてくださいね」

「はい!」

ここで、リオネルは、肩に腰かけていたジャンに念話で指示。

頷いたジャンは、凄い勢いで上空へ飛んで行った。

更にリオネルは、一旦オルトロス、フロストドレイクを異界へ戻し、
ゴーレムたちを回収、収納の腕輪へ「搬入」した。

周囲でリオネルたちを守っていたオルトロス、フロストドレイク、
ゴーレムたちが、ぱっと消えてしまう。

そしてリオネルは、抱いたヒルデガルドへ声をかける。

「ヒルデガルドさん」

「はい」

「一応、カウントをしますね。5、4、3、2、1、ゼロ!」

リオネルがカウントをし終えた瞬間。

びゅ!
と一陣の風が吹き、ふたりの身体は、天高く舞い上がっていたのである。
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