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第五章 春の王都
あの女を追いかけて
しおりを挟む「セバス! これはどういうことだ!」
四月も半ばのお昼前。
午前の訓練を終えてシャワーを浴びてから執務室に戻ったオスカーは、机に置かれた書類の束を見て、執事長の名前を呼んだ。
「お呼びでしょうか、オスカー様」
しばらくして、セバスが現れた。
特に急ぐわけでもなく、憎らしいほど落ち着いている。
「お呼びでしょうか、じゃないだろ。この状況を説明してくれ」
「状況と言いますと?」
セバスが澄ました顔で聞き返した。
――わざとしらばっくれているな。
ここに来る手紙や書類は、全てセバスが目を通している。知らないわけがない。
いつものようにからかっているのか。
オスカーは机に置かれた書類の束をつかんだ。
メイドたちから提出された、転属願い。どれも本人のサイン入りで、合計三十枚。屋敷で働くメイドの全員分だ。
「この転属願いだ。なんだこれは? 王都で流行りの、メイドが給仕するカフェでも開くつもりか?」
しらばっくれているセバスへの皮肉のつもりだったが、返って来たのは呆れ混じりのジト目だった。
「オスカー様、ふざけている場合ではありません」
その言い方に少しカチンとくる。
「ふざけているのはどっちだ。おれに上げてくる前に説得するべきだろ」
「あなたは、別邸のリリア様を追い出しました」
唐突に、セバスが告げた。
いつもとは違うきつい口調に、オスカーは一瞬たじろぐ。
しかし、すぐに言い返した。
「あれは、おれが追い出したんじゃない。勝手に出て行ったんだ。『薬づくりに専念します』と言ってな」
それは二日前のこと。
銀髪のメイドをあの女が隠しているのではないか、そう思って探りを入れようとしていた矢先に、手紙が届いたのだ。
――約束の半年より早いですが、別邸を出ます。お世話になりました。
ほのかに薔薇の香りのする手紙には、王都には戻らず孤児院に住むことや、子供たちに薬づくりを教えたいこと、そしてこの地に呼んでもらえた感謝が、意外と美しい筆跡で書かれていた。
だから、決して「追い出した」わけではない。
セバスが盛大なため息をついた。
「勝手に出て行ったとおっしゃいますが、そう仕向けたのは、あなたではありませんか」
そう言うと、まるで罪状でも読み上げるように、これまでのオスカーの仕打ちを並べ始めた。
「死なぬように食事だけ与えておけ、そう言ったのは、どなたですか? あれほどの薬づくりの才能を見せられても、認めようとしなかったのは? 一度でも話をされたことがありましたか? そんな扱いを受けて平気でいられるご令嬢が、この世のどこにいるとお思いか」
セバスは一気に言い切ると、底光りする眼でオスカーを見据えた。
その表情に静かな怒りと失望を感じて、オスカーはごくりと唾を飲み込む。
身分を抜きにすれば、人生経験豊富な彼の前では、自分など、ただの若造に過ぎない。
「メイドたちは、リリア様をお支えしたいのです。製薬所の掃除や洗濯、孤児たちの食事や教育。仕事はいくらでもあります。オスカー様に許可をいただけなければ、彼女たちはここを辞める覚悟です」
「えっ、辞めるのか?」
オスカーは言葉を失う。
事態は極めて深刻だ。銀髪のメイドを探している場合ではない。
「メイドたちだけではありません。料理人や執事からも同じ声が上がっています。このままでは、使用人の気持ちが離れてしまいます」
「――おれはどうすればいい?」
こうなると、オスカーも認めざるを得なかった。
あの女の――いや、今やリリア嬢と呼ぶべき女性の持つ力を。
たった半年で、使用人たちとこれほどの関係を築くとは。
「許しを請うのです」
セバスが厳かに告げた。
「これまでの非礼を詫び、屋敷に迎え入れるのです。そしてお願いするのです。共にグリンウッド領の運営に力を尽くしてほしいと。リリア様は優しいお方です。きっと受け入れてくださいます」
非礼を詫びるのか――。
確かに、ずっと無視してきた自覚はある。
「メイドたちはどうする?」
「屋敷の仕事が疎かにならぬよう、交代制にしましょう」
「それで仕事は回るのか?」
「不足する人員は募集します。幸い、リリア様の薬づくりはグリンウッド家の事業だと思われています。人はすぐに集まります」
「……そうか。よし、わかった。お前の言う通りにしよう」
オスカーが了解すると、セバスは小さく息を吐き、肩から力が抜けたように見えた。
彼が満足したなら問題ない。
使用人たちは、これでひとまず落ち着くだろう。
「どうした。気が抜けたか?」
いつもの空気に戻ったのを感じて声をかけると、「やっとご理解いただけました」と答えが返ってきた。
「あそこまで言われたら、さすがにな」
「わかってくださると、信じておりました」
「おっ、信じてくれていたのか」
さっきは、セバスも辞めると言い出すのではないかと思ったが?
「もちろんです。オスカー様は、他人の意見に耳を傾けられるお方です。領主としての優れた素質のひとつです」
面と向かって褒められるのは照れ臭いが、これまで頑張ってきたことを認められて、悪い気はしない。
屋敷の使用人たちの意見は領民の声だと思い、耳を傾け、心を配ってきたつもりだ。
「そうと決まれば、さっそく準備です。万端整えておきますから、その間に昼食を済ませてください」
「わかった。なあに、馬なら孤児院までひとっ飛びだ」
セバスが嬉々として告げ、オスカーも椅子から立ち上がった。――すると。
「ここは馬よりも馬車がよろしいかと。儀礼用の一番いい馬車を用意します。オスカー様は礼服にお着替えください。花束も作らせておきます」
オスカーの動きが止まった。
「ちょっと待ってくれ。いくらなんでもそれは大袈裟すぎないか?」
詫びを入れるのに礼服?
なにかが、おかしい。
首をかしげたオスカーに、セバスが呆れ顔を向けた。
「オスカー様、精一杯の誠意を見せなければ、振り向いていただけませんよ」
「いや、しかしだな――」
「奥様としてお迎えするのです。これくらいは当然です」
「はあ? 何のことだ?」
オスカーは我が耳を疑う。
リリア嬢に詫びを入れ、メイドたちのシフトを組み替える話ではなかったのか。
「妻に迎えるなど、おれは言ってないぞ」
セバスの顔色が変わった。
「先ほどは、わかった、と」
「それは詫びを入れることについてだ。製薬事業の立ち上げに協力してもらうために」
「し、しかし――」
「いいか、セバス。聞いてくれ」
口を挟もうとしたセバスを、オスカーは遮る。
彼女と結婚させて薬の事業を取り込みたいのだろうが、いくら使用人の意見でも、こればかりは譲れない。
「おれは、事業や金儲けのために好きでもない女性と結婚することだけは、絶対にしたくないんだ」
「ですからそれは――」
「それにイアンとの約束がある。彼女には手を出さないと。薬の事業に協力してもらうのも申し訳ないのに、その約束まで破るのはダメだろ」
あの日、オスカーは卑怯と思いつつ彼女を親友に押しつけた。
それは今も小さな棘となって、胸の奥に残っている。
セバスが食い下がった。
「何を言ってるのですか。リリア様はオスカー様の奥様なのですよ? しかも、あれほどお慕いくださっているのです。お二人が相思相愛なら、そんな約束など、何の意味もありません!」
「いや、だから――」
どこが相思相愛なんだ。
そう思って口を開きかけたオスカーに、セバスが、これが最後の切り札だとでも言わんばかりの勢いで叫んだ。
「まだわからないのですか! リリア様こそ、あなた様がお探しの、銀髪のメイドなのです!」
「――嘘だろ?」
オスカーは我が耳を疑う。
まさか、そんなわけがない。
第一、顔があまりに違いすぎる。
動きを止めたオスカーに、セバスが畳み掛けた。
「隠しているようですので黙っておりましたが、メイドをお探しなのはわかっております。リリア様は、以前の姿ではありません。銀髪の美しいご令嬢におなりです」
「いや、それはさすがに無理があるだろ? いくらなんでも、ありえない」
もし、それが本当なら、オスカーはかなりひどい仕打ちを彼女にしてきたことになる。
信じたくなくて否定すると、セバスはしばらく無言で考えてから、口を開いた。
「……でしたら、とにかく馬で孤児院へ向かいましょう。いずれにせよ、詫びを入れるということで」
「あ、ああ。そうだな」
確かに、会ってみるのが一番早い。
しかし、どんな顔をして会えばいいのか。
そう思いつつもオスカーがうなずき返した。――そのとき。
若い執事が部屋に駆け込んできた。
「オスカー様、セバス様、大変です! 王都からの緊急の通達です!」
大声で叫びながら、王宮からの公式書簡であることを示す黄色の封筒を二通、セバスに差し出した。
同時に、何かをセバスに耳打ちする。
「――オスカー様。残念ながら、リリア様を迎えに行くことはできなくなりました」
封筒の中身を素早く確かめたセバスが、肩を落としながら告げた。
「どういうことだ?」
問い返したオスカーに、セバスが封書を差し出す。
そこには大きな字で、『裁判告知』と書かれていた。
「ハーブ男爵家が起訴されました。裁判は十五日後の月末。リリア様にも出頭命令が出ています。身柄を確保するために、王都の騎士団が孤児院へ向かいました。会うことはできません」
そう言いながら、もう一通の封筒を差し出した。
「オスカー様にも証人としての協力要請が来ています。至急、王都へ向かってください」
そして、最後に真剣な表情で告げた。
「イアン様には、くれぐれもお気をつけください。これは本格的な裁判です。適当なでっち上げなどではありません。もしかすると、リリア様を連れて行かれるかもしれません」
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