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第五章 春の王都
法廷での断罪(2)
しおりを挟むグスタフの言葉がきっかけだった。
ハーブ家の三人が、口々にリリア嬢を非難し始めた。
「あれには薄汚い庶民の血が混じっています! 生粋の貴族であるわたくしたちを妬み、脅していたのです」
「薬草師の知識を独り占めして、わたくしには教えようとしませんでした。あんな心の醜い人、義姉でも何でもありません」
「イアン様ならわかってくださるかと。どうか早く断罪してくだされ」
三人とも必死だ。
リリア嬢を家族ではないものとして、全ての責任を背負わせようとしている。
しかもリリア嬢を、心の醜い、他人を脅すような女だとして。
――ふざけるな。
彼女に限って、そんなことあるわけないだろ――。
オスカーの心に彼らへの怒りが湧いてくる。
リリア嬢があの銀髪のメイドなのかどうか、まだ確信はない。
それでも、彼らがまるっきりデタラメな主張をしていることだけは理解していた。
半年前のあの夜。
煌びやかなパーティー会場にいたディアナ嬢たちに対し、リリア嬢はボロボロのメイド服を着たひどい姿で、庭からそれを眺めていた。
グリンウッドに来てからの彼女は無償で薬を作り、使用人や孤児たちに慕われ、しかも薬の作り方を教えようとしている。
家族を脅したり知識を独り占めしたりなど、絶対にするわけがない。
美しい心を持った、素晴らしい女性なのだ。
――確かにおれの目は曇っていた。
オスカーの心に、深い反省が広がっていく。
顔の良し悪しに目を奪われ、こんな身勝手なケダモノのような女に恋い焦がれてしまっていた。
本当の美しさを持った人を見ようともせずに――
目の前では、裁判が終幕を迎えていた。
「つまり、リリア嬢は血縁でもなければ家族でもない、だから、法によって裁かれるべきだ。あなた方はそう言いたいのだな?」
ゆっくりとした口調でイアンが問いかけると、グスタフたち三人が口を揃えて「その通りです!」と答えた。
イアンがニヤリと笑う。
そして、壁際に控える衛兵たちに向かって命じた。
「衛兵、この三人を捕らえよ!」
「「「はっ!」」」
号令とともに衛兵たちが一斉に駆け寄り、グスタフたちに縄をかけた。
「何をする! 離さぬか!」
「ふざけないで! 罪人はあっちじゃない!」
「どういうことですの、イアン様!」
両手を縛られ、抗議の声を上げるグスタフたち。
イアンが冷ややかに告げた。
「たった今、お前たちは、自分がリリア嬢とは血縁でも家族でもないと証言した。ならば、ハーブ家の当主はリリア嬢だ。お前たちはハーブ家の名をかたり、あまつさえ違法な薬を販売した。――これは、王家に対する背信である。万死に値する!」
静まり返る法廷。
しばし言葉を失っていたグスタフが声を上げた。
「なんだそれは! おのれ、騙したな!」
「なによ! ハーブ家の名をかたっているのは、あのドブネズミのほうじゃない! ちょっと! そこの庶民! こそこそ隠れてないで、出てきなさいよ!」
エヴィルはそう叫ぶや否や、衛兵の目に向かって唾を吐きかけた。
まさか貴族のご婦人がそんなことをするとは誰も思わない。
不意をつかれた衛兵が怯んだ隙に、エヴィルはパーテーションに駆け寄ると、縛られた手でそれをなぎ倒した。――その瞬間。
「ひいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
エヴィルが悲鳴を上げた。
尻もちをついて床に倒れる。
「な、なんであんたが生きてるのよ! 馬車に轢かれて死んだくせに――」
恐怖に引きつる顔。
倒れたまま両足をバタつかせ、ドレスの裾がはだけて白い下着と足が丸見えになっているが、それを気にする余裕もない。
「――あのぉ」
リリア嬢が椅子から立ち上がり、助け起こそうと手を伸ばすと、エヴィルが金切り声を上げた。
「ひぃぃぃッ! 来ないで、来ないで、来ないで! あんたを馬車で轢いたのは御者よ! わたくしは何も知らない! 嫌よッ、来ないでぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ――」
絶叫とともに目を見開き、ぐったりと動かなくなった。
口から泡を吹いて気を失っているようだ。
「連れていけ!」
イアンの命令とともに、衛兵たちがエヴィルを肩に担ぎ、グスタフとディアナに歩くように促した。
オスカー様お助けください、というディアナ嬢の悲痛な声と、殺人の容疑も吐かせろよ、というイアンの指示する声が交差する。
ハーブ男爵家の裁判は、家名をかたり王家を騙した罪でグスタフたち三人が逮捕され、幕を閉じた――
しかし、オスカーの耳にその声は届いていなかった。
周りの音も色も何もかもが消え、パーテーションから現れた女性を、呆然と見つめていた。
輝くような銀髪に、やわらかな微笑みを湛えた美しい顔。
瞳と同じ翡翠色のドレスを身につけ、凛として歩くその姿は、まるで大輪の花を咲かせた白百合のよう。
まさにこの世に舞い降りた女神だった。
「オスカー様、お久しぶりです」
気がつくと、すぐ目の前にリリア嬢がいた。
慌てて椅子から立ち上がる。
「あ、ああ……。きみはリリア嬢なのか?」
何を間抜けなことを言ってるんだと思うが、うまく言葉が出てこない。
「はい、そうです。さっき、あたしを薬草師として認めてくださったので、約束どおり、やっと顔を見せることができました」
約束?
そうか。半年前、おれはこの人に、「顔を見せるな」と言ったんだっけ。
なんとひどいことを言ったのだろう。
あのパーテーションは、おれのために置かれていたのか。
ぼんやりと、そう思った。
「オスカー様にお伝えしたいことがあります」
なんだろう。
きみの頼みなら何でも聞くよ――。
そう思いながら、じっと彼女の言葉を待つ。
「置き手紙ひとつで、勝手に別邸を出てしまいました。まずはそのお詫びを。それから、まだちゃんとお別れをお伝えできていませんでしたので――」
「――ちょ、ちょっと待ってくれ!」
リリアが別れの言葉を口にし、オスカーは慌ててそれを遮った。
そうだった。
ぼんやりしている場合じゃなかった。
――死なぬよう食事だけ与え、薬づくりの才能を認めず、一度として話もしなかった。
――そのような扱いを受けて平気でいられるご令嬢が、この世のどこにいるとお思いか。
セバスに言われた、悪行の数々。
彼女は、オスカーに愛想を尽かし、出て行ってしまったのだった。
「ええと、おれに――」
――今までのことを謝らせてくれ。
そう言おうとしたオスカーは、慌ててその言葉を飲み込んだ。
(ダメだ。詫びるだけじゃ、戻って来てもらえない)
そのことに気がついたからだ。
彼女がオスカーに話しかけたのは、別れを告げるため。
先ほどの声には、一片の迷いもないように聞こえた。
そう――ここはオスカーの断罪の場なのだ。
しかも、イアンとの約束がある。
半年前、彼はオスカーにリリア嬢との離縁を勧め、自分が娶るのだと宣言した。
裁判では、見事に彼女を救い出してみせた。
用意周到な彼のことだ。この半年で着々と準備をしてきたのだろう。――彼女にプロポーズするために。
――ああ、どうしておれはあんな約束をしてしまったのか。
後悔で胸が張り裂けそうだ。
「あのぉ……、よろしいでしょうか?」
控えめな声が聞こえて顔を上げると、リリア嬢の訝しげな瞳と目が合った。
黙ったままのオスカーに、しびれを切らしたようだ。
彼女の後方では、イアンが衛兵への指示を終え、こちらに顔を向けているのが見えた。
残された時間は――ない。
(どうする、どうする、どうする――?)
どうすれば彼女を繋ぎ止められるのか。
気ばかり焦って、頭の中が真っ白になる。――その瞬間。
オスカーの中で、何かが閃いた。
片膝をつき、その場に跪く。
「王国騎士、オスカー・グリンウッドは、敬愛するリリア嬢に生涯の忠誠を捧げます!」
騎士による愛の忠誠。
これなら受けてもらえるはず。
天にも祈る気持ちで、リリア嬢の言葉を待った。
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