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《第1章》 午前二時のジゼル
キャピュレット家の舞踏会2
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壁際に立っていた飛豪は、つけていたインカムに低い声で囁きかけた。
「……変なのがいる」
「は? 『変なの』って何だよ」
「屏風とは反対側の壁際の、奥のテーブルの連中を見てみろよ。ドナドナみたいなのがいる」
「ドナドナって……そんなのボキャブラリーにあったんだ」
「ペルーでも日本語学校行かされてたから知ってるんだな、これが」
「……あの青いドレスか。なるほど」
部屋の中ほどの壁面を背に立っている飛豪と、その反対側の壁面に陣取っている同僚の高瀬。とりすました顔をして警備にも客にも見えるよう振る舞っていた同僚の高瀬は、したり顔で同意した。
「な、場違いだろ?」
二人の視線が共通してそそがれているのが、鮮やかな紺色のワンピースドレスを着た二〇代前半の女性だった。
飛豪も高瀬も、人を見るプロである。誰が、どのように場違いなのか、説明せずとも伝わる。
「慣れてないね。グラスを持つ手つきとか、お酒のすすめ方とか、危なっかしい。それに、なんていうか、他の女の子たちとも顔見知りじゃない様子……ってか、弾かれちゃってない?」
苦笑まじりに高瀬が実況をはじめた。
今日のパーティーは、アジア圏に拠点を置いている国内外の投資家の接待を趣旨としている。
経済的な旨味が薄れつつある日本マーケットではあるが、文化的にも、地政学的にも、彼らの興味をひく材料はまだ残っている。東京タワーがほど近い麻布の一角で、やまとなでしこを揃えた酒宴をもよおして現地妻でも作ってくれればいい、くらいの意図だった。
モデル事務所から調達してきた美女をはべらせたパーティーというのは、古典的だが一定の効果はある。有史以来、この手の宴が廃れないのは、動物としての本能に訴えかけているからだと飛豪は考察している。
その気がない人間の安全が守られるように配慮もされている。が、普通の酒宴で終わらないのは、最初から全員が知っていることだった。
早くもいくつものソファでは、複数人の男女がしどけなく重なり合っていたり、半裸になった若い女が嬌声をあげている。酒と肉欲と煙草の気配が充満した、淫靡そのものの空間だった。最終的には、個室でセックスをするか、相手をとっかえひっかえしながらの集団プレイになるかのどちらだ。
男性サイドはもちろん見目いい美女との情事を期待しているし、女性サイドは事務所から支払われる報酬とは別の「おこづかい」や継続的な関係を目的として来ている。
端的に言うと、金とセックスの取引なのだ。
その中で、話題になっている奥のテーブルの彼女は、一目で分かるほどドンくさくて、悪目立ちをしていた。
まず、表情がひきつっている。彼女の正面の男女がディープキスと愛撫をはじめていたが、場の流れについていけず恐れをなしているのがありありと表情に出ていた。
その一方で、彼女自身は両サイドに座る男たちから狙われていた。
彼女が場に不慣れなのが面白いのか、三〇代後半とおぼしき男二人から、原液で強い酒を飲まされ、太腿を撫ぜまわされている。彼女はスカートの裾をそれとなく押さえているが、彼らの手がスカートの中にすべりこむまで、あと三分といったところか。
男二人が彼女にかまいつけているのが、同じテーブルの他の女たちの気に入らないのも、容易に見てとれた。ドナドナ女を毒牙にかけようとしている男二人は、この場のなかでも顔立ちが整っている。
接待トークも下手な素人新人が、その場の二大イケメンを独占している。それが、同性の反感を買っているのは明らかだった。ほかの女性たちのなかで、彼女に話しかけたり、フォローに入ろうとする者は誰もいなかった。
幸いなことに、ドナドナ女は酒はそれなりに強そうだった。
なんとか正気は保っているようだが、表情には、「どうしよう。帰りたい」とありありと書かれている。
キスを迫ってくる右側の男をやんわりと押し戻しているが、その顔は、屠殺場につれていかれる子牛のような不安げな表情を浮かべていた。そうしている間に、左側の男が後ろから彼女の髪やうなじに手を這わせている。鎖骨に置かれた男の手は、ドレスの胸元のレースを指先でもてあそんでいた。
二人がかりで攻略されようとしている。この場がどういう場所か分からずに迷いこんだ彼女を、快楽の沼に沈めてしまうゲームが始まっていた。それに気づいているのか、彼女は動揺してうろたえていた。
なのにドナドナ女は、完全に抵抗しているわけではない。どちらかというと、左側の男だけだったら相手になってもいい、という様子で、時折縋るような視線を彼に向けている。
傍から見ていると、まったく意味が分からない。飛豪は舌打ちしたくなった。
――あの女、本当に分かってんのかよ?
主催者側としては、女性キャストより主賓の男性サイドを優先しなくてはならない。だが、妙に引っかかった。
「あれ、どこの事務所がまわしてきたんだよ。素人まわしてくるなって、何度も言ってあるのに」
「容姿は基準クリアしてるからね。あの子、どこかで会ったことのあるような顔つきしてる。事務所の先輩の代打でつっこまれてきたんだろ。まだ一〇代にも見える」
「この場所がそもそも違法スレスレだから、もう未成年くらいじゃ驚かねーよ」
「まぁね」
飛豪と高瀬が会話しているあいだにも、展開は進んでいく。たった数分で、青いドレスの女は右側の男にねっとりとした口づけで舐めまわされていて、左側の男からは背後から抱きしめられて体をまさぐられていた。遠目でも、彼女の頬が紅潮して、息があがっているのが分かる。
「わー、3P始まるね」同僚のワクワクした実況中継が鬱陶しい。
「無常観しかないな」飛豪がげんなりして吐息をもらした。
「嘘つけ。お前だって酷い性癖かかえてヤバイことやってるだろ。相変わらず治す気もないみたいだし」
「性癖って……それ、今この場にどう関係あるんだよ」
「肉欲から解脱したみたいなこと言ってるけど、フェイ君も性質(タチ)悪いとこあるよねって言いたいだけ」
「蒸しかえすなよ……って、あれ、ヤバくないか?」
飛豪は眼鏡のレンズの奥の瞳を細くして、視線をこらした。
「……変なのがいる」
「は? 『変なの』って何だよ」
「屏風とは反対側の壁際の、奥のテーブルの連中を見てみろよ。ドナドナみたいなのがいる」
「ドナドナって……そんなのボキャブラリーにあったんだ」
「ペルーでも日本語学校行かされてたから知ってるんだな、これが」
「……あの青いドレスか。なるほど」
部屋の中ほどの壁面を背に立っている飛豪と、その反対側の壁面に陣取っている同僚の高瀬。とりすました顔をして警備にも客にも見えるよう振る舞っていた同僚の高瀬は、したり顔で同意した。
「な、場違いだろ?」
二人の視線が共通してそそがれているのが、鮮やかな紺色のワンピースドレスを着た二〇代前半の女性だった。
飛豪も高瀬も、人を見るプロである。誰が、どのように場違いなのか、説明せずとも伝わる。
「慣れてないね。グラスを持つ手つきとか、お酒のすすめ方とか、危なっかしい。それに、なんていうか、他の女の子たちとも顔見知りじゃない様子……ってか、弾かれちゃってない?」
苦笑まじりに高瀬が実況をはじめた。
今日のパーティーは、アジア圏に拠点を置いている国内外の投資家の接待を趣旨としている。
経済的な旨味が薄れつつある日本マーケットではあるが、文化的にも、地政学的にも、彼らの興味をひく材料はまだ残っている。東京タワーがほど近い麻布の一角で、やまとなでしこを揃えた酒宴をもよおして現地妻でも作ってくれればいい、くらいの意図だった。
モデル事務所から調達してきた美女をはべらせたパーティーというのは、古典的だが一定の効果はある。有史以来、この手の宴が廃れないのは、動物としての本能に訴えかけているからだと飛豪は考察している。
その気がない人間の安全が守られるように配慮もされている。が、普通の酒宴で終わらないのは、最初から全員が知っていることだった。
早くもいくつものソファでは、複数人の男女がしどけなく重なり合っていたり、半裸になった若い女が嬌声をあげている。酒と肉欲と煙草の気配が充満した、淫靡そのものの空間だった。最終的には、個室でセックスをするか、相手をとっかえひっかえしながらの集団プレイになるかのどちらだ。
男性サイドはもちろん見目いい美女との情事を期待しているし、女性サイドは事務所から支払われる報酬とは別の「おこづかい」や継続的な関係を目的として来ている。
端的に言うと、金とセックスの取引なのだ。
その中で、話題になっている奥のテーブルの彼女は、一目で分かるほどドンくさくて、悪目立ちをしていた。
まず、表情がひきつっている。彼女の正面の男女がディープキスと愛撫をはじめていたが、場の流れについていけず恐れをなしているのがありありと表情に出ていた。
その一方で、彼女自身は両サイドに座る男たちから狙われていた。
彼女が場に不慣れなのが面白いのか、三〇代後半とおぼしき男二人から、原液で強い酒を飲まされ、太腿を撫ぜまわされている。彼女はスカートの裾をそれとなく押さえているが、彼らの手がスカートの中にすべりこむまで、あと三分といったところか。
男二人が彼女にかまいつけているのが、同じテーブルの他の女たちの気に入らないのも、容易に見てとれた。ドナドナ女を毒牙にかけようとしている男二人は、この場のなかでも顔立ちが整っている。
接待トークも下手な素人新人が、その場の二大イケメンを独占している。それが、同性の反感を買っているのは明らかだった。ほかの女性たちのなかで、彼女に話しかけたり、フォローに入ろうとする者は誰もいなかった。
幸いなことに、ドナドナ女は酒はそれなりに強そうだった。
なんとか正気は保っているようだが、表情には、「どうしよう。帰りたい」とありありと書かれている。
キスを迫ってくる右側の男をやんわりと押し戻しているが、その顔は、屠殺場につれていかれる子牛のような不安げな表情を浮かべていた。そうしている間に、左側の男が後ろから彼女の髪やうなじに手を這わせている。鎖骨に置かれた男の手は、ドレスの胸元のレースを指先でもてあそんでいた。
二人がかりで攻略されようとしている。この場がどういう場所か分からずに迷いこんだ彼女を、快楽の沼に沈めてしまうゲームが始まっていた。それに気づいているのか、彼女は動揺してうろたえていた。
なのにドナドナ女は、完全に抵抗しているわけではない。どちらかというと、左側の男だけだったら相手になってもいい、という様子で、時折縋るような視線を彼に向けている。
傍から見ていると、まったく意味が分からない。飛豪は舌打ちしたくなった。
――あの女、本当に分かってんのかよ?
主催者側としては、女性キャストより主賓の男性サイドを優先しなくてはならない。だが、妙に引っかかった。
「あれ、どこの事務所がまわしてきたんだよ。素人まわしてくるなって、何度も言ってあるのに」
「容姿は基準クリアしてるからね。あの子、どこかで会ったことのあるような顔つきしてる。事務所の先輩の代打でつっこまれてきたんだろ。まだ一〇代にも見える」
「この場所がそもそも違法スレスレだから、もう未成年くらいじゃ驚かねーよ」
「まぁね」
飛豪と高瀬が会話しているあいだにも、展開は進んでいく。たった数分で、青いドレスの女は右側の男にねっとりとした口づけで舐めまわされていて、左側の男からは背後から抱きしめられて体をまさぐられていた。遠目でも、彼女の頬が紅潮して、息があがっているのが分かる。
「わー、3P始まるね」同僚のワクワクした実況中継が鬱陶しい。
「無常観しかないな」飛豪がげんなりして吐息をもらした。
「嘘つけ。お前だって酷い性癖かかえてヤバイことやってるだろ。相変わらず治す気もないみたいだし」
「性癖って……それ、今この場にどう関係あるんだよ」
「肉欲から解脱したみたいなこと言ってるけど、フェイ君も性質(タチ)悪いとこあるよねって言いたいだけ」
「蒸しかえすなよ……って、あれ、ヤバくないか?」
飛豪は眼鏡のレンズの奥の瞳を細くして、視線をこらした。
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