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《第5章》 ロットバルトの憂鬱
月曜の朝、オフィスで
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李飛豪はもとより寝起きのいい体質だ。
寝起きの良さばかりか体力においても、同年齢男性の平均より大幅に上回っている、と自負している。大抵の週末はジムや遠出でリフレッシュして、月曜の朝でも憂鬱さとは無縁だ。なのに――。
雨の週末が終わった月曜日の午前九時、オフィスのある新富町のビルに入るとき、どうしようもなく頭が重かった。爽やかに晴れあがった五月の青空さえも鬱陶しい。
彼の新しい同居人――人身売買まがいの末に身柄を差しおさえた女子大生――も、今朝はすこぶる体調が悪そうな顔をして食事をとっていた。とはいえ血圧が低い彼女は、「これが普通だ」とボソボソと言っていたが。
――てゆーか、構いすぎた。ようやく自分の物になった気がして……ってヤバイな。なにが「自分の物」だよ。
金曜の夜から雨が降りつづいていたのをいいことに、交わっては眠り、起きては貪るように体を重ねる二日間だった。薄暗がりの部屋のなか、獣のように猛々しく彼女を襲いつづけた。
抵抗をしない彼女にあられもない痴態をとらせて、汗をかかせ、喘がせる。真っ白な裸体にほのかな紅色がさして熟れていた。残像のように、まだちらちらと視界に浮かんでいる。
高校生のときにできた初めての彼女でさえも、こんなに夢中になって抱かなかった。
当時は母親と義父と暮らしていたので、しようと思ってもできなかったというのもある。ただ、大学生の時に付きあっていた同級生とも、お互いに自由のきく寮生活だったが、週末全部をつぶすほどのめり込むことはなかった。
――あの子も最後ぐったりしてた。マトモな生活させたくて引き取ったんだから、しすぎて体力根こそぎ奪うとか、アウトだし。意味分かんねー。反省しないと。でも、軽口をたたいたり笑うようになったから、効果はあったんだろうな。
席についてパソコンを起動させながらも、考えるのは彼女のことばかりだ。通常なら、週の予定とタスクリストを組み立てるはずの時間が、無為になっていく。
――まずは仕事に切りかえよう。あとは、昼に例の件の返信をしないと。
今朝の食卓でささやかに嬉しかったのは、瞳子が「すっぴん恥ずかしいんで、あんま見ないでください」と言いながらも、彼から顔を背けずに話してくれたことだ。週末でいろいろ誤解がとけたのもあって、彼は今日からは一緒に夕食をとれる時間帯に帰宅しようと心に決めていた。その彼女が、卵とネギの塩粥をレンゲで啜りながら、おそるおそる尋ねてきたことを彼は思いだした。
――問題はない……か。ただし都度々々で言ってもらうようにルール決めしておかないと、万が一のリスクがあるかもしれない。
頭のなかから雑念を追い出すことに失敗しつつ、飛豪は気分転換のためコーヒーを淹れることにした。
給湯室でマグカップを手にしたところで、同僚の比嘉千香と出くわす。
身長は瞳子よりも小柄で、コンパクトなショートボブには赤と青のグラデーションのインナーカラーを入れている。耳には複数のゴツめのピアス、派手な化粧。童顔なのもあってぱっと見はファッション系の専門学校生だが、押しも押されぬITエンジニアである。社歴に関しては飛豪よりも長いくらいだ。
「ヒガチカ、おはよ」
「飛豪さん」
いつもながらの控えめな会釈をしてきた彼女は、こちらを見上げた瞬間、はっとして表情を固まらせた。視線が、彼の洗いざらしのTシャツの首筋をあたりを彷徨っている。
「首に、あります。その……痕が」
彼女のほうが恥じ入ったかのように小声で、しかも真っ赤になって指摘してきた。
「おっと……失礼」
飛豪もその辺りを押さえる。彼女の咬み痕だった。金曜の夜、首筋にすがりついていた彼女が果てたとき、噛みつかれた。今朝、髭をそるときに隠そうと思っていたのに、すっかり忘れてしまっていた。
歯形がくっきりと、スタンプで押されたようにしてあるのだ。何をどうしてこうなったか、同僚も察しているに違いない。
「私、絆創膏もってますけど要ります?」
「うん。一枚くれると助かる。高瀬あたりに見つかると厄介だから」
「そうかも」ヒガチカは可笑しげに表情をゆるめると、くるりと後ろを向いた。「すぐ持ってきますね」
「いや、俺のほうが行くよ」
サーバールーム兼ITルームまでついていく。ヒガチカは抽斗から絆創膏を手渡してくれるとき、じっと何かを問いかけるような目つきで見つめてきた。
ゴールデンウィークにちょっとした頼み事をしてしまった上、高瀬が同じ社内にいるのだ。五人だけのオフィスで、彼女が知らないはずがない。
「気になる?」
「ちょっと。……でも、可愛い人ですよね。そんな気がする」
「そうだね。可愛いけど……狂暴だ」
飛豪が咬み痕のついた首をトントンと指で叩くと、ヒガチカはくすりと笑った。
「いつか写真見せてください」
「それは約束できないかな。警戒心が強くて、写真は絶対に嫌がるから」
礼を言って、彼は自分のデスクへと戻った。
寝起きの良さばかりか体力においても、同年齢男性の平均より大幅に上回っている、と自負している。大抵の週末はジムや遠出でリフレッシュして、月曜の朝でも憂鬱さとは無縁だ。なのに――。
雨の週末が終わった月曜日の午前九時、オフィスのある新富町のビルに入るとき、どうしようもなく頭が重かった。爽やかに晴れあがった五月の青空さえも鬱陶しい。
彼の新しい同居人――人身売買まがいの末に身柄を差しおさえた女子大生――も、今朝はすこぶる体調が悪そうな顔をして食事をとっていた。とはいえ血圧が低い彼女は、「これが普通だ」とボソボソと言っていたが。
――てゆーか、構いすぎた。ようやく自分の物になった気がして……ってヤバイな。なにが「自分の物」だよ。
金曜の夜から雨が降りつづいていたのをいいことに、交わっては眠り、起きては貪るように体を重ねる二日間だった。薄暗がりの部屋のなか、獣のように猛々しく彼女を襲いつづけた。
抵抗をしない彼女にあられもない痴態をとらせて、汗をかかせ、喘がせる。真っ白な裸体にほのかな紅色がさして熟れていた。残像のように、まだちらちらと視界に浮かんでいる。
高校生のときにできた初めての彼女でさえも、こんなに夢中になって抱かなかった。
当時は母親と義父と暮らしていたので、しようと思ってもできなかったというのもある。ただ、大学生の時に付きあっていた同級生とも、お互いに自由のきく寮生活だったが、週末全部をつぶすほどのめり込むことはなかった。
――あの子も最後ぐったりしてた。マトモな生活させたくて引き取ったんだから、しすぎて体力根こそぎ奪うとか、アウトだし。意味分かんねー。反省しないと。でも、軽口をたたいたり笑うようになったから、効果はあったんだろうな。
席についてパソコンを起動させながらも、考えるのは彼女のことばかりだ。通常なら、週の予定とタスクリストを組み立てるはずの時間が、無為になっていく。
――まずは仕事に切りかえよう。あとは、昼に例の件の返信をしないと。
今朝の食卓でささやかに嬉しかったのは、瞳子が「すっぴん恥ずかしいんで、あんま見ないでください」と言いながらも、彼から顔を背けずに話してくれたことだ。週末でいろいろ誤解がとけたのもあって、彼は今日からは一緒に夕食をとれる時間帯に帰宅しようと心に決めていた。その彼女が、卵とネギの塩粥をレンゲで啜りながら、おそるおそる尋ねてきたことを彼は思いだした。
――問題はない……か。ただし都度々々で言ってもらうようにルール決めしておかないと、万が一のリスクがあるかもしれない。
頭のなかから雑念を追い出すことに失敗しつつ、飛豪は気分転換のためコーヒーを淹れることにした。
給湯室でマグカップを手にしたところで、同僚の比嘉千香と出くわす。
身長は瞳子よりも小柄で、コンパクトなショートボブには赤と青のグラデーションのインナーカラーを入れている。耳には複数のゴツめのピアス、派手な化粧。童顔なのもあってぱっと見はファッション系の専門学校生だが、押しも押されぬITエンジニアである。社歴に関しては飛豪よりも長いくらいだ。
「ヒガチカ、おはよ」
「飛豪さん」
いつもながらの控えめな会釈をしてきた彼女は、こちらを見上げた瞬間、はっとして表情を固まらせた。視線が、彼の洗いざらしのTシャツの首筋をあたりを彷徨っている。
「首に、あります。その……痕が」
彼女のほうが恥じ入ったかのように小声で、しかも真っ赤になって指摘してきた。
「おっと……失礼」
飛豪もその辺りを押さえる。彼女の咬み痕だった。金曜の夜、首筋にすがりついていた彼女が果てたとき、噛みつかれた。今朝、髭をそるときに隠そうと思っていたのに、すっかり忘れてしまっていた。
歯形がくっきりと、スタンプで押されたようにしてあるのだ。何をどうしてこうなったか、同僚も察しているに違いない。
「私、絆創膏もってますけど要ります?」
「うん。一枚くれると助かる。高瀬あたりに見つかると厄介だから」
「そうかも」ヒガチカは可笑しげに表情をゆるめると、くるりと後ろを向いた。「すぐ持ってきますね」
「いや、俺のほうが行くよ」
サーバールーム兼ITルームまでついていく。ヒガチカは抽斗から絆創膏を手渡してくれるとき、じっと何かを問いかけるような目つきで見つめてきた。
ゴールデンウィークにちょっとした頼み事をしてしまった上、高瀬が同じ社内にいるのだ。五人だけのオフィスで、彼女が知らないはずがない。
「気になる?」
「ちょっと。……でも、可愛い人ですよね。そんな気がする」
「そうだね。可愛いけど……狂暴だ」
飛豪が咬み痕のついた首をトントンと指で叩くと、ヒガチカはくすりと笑った。
「いつか写真見せてください」
「それは約束できないかな。警戒心が強くて、写真は絶対に嫌がるから」
礼を言って、彼は自分のデスクへと戻った。
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