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《第5章》 ロットバルトの憂鬱
彼の一族について、ニ、三の事柄
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向かいの席の高瀬が、入札関連の打ち合わせで午前中はいない。二人揃ってしまうと、互いになんだかんだと雑談してしまうので、飛豪はここぞとばかりに仕事を進めていくことにした。
朝型の人間にとっては、昼食までが集中のゴールデンタイムだ。
手癖のついてない初めての作業や、交渉パターンを幾つも準備するときにうってつけの時間となる。または、解析ソフトで出した結果が想定と大きくズレていて、再度、ゼロから基礎データを検証していくときも一人になって、どこまでも思考を深めていく。
飛豪の勤務する星溪有限公司は、台北に本社を置く同族企業だ。
東京オフィスの他に、シンガポール、サンフランシスコ、そしてアムステルダム――要するに、一九世紀以降、係累が移民で散っていった都市――に支店を置いている。
彼の父親の出自である李家は、かつて清朝に支配されていた台湾において、政府をうまく操縦しながら貿易業を営んでいた。そのネットワークと財産が礎になって、歴史とともに現在のようなマイクロ多国籍企業へと進化していった。大戦中は諜報員なんかも同家から秘密裏にだしていたという。さもありなん。
台北本社も各地の支店も、基本的なビジネス形態はどこも同じだ――コンサルティングと情報収集が主軸である。平和裏なスパイ。父親が日本の大学で教鞭をとっていたように、親戚筋には何らかの専門家やジャーナリストがわんさかと溢れかえっている。表にでる前の旨味のある情報をいち早くつかみ、繁栄につなげてきた一族のお家芸だ。
情報というものは一度メディアで拡散されたら、半分以上の価値は失われる。人が殺到するからだ。だから、閉ざされた社交場で新奇なネタを取引し、価値をつりあげ、利益をあげていく。
アラビア半島の砂漠の民までがスマートフォンを持つようになったといわれる二一世紀、インターネットで検索できないことはないと言われているが、稀少価値のある情報は決してネットには載らない。せいぜい、断片をつなぎあわせて推測する程度。だからこそ、経済からサイエンスまで手広くプロフェッショナルを擁している李家は、人的資産に投資を惜しまない。飛豪もまた、その恩恵を受けたクチだった。
李家の貪欲さはとどまるところを知らず、来年にはコネも知見もないナイロビに支店を設立する、という話が出ている。数年は利益を見込んでいない。先行投資だそうだ。
飛豪自身はといえば、考古学や恐竜の化石の発掘がやりたくて大学に入ったのち、最終的に地質学で修士号をとった。
学費は長期休暇ごとの発掘現場のアルバイトと、母親の三度目の夫と、父の実家からの支援でまかった。アメリカの大学は奨学金制度が発達しているとはいえ、南米での高校時代に受験対策にあまり精をださなかったため、フルファンドの奨学金をとるための競争で勝ちぬけなかったからだ。
好きなことだけ勉強をしていた六年間だった。
学者だった父親の背中を見て育ったので、研究だとか思考だとかが性に合っていたのだと思う。修士号をとったとき、博士に進学することは当然考えた。しかしその道を選ばなかったのは、博士まで一気に進んでしまうと大学以外の就職がなくなってしまいそうだからだった。あと、学部時代の同級生が実社会でもまれているのを見て、参戦してみたくなった。
そんなときに叔母を経由して「働く気があるなら東京オフィスの穴埋めをしろ」との通知がきたので、およそ一五年ぶりに日本での生活がはじまった。八年前のことだ。
星溪有限公司の東京オフィスには、今でこそ彼の専門分野の知識とコネクションを見込んだ引きあいが途切れずに舞いこむが、当初はそうでもなかった。仕事がなくて、暇で暇で仕方がなかった。
一族の中でもこのジャンルに手を出したのが自分が最初な上、他国のオフィスが似たような事業を持っている訳でもなかったのでノウハウもない。いきなりド新人が新規事業を立ち上げたようなものだ。
日本、海外を問わず学会にでて顔を売り、売り上げを度外視した相談や業務フォローを請け負うことで、細々と仕事をつくった。それでも時間が余っていたので、本業が軌道にのるまで少しでも報酬分の働きはしようかと、外部の会計事務所に丸投げにしていた経費処理の勉強をはじめたら、予想外に楽しくてハマった。
もともと数字に強かったので、仕事の片手間にオンラインであれこれ受講していたら、支店長の叔母から「さっさと学位とってハクを付けてきなさい」とスペインのビジネススクールに送り出された。
会計とファイナンスで学位をとる一年間、学生のかたわら自社の営業活動とネットワーキングに励んだのは言うまでもない。学位が無事取得できたのち、アムステルダム支店とつながりのある会計事務所で半年間インターンをして日本に帰国した。
ちなみに高瀬とは留学でスペインにいた時期、友人の友人から「ヘンな日本人がいる」と紹介されて知己をえた。企業派遣でLLMを取得しに来ていた彼は、気づいたら飛豪の周辺に多く出没するようになり、最終的には美芳叔母に自分でアポとりして売りこみ、三年前から同僚となっている。
自分の人生が、先天的な巡りあわせと要領の良さでまわっていることは、よく自覚している。
現在の収入も、東京を基準にすれば間違いなく上位数パーセントに食いこんでいるだろう。それなりに苦労もしてきたが、他人から搾取されるような憂き目も、生死の瀬戸際に立たされたことも、ほぼ無いと言える――そう、青柳瞳子が経験してきたような。
この前の晩、東京駅で見た彼女の踊り。
目がはなせない、呼吸ひとつできない、切実なものだった。雨にうたれたその姿さえ一つの演出のようで、夜闇に街灯の光がさして、シルエットが白銀に縁どられていた。
数年前のCM以上に、心を強くとらえ、かきたてる何かがあった。
朝型の人間にとっては、昼食までが集中のゴールデンタイムだ。
手癖のついてない初めての作業や、交渉パターンを幾つも準備するときにうってつけの時間となる。または、解析ソフトで出した結果が想定と大きくズレていて、再度、ゼロから基礎データを検証していくときも一人になって、どこまでも思考を深めていく。
飛豪の勤務する星溪有限公司は、台北に本社を置く同族企業だ。
東京オフィスの他に、シンガポール、サンフランシスコ、そしてアムステルダム――要するに、一九世紀以降、係累が移民で散っていった都市――に支店を置いている。
彼の父親の出自である李家は、かつて清朝に支配されていた台湾において、政府をうまく操縦しながら貿易業を営んでいた。そのネットワークと財産が礎になって、歴史とともに現在のようなマイクロ多国籍企業へと進化していった。大戦中は諜報員なんかも同家から秘密裏にだしていたという。さもありなん。
台北本社も各地の支店も、基本的なビジネス形態はどこも同じだ――コンサルティングと情報収集が主軸である。平和裏なスパイ。父親が日本の大学で教鞭をとっていたように、親戚筋には何らかの専門家やジャーナリストがわんさかと溢れかえっている。表にでる前の旨味のある情報をいち早くつかみ、繁栄につなげてきた一族のお家芸だ。
情報というものは一度メディアで拡散されたら、半分以上の価値は失われる。人が殺到するからだ。だから、閉ざされた社交場で新奇なネタを取引し、価値をつりあげ、利益をあげていく。
アラビア半島の砂漠の民までがスマートフォンを持つようになったといわれる二一世紀、インターネットで検索できないことはないと言われているが、稀少価値のある情報は決してネットには載らない。せいぜい、断片をつなぎあわせて推測する程度。だからこそ、経済からサイエンスまで手広くプロフェッショナルを擁している李家は、人的資産に投資を惜しまない。飛豪もまた、その恩恵を受けたクチだった。
李家の貪欲さはとどまるところを知らず、来年にはコネも知見もないナイロビに支店を設立する、という話が出ている。数年は利益を見込んでいない。先行投資だそうだ。
飛豪自身はといえば、考古学や恐竜の化石の発掘がやりたくて大学に入ったのち、最終的に地質学で修士号をとった。
学費は長期休暇ごとの発掘現場のアルバイトと、母親の三度目の夫と、父の実家からの支援でまかった。アメリカの大学は奨学金制度が発達しているとはいえ、南米での高校時代に受験対策にあまり精をださなかったため、フルファンドの奨学金をとるための競争で勝ちぬけなかったからだ。
好きなことだけ勉強をしていた六年間だった。
学者だった父親の背中を見て育ったので、研究だとか思考だとかが性に合っていたのだと思う。修士号をとったとき、博士に進学することは当然考えた。しかしその道を選ばなかったのは、博士まで一気に進んでしまうと大学以外の就職がなくなってしまいそうだからだった。あと、学部時代の同級生が実社会でもまれているのを見て、参戦してみたくなった。
そんなときに叔母を経由して「働く気があるなら東京オフィスの穴埋めをしろ」との通知がきたので、およそ一五年ぶりに日本での生活がはじまった。八年前のことだ。
星溪有限公司の東京オフィスには、今でこそ彼の専門分野の知識とコネクションを見込んだ引きあいが途切れずに舞いこむが、当初はそうでもなかった。仕事がなくて、暇で暇で仕方がなかった。
一族の中でもこのジャンルに手を出したのが自分が最初な上、他国のオフィスが似たような事業を持っている訳でもなかったのでノウハウもない。いきなりド新人が新規事業を立ち上げたようなものだ。
日本、海外を問わず学会にでて顔を売り、売り上げを度外視した相談や業務フォローを請け負うことで、細々と仕事をつくった。それでも時間が余っていたので、本業が軌道にのるまで少しでも報酬分の働きはしようかと、外部の会計事務所に丸投げにしていた経費処理の勉強をはじめたら、予想外に楽しくてハマった。
もともと数字に強かったので、仕事の片手間にオンラインであれこれ受講していたら、支店長の叔母から「さっさと学位とってハクを付けてきなさい」とスペインのビジネススクールに送り出された。
会計とファイナンスで学位をとる一年間、学生のかたわら自社の営業活動とネットワーキングに励んだのは言うまでもない。学位が無事取得できたのち、アムステルダム支店とつながりのある会計事務所で半年間インターンをして日本に帰国した。
ちなみに高瀬とは留学でスペインにいた時期、友人の友人から「ヘンな日本人がいる」と紹介されて知己をえた。企業派遣でLLMを取得しに来ていた彼は、気づいたら飛豪の周辺に多く出没するようになり、最終的には美芳叔母に自分でアポとりして売りこみ、三年前から同僚となっている。
自分の人生が、先天的な巡りあわせと要領の良さでまわっていることは、よく自覚している。
現在の収入も、東京を基準にすれば間違いなく上位数パーセントに食いこんでいるだろう。それなりに苦労もしてきたが、他人から搾取されるような憂き目も、生死の瀬戸際に立たされたことも、ほぼ無いと言える――そう、青柳瞳子が経験してきたような。
この前の晩、東京駅で見た彼女の踊り。
目がはなせない、呼吸ひとつできない、切実なものだった。雨にうたれたその姿さえ一つの演出のようで、夜闇に街灯の光がさして、シルエットが白銀に縁どられていた。
数年前のCM以上に、心を強くとらえ、かきたてる何かがあった。
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