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《第5章》 ロットバルトの憂鬱
嵐のあと
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四日後の水曜日の昼下がり、瞳子は大学内のカフェにいた。
そのカフェは、学生食堂からは離れた別の施設にあった。価格設定が高いものの、味もよく月ごとにテーマを決めたフェアメニューを出していて、テーブルの配置にゆとりがある。つまり、人が少ない。聞かれたくない話をするにはうってつけの場所だった。奈津子と待ち合わせをしていた。
瞳子はうなじに両手をやって、憂鬱そのものの顔で吐息する。
――今日は……どうなんだろ。でもなぁ……。
テーブルに肘をつき、彼女は物思いにふけっていた。一時間前から広げているゼミ課題の英語論文は、手つかずのままである。
「あれ? なんか雰囲気暗くない?」
オムライスとサラダ、アイスコーヒーのトレーを手にして、奈津子が瞳子の正面に腰かけた。
彼女が座るなり、ふわんと石鹼の香りが漂ってくる。よく見ると、襟足のすずしげなショートヘアも今さっき乾かしてきたように濡れていた。
「シャワーしてきたの? 練習だったんだ」
「うん。秋のリーグで引退だから、グラウンドが多少ぬかるんでても、出来るときは練習しないと」
「応援してる。ナコちゃんのチームがベストの実力だせて、後は運もついてくるといい」
「運は大事よね。なんかそれ、瞳子に言われると信憑性がある。バレエなんて完全に実力世界なのに、神頼みなんてするの?」
「してたよもちろん。縁起のいいトゥシューズもあれば、高かったのに相性の悪いシューズもあったし。それにバレエなんて、スポーツと違ってタイムとか得点で順位づけができないから、最後はどうしてもその場の雰囲気とか審査員の好みで左右されてくるの。だからコンクールで結果が出るとき、いつもこっそり指先をクロスさせてた」
瞳子は昔を振りかえり、苦くも懐かしげに目を細めた。
「指をクロスって……ひょっとして、キリスト教の十字架?」
「うん。幸運を祈るって」
「バレエの世界では常識なの?」
「わたしは、ワークショップで一緒だった海外の友達に教えてもらった。オーストリアの子」
「そういう話を聞くと、今更だけど瞳子ってインターナショナルっていうか、別世界にいたんだなって実感する。一年の時の必修英語も、レベル高いクラスにいたし」
「語学って、場数踏んで慣れていけば自動的に伸びるよ。ナコちゃんも数か月海外で暮らせば絶対に喋れると思う。わたしよりキャラが外国向き」
「そうなの?」
「明るいし、誰とでも仲良くなれるオーラ持ってるじゃん。わたしはその辺り……人に対して神経質だし」
つい瞳子は先日の夜の一幕を思いだしてしまう。あの時、自分が変に突っかかったりしなければ、今ごろいつもどおりの日常を彼と送れていたのかな、と。
翳りをおびた瞳子の表情に、奈津子は再び問いかけた。
「中間レポート、評価低かったの? そんな顔してる」
「レポートはまだ帰ってきてない」
「じゃ何? 先月の問題で、またトラブった?」
借金とか、風俗強制労働とか、不穏なキーワードを直截に言わないのが友人の気づかいだった。
「そっちは全部解決して、もう大丈夫。……でも、週末に飛豪さんとケンカした」
瞳子が声をひそめると、奈津子は「へ?」とオムライスを口元に運ぶスプーンの手をとめた。大袈裟なリアクションをする。
「Oh My...!! って感じ。週末って、私が会わせてもらったのも週末じゃん。あの後?」
「そう」
「普通に仲良さそうだったのに。何かあったの?」
「…………」
瞳子は迷うように、言葉を探すように唇を震わせている。奈津子は質問をやめ、オムライスを黙々と食しながら待った。が、とうとう痺れを切らした。
「よし、面倒くさいから正面からいくね! 瞳子は聞いてもらいたいの? 聞いてもらいたくないの? この話題終わるんだったら、うちの父親のにわか海外旅行の話聞いてもらうよ」
「わ……聞いて聞いて!」
瞳子は駆けこみで白状した。しかし、終始言いにくそうに途切れがちになる。
「土曜日の夜……ちょっと口論になって。……わたしも反抗的な態度とったし、イヤなこと言っちゃったんだ。そしたら……」
「叩かれた?」
「ううん」瞳子は首を横にふった。彼がそんなことする訳ない。「ただ……ケンカしたまま寝ちゃったら、知らないうちに飛豪さん出ていって、四日間家に帰ってこないの。今週入ってから、全然会ってない」
「はいぃ?」
唖然とした奈津子の声が上ずっていった。
そのカフェは、学生食堂からは離れた別の施設にあった。価格設定が高いものの、味もよく月ごとにテーマを決めたフェアメニューを出していて、テーブルの配置にゆとりがある。つまり、人が少ない。聞かれたくない話をするにはうってつけの場所だった。奈津子と待ち合わせをしていた。
瞳子はうなじに両手をやって、憂鬱そのものの顔で吐息する。
――今日は……どうなんだろ。でもなぁ……。
テーブルに肘をつき、彼女は物思いにふけっていた。一時間前から広げているゼミ課題の英語論文は、手つかずのままである。
「あれ? なんか雰囲気暗くない?」
オムライスとサラダ、アイスコーヒーのトレーを手にして、奈津子が瞳子の正面に腰かけた。
彼女が座るなり、ふわんと石鹼の香りが漂ってくる。よく見ると、襟足のすずしげなショートヘアも今さっき乾かしてきたように濡れていた。
「シャワーしてきたの? 練習だったんだ」
「うん。秋のリーグで引退だから、グラウンドが多少ぬかるんでても、出来るときは練習しないと」
「応援してる。ナコちゃんのチームがベストの実力だせて、後は運もついてくるといい」
「運は大事よね。なんかそれ、瞳子に言われると信憑性がある。バレエなんて完全に実力世界なのに、神頼みなんてするの?」
「してたよもちろん。縁起のいいトゥシューズもあれば、高かったのに相性の悪いシューズもあったし。それにバレエなんて、スポーツと違ってタイムとか得点で順位づけができないから、最後はどうしてもその場の雰囲気とか審査員の好みで左右されてくるの。だからコンクールで結果が出るとき、いつもこっそり指先をクロスさせてた」
瞳子は昔を振りかえり、苦くも懐かしげに目を細めた。
「指をクロスって……ひょっとして、キリスト教の十字架?」
「うん。幸運を祈るって」
「バレエの世界では常識なの?」
「わたしは、ワークショップで一緒だった海外の友達に教えてもらった。オーストリアの子」
「そういう話を聞くと、今更だけど瞳子ってインターナショナルっていうか、別世界にいたんだなって実感する。一年の時の必修英語も、レベル高いクラスにいたし」
「語学って、場数踏んで慣れていけば自動的に伸びるよ。ナコちゃんも数か月海外で暮らせば絶対に喋れると思う。わたしよりキャラが外国向き」
「そうなの?」
「明るいし、誰とでも仲良くなれるオーラ持ってるじゃん。わたしはその辺り……人に対して神経質だし」
つい瞳子は先日の夜の一幕を思いだしてしまう。あの時、自分が変に突っかかったりしなければ、今ごろいつもどおりの日常を彼と送れていたのかな、と。
翳りをおびた瞳子の表情に、奈津子は再び問いかけた。
「中間レポート、評価低かったの? そんな顔してる」
「レポートはまだ帰ってきてない」
「じゃ何? 先月の問題で、またトラブった?」
借金とか、風俗強制労働とか、不穏なキーワードを直截に言わないのが友人の気づかいだった。
「そっちは全部解決して、もう大丈夫。……でも、週末に飛豪さんとケンカした」
瞳子が声をひそめると、奈津子は「へ?」とオムライスを口元に運ぶスプーンの手をとめた。大袈裟なリアクションをする。
「Oh My...!! って感じ。週末って、私が会わせてもらったのも週末じゃん。あの後?」
「そう」
「普通に仲良さそうだったのに。何かあったの?」
「…………」
瞳子は迷うように、言葉を探すように唇を震わせている。奈津子は質問をやめ、オムライスを黙々と食しながら待った。が、とうとう痺れを切らした。
「よし、面倒くさいから正面からいくね! 瞳子は聞いてもらいたいの? 聞いてもらいたくないの? この話題終わるんだったら、うちの父親のにわか海外旅行の話聞いてもらうよ」
「わ……聞いて聞いて!」
瞳子は駆けこみで白状した。しかし、終始言いにくそうに途切れがちになる。
「土曜日の夜……ちょっと口論になって。……わたしも反抗的な態度とったし、イヤなこと言っちゃったんだ。そしたら……」
「叩かれた?」
「ううん」瞳子は首を横にふった。彼がそんなことする訳ない。「ただ……ケンカしたまま寝ちゃったら、知らないうちに飛豪さん出ていって、四日間家に帰ってこないの。今週入ってから、全然会ってない」
「はいぃ?」
唖然とした奈津子の声が上ずっていった。
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