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《第7章》 元カレは、王子様
隠しごと
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もう一人のロミオ役と、サーシャ。
瞳子はどちらも同じ熱量で踊ったつもりだったし、彼と会うときは見咎められないよう細心の注意をはらっていた。しかし誰もが気づいていたのだと、後になって知らされた。
数か月後、ローザンヌのコンクールに一緒に出場した牧村小百合に、同室だったホテルで言われたのだ。
「瞳子ちゃん、あの時、サーシャと付きあってたよね。みんな分かってて、そっとしとくしかなかった。だって直前に揉めて、役のままロミオとジュリエットが死んじゃったら、公演崩壊しちゃうじゃん。きっと青柳先生も気づいてた」
青柳先生とは瞳子の母親だ。動揺を隠すように「友達として仲が良かっただけで、別に付きあってた訳じゃない」ととぼけても、まるで無駄だった。
「だって二人のシーン、雰囲気ありすぎて皆で赤面してたもん。お似合いすぎて何も言えなかった。前列で観たお客さんも分かったんじゃないかな、完璧に二人の世界だった」
と言われた上、「体の預けかたとか、肌を接してるときの表情の加減とか、どう見ても出来あがってたよ。それに最初のころのパ・ドゥ・ドゥが本当に息あってなかったから、仕上がりの良さに『逆にこれは……』ってもう、一目瞭然」と、テクニカルに指摘されては黙るしかない。
後になって知らされた事実に、瞳子は呆然としながらも、「でも、お母さんには何も言われなかったよ。気づいてたら、母親なんだから怒って引き離すはずじゃん」と言いかえす。
「それも部外者みんなで青柳先生の顔色うかがってたけど、超クールだった。相手はサーシャだし、きっと、妊娠さえしなきゃいいや、ぐらいに思ってたんじゃないかな」
うんうんと頷いている小百合の言葉に、瞳子も「あ、そうかも」と納得したのを今でも覚えている。
とにかくバレエ第一で、それ以外のことは、捌けたところのある人だった。バレエと公演のためになるなら、と黙認したのだろう。
彼を運命の人だと思っていた。
公演を終えて彼がイギリスに戻る時にお別れをしたが、それは未来のために解消したのだ。ローザンヌで賞を獲ったときも、いつかまた二人で踊れたらいいね、とメッセージが来た。
いつかまた出逢う。次に出逢うときは、プリンシパルとして彼と踊る。そう思っていた。
思いかえしてみると、恋心とバレリーナとしての野心が一緒くたになった幼い気持ちだった。幼かったが、誰よりも純粋で真剣だった。
希望に輝いていた日々は、『ジゼル』での怪我と同時に幕をおろした。サーシャのことだって、ここ最近は思いだすことさえなかった。今の、踊っていない自分がみじめになるだけだから。
とにかく、しょっぱなから「さっさと服を脱げ」と言ってきた、噛み癖のある三十路男とは、全然違ったのだ。
――一体どんな羞恥プレイなの? 元カレとのラブシーンを今カレ(タイムリミット付きだけど)と並んで観るって。うわぁああああああ。どうしよう。どうしよう。絶対に知られたくないっ‼
内心では絶叫し、心臓が爆発してしまいそうに轟いているが、今の時点で飛豪はまだ気づいていない。このまま隠しとおせるだろうか。
彼は自分が瞳子の古傷をあばいたと思って、こちらに気を遣いながらコーヒーを準備してくれているが、本当に触れてほしくない傷は別にある。
サーシャの方を知られたくなくて心拍数が跳ねあがっていた瞳子は、彼に悪いな、と思う。だが、気づかれずに二時間半を乗りきりたい、とも切実に願っている。
腹をくくり、素知らぬ顔をしてソファの彼の隣に腰かけると、ほどなくしてオーケストラの前奏が流れはじめた。
プロコフィエフの、物憂げで、ときに不安定に揺らめく、甘美な旋律。
自分の踊る場面だけなら、何百回、何千回と聴きこんでいるので細胞に染みついている。
あまりの懐かしさに居てもたってもいられない。メロディが、瞳子の感性をびりびりと刺激して研ぎすましていく。動きだしそうに、踊りだしそうになる体を両腕をまわして抑えこんでいたら、彼の腕がまわってきて横から抱きすくめられた。
腕と腕がかさなり、背中に彼の大きな体を感じる。すっぽりと包みこまれると、ようやく衝動は鎮まっていった。
「大丈夫か? 無理なら、俺、一人で部屋で観るけど」
「ううん。わたしも久しぶりに観たいの。飛豪さんが傍にいてくれたら平気だから」
力をぬいて全身を彼にゆだねた。画面では、イタリア・ヴェローナの町の朝の場面が始まろうとしていた。
瞳子はどちらも同じ熱量で踊ったつもりだったし、彼と会うときは見咎められないよう細心の注意をはらっていた。しかし誰もが気づいていたのだと、後になって知らされた。
数か月後、ローザンヌのコンクールに一緒に出場した牧村小百合に、同室だったホテルで言われたのだ。
「瞳子ちゃん、あの時、サーシャと付きあってたよね。みんな分かってて、そっとしとくしかなかった。だって直前に揉めて、役のままロミオとジュリエットが死んじゃったら、公演崩壊しちゃうじゃん。きっと青柳先生も気づいてた」
青柳先生とは瞳子の母親だ。動揺を隠すように「友達として仲が良かっただけで、別に付きあってた訳じゃない」ととぼけても、まるで無駄だった。
「だって二人のシーン、雰囲気ありすぎて皆で赤面してたもん。お似合いすぎて何も言えなかった。前列で観たお客さんも分かったんじゃないかな、完璧に二人の世界だった」
と言われた上、「体の預けかたとか、肌を接してるときの表情の加減とか、どう見ても出来あがってたよ。それに最初のころのパ・ドゥ・ドゥが本当に息あってなかったから、仕上がりの良さに『逆にこれは……』ってもう、一目瞭然」と、テクニカルに指摘されては黙るしかない。
後になって知らされた事実に、瞳子は呆然としながらも、「でも、お母さんには何も言われなかったよ。気づいてたら、母親なんだから怒って引き離すはずじゃん」と言いかえす。
「それも部外者みんなで青柳先生の顔色うかがってたけど、超クールだった。相手はサーシャだし、きっと、妊娠さえしなきゃいいや、ぐらいに思ってたんじゃないかな」
うんうんと頷いている小百合の言葉に、瞳子も「あ、そうかも」と納得したのを今でも覚えている。
とにかくバレエ第一で、それ以外のことは、捌けたところのある人だった。バレエと公演のためになるなら、と黙認したのだろう。
彼を運命の人だと思っていた。
公演を終えて彼がイギリスに戻る時にお別れをしたが、それは未来のために解消したのだ。ローザンヌで賞を獲ったときも、いつかまた二人で踊れたらいいね、とメッセージが来た。
いつかまた出逢う。次に出逢うときは、プリンシパルとして彼と踊る。そう思っていた。
思いかえしてみると、恋心とバレリーナとしての野心が一緒くたになった幼い気持ちだった。幼かったが、誰よりも純粋で真剣だった。
希望に輝いていた日々は、『ジゼル』での怪我と同時に幕をおろした。サーシャのことだって、ここ最近は思いだすことさえなかった。今の、踊っていない自分がみじめになるだけだから。
とにかく、しょっぱなから「さっさと服を脱げ」と言ってきた、噛み癖のある三十路男とは、全然違ったのだ。
――一体どんな羞恥プレイなの? 元カレとのラブシーンを今カレ(タイムリミット付きだけど)と並んで観るって。うわぁああああああ。どうしよう。どうしよう。絶対に知られたくないっ‼
内心では絶叫し、心臓が爆発してしまいそうに轟いているが、今の時点で飛豪はまだ気づいていない。このまま隠しとおせるだろうか。
彼は自分が瞳子の古傷をあばいたと思って、こちらに気を遣いながらコーヒーを準備してくれているが、本当に触れてほしくない傷は別にある。
サーシャの方を知られたくなくて心拍数が跳ねあがっていた瞳子は、彼に悪いな、と思う。だが、気づかれずに二時間半を乗りきりたい、とも切実に願っている。
腹をくくり、素知らぬ顔をしてソファの彼の隣に腰かけると、ほどなくしてオーケストラの前奏が流れはじめた。
プロコフィエフの、物憂げで、ときに不安定に揺らめく、甘美な旋律。
自分の踊る場面だけなら、何百回、何千回と聴きこんでいるので細胞に染みついている。
あまりの懐かしさに居てもたってもいられない。メロディが、瞳子の感性をびりびりと刺激して研ぎすましていく。動きだしそうに、踊りだしそうになる体を両腕をまわして抑えこんでいたら、彼の腕がまわってきて横から抱きすくめられた。
腕と腕がかさなり、背中に彼の大きな体を感じる。すっぽりと包みこまれると、ようやく衝動は鎮まっていった。
「大丈夫か? 無理なら、俺、一人で部屋で観るけど」
「ううん。わたしも久しぶりに観たいの。飛豪さんが傍にいてくれたら平気だから」
力をぬいて全身を彼にゆだねた。画面では、イタリア・ヴェローナの町の朝の場面が始まろうとしていた。
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