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《第7章》 元カレは、王子様
最高にキスしたくなる顔
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ジュリエットが短刀で胸をついて死ぬシーンで幕がおりると、張りつめていた緊張がほどけて、どっと力がぬけた。
この映像をマトモに観るのは四年ぶりだった。
予想していたより平静でいられたな、というのが偽らざる本音だった。もっと苦しいかと思っていた。
最後に観たときは、自分の――ジュリエットの――粗さがしをするように観ていたが、今日は違う。過去の自分はもう他人だ。一つの作品としてそれなりに楽しむことができた。
無邪気で他愛もなかった頃の自分。一年後に怪我をしてバレエを失うなんて、思ってもいなかった。全力で、ロミオと踊ることにひたむきだった。
眩しいな、と思う。
もっと熟練していて色気のあるジュリエットの舞台も、瞳子は他に観たことがある。ただ、過去の自分のジュリエットは誰よりも一途で、夜明けの最初の光を思わせる、強烈な輝きがあった。今の自分が持ちえないものだ。
――昔のわたしって、すごかったんだな。自画自賛っていうか、皮肉だけど。
やさぐれた感傷にひたっていると画面の中では再び幕があがり、カーテンコールが始まった。
割れるような拍手をあびて、涙ぐんで胸に手をあてている自分の姿が、痛い。この先、何があるかをまだ知らないから、迷いもなく世界を信じていられるのだ。
きりがないので映像を停止すると、飛豪が彼女の肩に顔をのせてきた。
「びっくりした」彼は感極まったような、掠れた低い声をしていた。
「どうして?」
「べらぼうにジュリエットが可愛い。キャスティング、大正解」
ストレートな誉め言葉に面食らった。つい、かわすような言葉で逃げてしまう。
「え、うん、ジュリエット、すごく頑張って役作りしたんですよ。バレエって男性より女性のお客さんのほうが多いの。だから、女性客をガッチリ摑まえる気で可愛さマシマシで作りこみました」
「ジュリエットもいいんだけど、ジュリエットを演じてる君が可愛いって言ってるんだ」
「…………ッ‼」
恥ずかしさに頭が沸騰して、瞳子は思わず立ち上がった。
今まで何度かその手の甘い言葉があったが、今日はケタ違いに恥ずかしい。どうしてだろう。自分であって自分でないものが褒められているからだろうか。
「俺、君のこと、今までカワイイとか美人とかより、Funny face――愛嬌のある顔――だなって思ってたんだけど」と前置きして。
「ハレー彗星みたいなインパクトだった。舞台に立ってるだけで視線がいくというか。素人目線でもハマり役じゃん、これ」
飛豪は彼女を再び座らせ、自分の体に密着するよう引き寄せた。髪に手をいれ、指先に巻きつけるようにして遊んでいる。
「舞台芸術めったに観ない俺でもあっという間だった。ヒロイン効果かな。知ってる話なのに、このあと君がどんな顔するんだろう、どんな風に踊るんだろうって思うとドキドキした」
「どうしたの、飛豪さん」
手放しで褒められているのにどこか気持ちが落ちつかず、声が萎んでいく。果たして、予感は的中した。
「ただなぁ、現カレシとしてはやっぱりロミオが気に入らないんだ」
その声には不満と不穏な響きが混じっていた。
――来た。
瞳子はおそるおそる彼の方を向いた。
「どういう意味?」
「かなり早い段階で分かったから、とぼけなくていい」
飛豪は片頬をゆがめて見つめかえしてきた。瞳の奥に、ひりつくような苛立ちがちらちらと揺らめいている。その手が下腹部へと伸びてくる。抱きしめられているというよりまるで、全身を拘束されているようだった。
「あのロミオが、君の付きあってた男だろ?」
言葉そのものより辛辣な口調が、胸につき刺さった。彼女は反射的に否定する。
「違います」
「嘘つくな。分かるって」
「どうして?」
「俺に向けてるのと同じ顔してるから」彼は断言した。「あのババア、分かってて渡したな。クッソ」と、小声で毒づいている。
「飛豪さんに向けてる顔って……わたし、普段どんな顔してるの?」
「油断しきってる顔」彼はいかにも不機嫌そうで憮然としていた。「リミッター振り切れてる顔、あまり物考えてない顔、こっちの気持ちを逆撫でする顔。だけど……最高にキスしたくなる顔」
彼の顔が近づき、唇が押しつけられる。瞳子も頬に手をそわせて、口づけに応えた。
後頭部へ指をいれると、硬い髪の感触がした。首筋やTシャツの襟まわりからは、汗とサンダルウッドのオー・ド・パルファンのしんとした心地よい香りが強く漂ってきて、我知らず大きく吸いこんでしまった。
この映像をマトモに観るのは四年ぶりだった。
予想していたより平静でいられたな、というのが偽らざる本音だった。もっと苦しいかと思っていた。
最後に観たときは、自分の――ジュリエットの――粗さがしをするように観ていたが、今日は違う。過去の自分はもう他人だ。一つの作品としてそれなりに楽しむことができた。
無邪気で他愛もなかった頃の自分。一年後に怪我をしてバレエを失うなんて、思ってもいなかった。全力で、ロミオと踊ることにひたむきだった。
眩しいな、と思う。
もっと熟練していて色気のあるジュリエットの舞台も、瞳子は他に観たことがある。ただ、過去の自分のジュリエットは誰よりも一途で、夜明けの最初の光を思わせる、強烈な輝きがあった。今の自分が持ちえないものだ。
――昔のわたしって、すごかったんだな。自画自賛っていうか、皮肉だけど。
やさぐれた感傷にひたっていると画面の中では再び幕があがり、カーテンコールが始まった。
割れるような拍手をあびて、涙ぐんで胸に手をあてている自分の姿が、痛い。この先、何があるかをまだ知らないから、迷いもなく世界を信じていられるのだ。
きりがないので映像を停止すると、飛豪が彼女の肩に顔をのせてきた。
「びっくりした」彼は感極まったような、掠れた低い声をしていた。
「どうして?」
「べらぼうにジュリエットが可愛い。キャスティング、大正解」
ストレートな誉め言葉に面食らった。つい、かわすような言葉で逃げてしまう。
「え、うん、ジュリエット、すごく頑張って役作りしたんですよ。バレエって男性より女性のお客さんのほうが多いの。だから、女性客をガッチリ摑まえる気で可愛さマシマシで作りこみました」
「ジュリエットもいいんだけど、ジュリエットを演じてる君が可愛いって言ってるんだ」
「…………ッ‼」
恥ずかしさに頭が沸騰して、瞳子は思わず立ち上がった。
今まで何度かその手の甘い言葉があったが、今日はケタ違いに恥ずかしい。どうしてだろう。自分であって自分でないものが褒められているからだろうか。
「俺、君のこと、今までカワイイとか美人とかより、Funny face――愛嬌のある顔――だなって思ってたんだけど」と前置きして。
「ハレー彗星みたいなインパクトだった。舞台に立ってるだけで視線がいくというか。素人目線でもハマり役じゃん、これ」
飛豪は彼女を再び座らせ、自分の体に密着するよう引き寄せた。髪に手をいれ、指先に巻きつけるようにして遊んでいる。
「舞台芸術めったに観ない俺でもあっという間だった。ヒロイン効果かな。知ってる話なのに、このあと君がどんな顔するんだろう、どんな風に踊るんだろうって思うとドキドキした」
「どうしたの、飛豪さん」
手放しで褒められているのにどこか気持ちが落ちつかず、声が萎んでいく。果たして、予感は的中した。
「ただなぁ、現カレシとしてはやっぱりロミオが気に入らないんだ」
その声には不満と不穏な響きが混じっていた。
――来た。
瞳子はおそるおそる彼の方を向いた。
「どういう意味?」
「かなり早い段階で分かったから、とぼけなくていい」
飛豪は片頬をゆがめて見つめかえしてきた。瞳の奥に、ひりつくような苛立ちがちらちらと揺らめいている。その手が下腹部へと伸びてくる。抱きしめられているというよりまるで、全身を拘束されているようだった。
「あのロミオが、君の付きあってた男だろ?」
言葉そのものより辛辣な口調が、胸につき刺さった。彼女は反射的に否定する。
「違います」
「嘘つくな。分かるって」
「どうして?」
「俺に向けてるのと同じ顔してるから」彼は断言した。「あのババア、分かってて渡したな。クッソ」と、小声で毒づいている。
「飛豪さんに向けてる顔って……わたし、普段どんな顔してるの?」
「油断しきってる顔」彼はいかにも不機嫌そうで憮然としていた。「リミッター振り切れてる顔、あまり物考えてない顔、こっちの気持ちを逆撫でする顔。だけど……最高にキスしたくなる顔」
彼の顔が近づき、唇が押しつけられる。瞳子も頬に手をそわせて、口づけに応えた。
後頭部へ指をいれると、硬い髪の感触がした。首筋やTシャツの襟まわりからは、汗とサンダルウッドのオー・ド・パルファンのしんとした心地よい香りが強く漂ってきて、我知らず大きく吸いこんでしまった。
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