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《第7章》 元カレは、王子様
今日は君が脱がせて
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舌と舌を絡ませて、言葉をかわすような長いキスを終えると、彼は顔をはなした。
「ごめん。相手役のことなければ、もうちょいマトモな感想言えるんだけど、ダメだった。ジュリエットの君が可愛いってことと、君が本物のダンサーだったってことぐらいしか考えられなかった」
「その言葉だけで充分嬉しい……です」
「君が、俺の知っている以上に純度の高い君で、すごく……化石とか、琥珀に閉じこめてしまいたいって考えてた」
「それって褒めてる……よね?」
彼の独特の喩えがあまりピンとこないので、つい問いかえしてしまう。
「うん。でも同時に、すごく腹立つんだよな」
「サーシャの――ロミオのことですか?」
「まんまと罠にハマってしまった気分。悔しいけど、観なきゃ良かったとは思わない。でもな、ムカつくな、あんなとびきりの顔して……」
飛豪が難しい顔をしている。「あ“ー」とボヤきながら髪をわしゃわしゃと掻きむしっていると、いつもよりも年下に、自分と同世代に見える。その姿が無性におかしくて、彼女はついうっかりしたことを言ってしまった。
「ロミオ役のサーシャとはずっと連絡をとってないし、今後会うこともないんです。あの時だけです。だって、ジュリエットになりきるなら、ロミオに恋するのが一番でしょ」
瞳子としては彼のイライラをおさめるための説明だったのだが――逆効果だった。彼の声がふたたび棘を帯びた。
「なぁ、その論理だと『椿姫』踊るときは誰とでも寝るの? 娼婦になりきって。公演のたびに相手役と恋愛するのかよ」
「飛豪さん、バレエに興味ないって言ってたじゃないですか。なんで『椿姫』のストーリー知ってるの?」
「叔母さんに付きあわされて、昔行ったんだよ」と言い捨て、彼はさぁ答えろ、と要求してくる。
そうなると、こちらも気分を害するところがある。大体、彼だって人のことを詰問できる立場ではない。
「飛豪さんだって、ホテルでその場限りの女の人とたくさんしてたって」
「その話、聞きたきゃ後でいくらでも教えてやるよ。でも俺は、先に瞳子の話を聞きたい」
とにかく何を言っても、サーシャとのことに戻ってくる。きりがない。
「これ以上言えることなんてない。終わったことなの。だって、踊れなくなったから‼」
耐えかねた瞳子は、とうとう声を荒らげた。「踊れない」という自分の一言に、自分が一番傷つく。彼女の心の痛みに、彼ははっとして「ごめん」と即座に謝った。
「……言ってなかったわたしも悪い。ロミジュリのその映像……こうなるのが分かってたから、飛豪さんと観るのは正直嫌だなって思ってた。ごめん、出張前日にケンカになって」
「いや、俺も無理じいしたし、まぁさっきのは、イチャモンつけたよね。あー……これが嫉妬か。ちょっと分かった。うん。……いつも俺の隣にいる君が、別の男と密着して、しかも最高に綺麗だったから腹がたった。妬いてた」
めずらしく、彼が悄然としていた。
――素直な人だな。
あまりにも率直に謝られると、瞳子も矛をおさめるしかない。
本当はこんな展開なんて望んでいなかった。彼が二週間も家をあけるのだから、今日は二人で楽しく過ごしたかったのだ。明日、笑顔で見送れるように。
お互い気まずいのに、なぜか体は抱きすくめられている状態だ。これでは身動きがとれないし、彼の腕を振りほどこうものなら溝は深まってしまうだろう。
――こんな形じゃなくて、もっと……なごやかに始めたかったんだけど、仕方ないよね。
彼女は意を決すると、「飛豪さん」と小さく名前を呼んだ。
緊張しながら姿勢をかえ、彼の胸元に手をかけると頬にキスをした。怒って振り払われたらどうしよう、と内心ではドキドキしながら。
東京駅で雨のなか踊ったあの夜を除いて、瞳子から仕掛けるのは初めてだった。とても大胆になった気がするし、そもそも、自分には彼を求める権利はないと思っている。
無言で、唇にも口づけをする。
拒絶の素振りがあったらすぐに身を離せるようにと思っているので、姿勢に奇妙な緊張感があり、腰からの背筋が硬くなっていた。とにかく、気づまりなまま今日を終えるのは避けたかった。
「……どしたの?」
怪訝そうに彼が訊いてきた。困っている顔をしている。
「だって明日から飛豪さん、いないから。ギクシャクしたまま明日になりたくない。それに淋しいし」
「俺も、仲直りしたい」
彼は瞳子の意図を正確に汲みとったようだった。体を前へと傾斜して、味わうようにキスを深めていく。
「仲直りの証に、今日は瞳子が脱がせて」
彼が囁きかけてきた。低く艶っぽいその声に、心臓が大きくはねた。
「え? 本当に」
「うん。できるだろ? 上だけでいいから」
「……分かった」
耳まで真っ赤に顔を染めて、彼女は頷いた。
「ごめん。相手役のことなければ、もうちょいマトモな感想言えるんだけど、ダメだった。ジュリエットの君が可愛いってことと、君が本物のダンサーだったってことぐらいしか考えられなかった」
「その言葉だけで充分嬉しい……です」
「君が、俺の知っている以上に純度の高い君で、すごく……化石とか、琥珀に閉じこめてしまいたいって考えてた」
「それって褒めてる……よね?」
彼の独特の喩えがあまりピンとこないので、つい問いかえしてしまう。
「うん。でも同時に、すごく腹立つんだよな」
「サーシャの――ロミオのことですか?」
「まんまと罠にハマってしまった気分。悔しいけど、観なきゃ良かったとは思わない。でもな、ムカつくな、あんなとびきりの顔して……」
飛豪が難しい顔をしている。「あ“ー」とボヤきながら髪をわしゃわしゃと掻きむしっていると、いつもよりも年下に、自分と同世代に見える。その姿が無性におかしくて、彼女はついうっかりしたことを言ってしまった。
「ロミオ役のサーシャとはずっと連絡をとってないし、今後会うこともないんです。あの時だけです。だって、ジュリエットになりきるなら、ロミオに恋するのが一番でしょ」
瞳子としては彼のイライラをおさめるための説明だったのだが――逆効果だった。彼の声がふたたび棘を帯びた。
「なぁ、その論理だと『椿姫』踊るときは誰とでも寝るの? 娼婦になりきって。公演のたびに相手役と恋愛するのかよ」
「飛豪さん、バレエに興味ないって言ってたじゃないですか。なんで『椿姫』のストーリー知ってるの?」
「叔母さんに付きあわされて、昔行ったんだよ」と言い捨て、彼はさぁ答えろ、と要求してくる。
そうなると、こちらも気分を害するところがある。大体、彼だって人のことを詰問できる立場ではない。
「飛豪さんだって、ホテルでその場限りの女の人とたくさんしてたって」
「その話、聞きたきゃ後でいくらでも教えてやるよ。でも俺は、先に瞳子の話を聞きたい」
とにかく何を言っても、サーシャとのことに戻ってくる。きりがない。
「これ以上言えることなんてない。終わったことなの。だって、踊れなくなったから‼」
耐えかねた瞳子は、とうとう声を荒らげた。「踊れない」という自分の一言に、自分が一番傷つく。彼女の心の痛みに、彼ははっとして「ごめん」と即座に謝った。
「……言ってなかったわたしも悪い。ロミジュリのその映像……こうなるのが分かってたから、飛豪さんと観るのは正直嫌だなって思ってた。ごめん、出張前日にケンカになって」
「いや、俺も無理じいしたし、まぁさっきのは、イチャモンつけたよね。あー……これが嫉妬か。ちょっと分かった。うん。……いつも俺の隣にいる君が、別の男と密着して、しかも最高に綺麗だったから腹がたった。妬いてた」
めずらしく、彼が悄然としていた。
――素直な人だな。
あまりにも率直に謝られると、瞳子も矛をおさめるしかない。
本当はこんな展開なんて望んでいなかった。彼が二週間も家をあけるのだから、今日は二人で楽しく過ごしたかったのだ。明日、笑顔で見送れるように。
お互い気まずいのに、なぜか体は抱きすくめられている状態だ。これでは身動きがとれないし、彼の腕を振りほどこうものなら溝は深まってしまうだろう。
――こんな形じゃなくて、もっと……なごやかに始めたかったんだけど、仕方ないよね。
彼女は意を決すると、「飛豪さん」と小さく名前を呼んだ。
緊張しながら姿勢をかえ、彼の胸元に手をかけると頬にキスをした。怒って振り払われたらどうしよう、と内心ではドキドキしながら。
東京駅で雨のなか踊ったあの夜を除いて、瞳子から仕掛けるのは初めてだった。とても大胆になった気がするし、そもそも、自分には彼を求める権利はないと思っている。
無言で、唇にも口づけをする。
拒絶の素振りがあったらすぐに身を離せるようにと思っているので、姿勢に奇妙な緊張感があり、腰からの背筋が硬くなっていた。とにかく、気づまりなまま今日を終えるのは避けたかった。
「……どしたの?」
怪訝そうに彼が訊いてきた。困っている顔をしている。
「だって明日から飛豪さん、いないから。ギクシャクしたまま明日になりたくない。それに淋しいし」
「俺も、仲直りしたい」
彼は瞳子の意図を正確に汲みとったようだった。体を前へと傾斜して、味わうようにキスを深めていく。
「仲直りの証に、今日は瞳子が脱がせて」
彼が囁きかけてきた。低く艶っぽいその声に、心臓が大きくはねた。
「え? 本当に」
「うん。できるだろ? 上だけでいいから」
「……分かった」
耳まで真っ赤に顔を染めて、彼女は頷いた。
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